2015年07月18日

バケモノの子

細田 守
(声)役所広司、宮崎あおい、リリー・フランキー、大泉 洋
母親を事故で亡くし、ただひとり渋谷の街を徘徊する9歳の少年・蓮。そんな彼が渋天街のバケモノ・熊徹に出会う。やがてバケモノの世界に迷い込んでしまった蓮は、九太と名付けられ 熊徹の弟子となる。
粗暴な性格で品格の無い熊徹と衝突を繰り返す九太だったが、少しづつ強さをまとっていく。

スタジオジブリが小休止状態の今、いやがうえにもアニメ作家として注目されてしまう細田守監督。
過去3年スパンで新作を公開しておるのですが、その4作目となりますか。

そんな過去作のクオリティ 及び 評判もあり、期待値もグンと上がっている今作なのですが…

一般の評価はまずまず。
ただ映画ファンの間では賛否分かれてますかね。

わたくし自身 様々な感想を目にしたり、近い仲間と語り合ったりしたこともあって、パーソナルな印象を書きにくい状況になっちゃったのではありますが…

シリーズものの映画に於いて、ナンバーが増えていくごとにクオリティは落ちてしまうという現状は発生してしまいます。
それと同様に(?)細田作品も 新作ごとに評価が厳しくなっているところもあるのかな。

もはやただのアニメ作家とはいえず、作品について多くの期待やプレッシャーもかけられるでしょうし、商業的な成功も背負わされる側面もあるでしょう。
そうなるとなかなか地味ながらも芯のある作品を作っても、芯はあるが地味という評価に収まってしまうことになるかも。
ひたすら好きなことだけやれる状況ではないのかも…なんて深読みをしつつ。

当然 物語の設定や展開はドキドキしますし、感情移入もできます。熊徹役の役所広司さん、その両脇を固める大泉洋さん、リリー・フランキーさんの存在感も見事ですよ。
ただ ざっくり言ってしまうと、9歳の九太が(あっという間に)17歳に成長した辺りから ちょっとリズムが変わってきちゃったかな。
前半の(バケモノの世界である)渋天街のパートは観客も その世界の“ガヤ”的に、彼らの動向を見守れたけど、後半に九太が現実の渋谷に帰ったぐらいから、何か観客は置いてけぼりな展開になっちゃったみたいな。

九太が渋天街と渋谷をチョイチョイ行き来するくだり。現世とパラレルワールドを、毎日のように簡単に往来しちゃうと、それぞれの意味合い自体が軽く感じられちゃって。
物語全体の重みが損なわれちゃうような。

大学受験も(普通の人にとっては)大切。恋愛も大切。生き別れた実父との邂逅も大切。
でも短時間で一気にそれらを通過しようとすると、詰め込み過ぎという印象に陥っちゃうかな。

細田監督が これらの描写を通して何を訴えようとしていたかは、正直わかり切っていないのですが。シンプルに渋天街を舞台として、もっと熊哲と九太の関係を軸にしたオハナシのが伝わりやすかったんじゃないかなぁ。

さて、前作「おおかみこどもの雨と雪」では親と子の関係を母親目線で描いたと言われておりました。
一方 今作では熊哲と九太を通して理想の父親像を提示したと言われております。

んが、個人的には熊哲の存在って、父親と言うよりも祖父というイメージがあるんだけどなぁ。昭和な長屋の偏屈なジジィみたいなキャラで。
それでなくても父親は別におるわけだし。
まぁ知らんけど。

DSC_0123.JPG
熊哲はバレエの師匠なんです
posted by 味噌のカツオ at 23:36| Comment(0) | TrackBack(0) | ハ行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月14日

リアル鬼ごっこ

園子温
トリンドル玲奈、篠田麻里子、真野恵里菜
得体のしれない何者かから逃れるため、ひたすら走り続けた女子高生のミツコ。彼女が辿り着いたのは学校へと向かう通学路。仲間たちに やさしく迎え入れられ、平穏を取り戻したミツコだったが、その教室で授業が始まらんとしたその時に…

今年 何作公開されんの?という園子温監督作品。
「リアル鬼ごっこ」の原作はたいへん話題になり、映画ではパート5まで公開され、テレビドラマ版も放送されました。
そんな様々な展開を見せているテーマを果たして園子温はどのように仕上げてみせるのか?

と思いきや。
「リアル鬼ごっこ」と銘打たれてはおりますが、聞いた話では園監督、原作も過去作も全く知らないんだとか。
言わば そのタイトルのみ流用した完全オリジナル作品。

もっとツッコむなら、鬼ごっこではあるが“鬼”という概念もどうなのか。
ストーリーとしてどうなのか。落としどころとしてどうなのか。
そんな感じでした。

そもそもの「リアル鬼ごっこ」のターゲット層がそうなんでしょうが、劇場には高校生・女子高生が多数。
特に女子高生のグループは次々と出てくるスプラッター描写に「きゃあ きゃあ」。
突然のめくるめく世界観に「えっ、なになに?どうなるの?」。
そして上映後「全然 意味わかんない!!」。

わかりやすいほど好き勝手に盛り上がっておりましたわ(笑)

かく言う わたくしも、この展開を理解はできておらんのですが。まぁカワイイ女の子がいっぱい出てたことには満足で(苦笑)
基本キャストは皆女性で。ほぼ女子高生で。パンチラもアリという。監督のやりたい放題な映画なんかね。

あとは むやみやたらに、ほぼほぼギャグのように女子高生が真っ二つになりまくる描写とか。
ある意味 園子温らしさでもあるんじゃないかな。

いろいろな感想を見ると「トリンドルちゃんが良かった」との記述も多いのですが…

サービスショットにパンチラ。表情も決して悪くないけれど、あの細〜い足でロボットのような動きで走る姿が少々滑稽で。
でも“血まみれ”な姿は悪くないよね。

それよりも常に頼りがいのあるサポート役だったアキ(桜井ユキ)の安定度が、とても印象に残りましたね。
ちょっとイイ女で。

さて、この映画「シュールに負けるな」というキーワードが登場します。
シュール…意味を検索すると「超現実主義」「ありえないことだが、実際に起きていること」となりますか。
それが女性のみに向けたものかはアレですが、確かに今の世の中、そういう意味合いでの“シュール”な状況であるのは間違いないです。
ただただ、それらに屈するなと。そういう思いの込められた表現であったのかもしれないですね。
もしかしてだけど。

それはそれとして。この映画の チラシの煽り文句の数々。主要キャストのビジュアル(衣装)。これらは完璧なミスリード。
少なくともチラシに書かれてるような意味合いは、見いだせない…かな。
まるで かつての「バトルロワイヤル」みたいな、そんな風ではないかと。

そもそもの「リアル鬼ごっこ」の前提であれば、それも間違いではないんだろうけど。かといって忠実に今作の説明をしようとすると難しいもんね。
これは「リアル鬼ごっこ」の看板を借りた、園子温の表現の場なんだろうな。

ところで、園監督の作品が様々公開されているんだけど、冒頭に「A SION SONO FILM」と出てくるもの、こないものの違いはなんなんだろうか?

DSC_0121.JPG
本音を言うなら100%♀がよかったな
posted by 味噌のカツオ at 00:14| Comment(0) | TrackBack(0) | ラ行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月11日

ふたつの名前を持つ少年

ペペ・ダンカート
アンジェイ・カクツ、カミル・カクツ、ジャネット・ハイン、ライナー・ボック
第二次世界大戦下。8歳の少年スルリックは、ポーランドのユダヤ人強制居住区から脱走。寒さと飢えで倒れたところを、ヤンチック夫人に助けられる。
夫人は彼にポーランド人孤児のユレクと名乗らせ、迫害から逃れ生きる術を与える。やがてヤンチック夫人の下にも追手が迫り…

一足早く試写で鑑賞。
正直 世界の事、歴史のことに疎いわたくしですが、試写用の資料であらすじや当時の政治的状況を読ませてもらっていたので、その点 助かりました。

当然ながら我々の想像をし得ぬ 異国での戦争。
その戦火の中を8歳の少年が生き抜いていくという、実話の映画化。

非常に厳しい時代であったころは容易に想像つきますが、そんな中でも 少年を匿(かくま)ったり、逃げる手はずを整えたり。
もちろん最初に登場するヤンチック夫人。彼女が彼に生きる術を伝えたこと。これに尽きるのかな。

ユダヤ人の誇りを内に秘めつつ、周囲の人々に溶け込み生きていくユレク。
少年なりの知恵を凝らし、またある時は“それ”を悟り、自らその場所を後にする。

途中あらすじには記されていなかった とある事故のシーンがかなり衝撃的なんだけど。
心も体も傷を負いながら、次の場所へと進んでいく姿は素直に感動いたします。

時に子供が演じるには難しい設定やハードな状況もあります。
しかし主演の子が、見事に演じているのだけれども…

特筆すべきは この少年…いや、少年たち…
じつは一卵性双生児の双子の少年が、一人のユレクを演じていたんですね。

オーディションを経て選ばれて、二人とも素晴らしい才能を持っていたものの。
特に一人は内向的な、もうひとりは外交的な表現力に長けており、ユレクの心境に合わせて二人が演じ分けたのだとか。
そんな撮影法もあるんやね。

映画では希望と絶望が次から次へと提示されます。
しかしラストシーンは、希望を未来につなぐ映像であることに、わたくし自身も救われるような思いでした。

DSC_0119.JPG
割礼のおかげで。。。
posted by 味噌のカツオ at 00:35| Comment(0) | TrackBack(0) | ハ行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月09日

オン・ザ・ハイウェイ その夜、86分

スティーヴン・ナイト
トム・ハーディ、ルース・ウィルソン、オリビア・コールマン
妻と二人の子供に恵まれ、建設会社ではエリート社員として評価されているアイヴァン・ロック。仕事を終え、愛車のBMWで自宅へと走り出すのだが、一本の電話がかかってくる。やがて彼は自宅とは離れたロンドンへ向かうハイウェイへとハンドルを切った…

一風変わったワンシチュエーションムービー…と言っていいのかな。
全編に渡って、一人の男が高速道路を走りながら 電話越しの会話を続けるというもの。
クレジットには数名の名前が載っていますが、登場するのはトム・ハーディのみで、あとは全て電話にて声のみの出演。

「オン・ザ・ハイウェイ その夜、86分」なんて こじゃれたタイトルではあるけども、原題は「LOCKE」ととてもシンプル。人名の“ロック”の意味。
主人公がアイヴァン・ロックの名前であると同時に、イギリスでは哲学者で政治思想家のロックを指すとも。

この映画の主人公・ロックはそんな大そうなものではなく、建設現場の監督であることが会話の中からわかります。
また彼が置かれた状況、そして人間関係も。

ぶっちゃけ この物語の核である、とても大きな問題は冒頭のところで明かされます。
その前提での会話劇。かと言って映像も大きな変化もないので。

途中、仕事の件でアクシデントも発生しますが、起承転結の転とするには やや弱いかな。
なので眠たくならないかと言われれば、まぁそうでしょうといったところではありますが、主人公は一生懸命運転してるので寝ちゃ失礼。
なんやかやとラストまで付き合ってしまいます。

さて、車の運転。しかも高速道路上。
進む道はただひたすら真っ直ぐしかありません。
まさに 人が進む道というのもそれと似たようなものです。なんならインターを下りていくことも、他のルートもあるのかもしれません。それでも己の行く先へ向かって進まなくてはなりません。

そんなことを思いながら この映画を見ていくと、さすがにちょっと切なく感じましたね。
良くも悪くも人生を現した物語。

ほんの一夜の過ち。それがこんな事態を巻き起こし、家族を失い、仕事も失い。
そんなときにスピーカーを通じて聞こえる あの泣き声。

どんな理由があろうと、どんな状況であろうと、新たな生命の誕生には全ての未来や希望が込められていることは否定できない。
とても複雑な思いのする映画ではあるけれど、それについては祝福されるべきなんですよね。。。

この映画(眠たいなりに)思いのほかすんなり馴染めたんですが。
洋画だったら たいがい右走行の左ハンドルなんだけど、舞台となっているイギリスって、車の走行が左側で車も右ハンドルなんですね。

ほんの些細なことだけど“画”として妙にしっくりきてたのは、そういうトコにも遠因があるのかな!?
posted by 味噌のカツオ at 21:34| Comment(0) | TrackBack(0) | ア行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月06日

天の茶助

SABU
松山ケンイチ、大野いと、大杉 漣、伊勢谷友介
天界では大勢の脚本家が地上に住む人々の“人生のシナリオ”を書いている。
天界の茶番頭の茶助は、下界の女性ユリに思いを寄せていた。しかし ユリが交通事故で亡くなる事実を知り、茶助は彼女を救いたい一心で地上へ向かう。

何度か書いているんですがSABU監督の作品は元々お好きではあるんですよ。
近いところでは「うさぎドロップ」「蟹工船」なんかを見ているんですが、それぞれ微妙だけど嫌いじゃないって感じで。

上記の2つは原作があるんですが この作品は全くのSABUオリジナルとのこと。
ぶっちゃけチラシであらすじを読んだ時点では“微妙”な印象だったのですが。。。

イントロダクション。数多(あまた)の天界の脚本家が、地上人のシナリオを書いていると。人はそれに沿って生きているわけだ。
ただ、そこから始まっていくストーリーがなんか一貫性が無いというか、必然性がないというか。

天界から見ていて気になる女性がいると。ちょっとしたシナリオの“あや”で、その彼女が命を落としてしまうことに。
「こりゃえらいこっちゃ」というわけで、天界でお茶くみ係だった茶助が地上に降り、天界の脚本家のサポートを受けながら彼女の運命を守ろうとします。

なんでその子だけ?そもそもそんなことができちゃうの?
なんていう そもそも論にツッコミ入れると物語が進まんのでそれは目をつぶろう。

様々な人生が影響を与え合っているので、“バタフライエフェクト”よろしく誰かのシナリオを変えると、他者のシナリオも変化する…との説明があります。
う〜ん、シナリオを“書いてる”人がいるのに変えられると変わるって?

そんなこんなで茶助が彼女を救おうという前に、どんどん人生のシナリオが変わっていっちゃって。結局何もできていない。
それどころか茶助の出生の秘密(前世?)の設定が入ってきて混沌。

さらに天界人・茶助の持つ不思議な力で人助けをする展開が絡み、ヤクザに追われる状況が大げさになり、白い顔したヤツからも狙われる。さらに舞台となっているエイサーの踊り(?)が映像の邪魔をすると。

それぞれの設定や展開がリンクすることなく回ります。
天界でこんなやりとりがあって地上でこんな変化が現れるとか、そういうの一切ナシ。
それでハチャメチャ感がスイングしたり、ちょっとしたギャグで笑えるとかならまだ救いはあるけれど。
脈絡の無い状況がつながっているだけなので かなりしんどい。

なんなら夢オチの方がまだ飲み込めるんじゃね?ぐらいの勢い。

最後の最後で彼女が叫ぶことが物語を締めるのは なんとなしに読めるので感動につながらない。
うん、そもそも そのために声を無くした設定なんでしょってぐらいに説得力も弱い。

全体がファンタジーであるにしても、もう少し、もう少しでいいので うなずける要素が欲しかったなぁ。。。
演じている役者さんたちの力量、そして エンドテーマの Ms.OOJAの歌声の迫力は感じるものあっただけに、惜しいなぁ。。。

DSC_0097.JPG
天ぷらの茶漬け
posted by 味噌のカツオ at 23:23| Comment(0) | TrackBack(0) | タ行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月05日

チャイルド44 森に消えた子供たち

ダニエル・エスピノーサ
トム・ハーディ、ゲイリー・オールドマン、ノオミ・ラパス
1953年、スターリン独裁政権下のソ連で子供を狙った連続猟奇殺人事件が起こる。しかし「理想国家を掲げる体制のもと犯罪は存在しない」とする上層部からの圧力で、事件そのものが闇に葬られてしまう。
やがて親友の息子が犠牲となり、秘密警察の捜査官レオは 単独で調査に乗り出そうとするのだが…

2009年度版「このミステリーがすごい!」海外編で第1位に輝いた原作の映画化。
タイトルから察するに、頻発する猟奇殺人犯に迫ろうとするも手掛かりがつかめず、あと一歩のところで取り逃がし、激しい格闘の上なんとか犯人確保。犠牲となった44人の子供たちを被害者家族とともに弔う。
そんな緊迫感漂うミステリーであることは容易に想像がつきますわね。

しかし、しかしですよ。冒頭部分は そういうのとはちょっと違う。
まぁそういう時代背景だというの理解しないとね。
軍の上下関係はいろいろ厳しいもんだね。
ほうほう偽名だったんだ。

ん〜なんか違う。なんか違う。でも…

あぁこの善良そうなおじさん、アヤシイな。でも 最初に出てくるクサいヤツはたいがいシロなんだよね。それがミステリーの常識。
あらっ、この人なん!?

なんだか激しい状況に巻き込まれとるけど。
やっぱそういうことでしたか。

というわけで、結論からいうならば複雑な時代に於ける、猟奇殺人を軸にした人間ドラマでした。ミステリーちゃうやん。
注視するべきは事件のトリックやいきさつではなく、人間関係とかそっちやったんや。
という感じで、ノリきれない映画でしたね。

といったコチラの期待とのズレ以外にも ノリきれない要素というのもあって。
そもそも暗い雰囲気の漂う時代背景。そして実際の映像も暗めに撮影されているので、見る側としては気力が必要ですよね。
あと2時間17分という やや長めの上映時間も。

個人的に気になったのが、嫁さんが「妊娠した」と告白するエピソードについて。
あの後、夫婦関係ってギクシャクせえへんのかと考えてしまったんですが。
普通にしてるように見えたけど、何と言うか信頼関係が少〜しグラついていないかと。余計なこと気にしてましたわ。

とかいろいろ言いつつ。ラストは冒頭部分と直結する、しかもハートフルな展開だったんよね。
だからなおさら 本編の混迷具合がもったいなく思えたんだけど。

というわけで 様々な要因ありつつ。もうちょっとアプローチの仕方を変えたら、映画らしいドキドキを味わえたり、観客として考えさせられたりできたんじゃないかな。
なんか惜しい。そんな映画でしたね。

DSC_0092.JPG
CLD44
posted by 味噌のカツオ at 23:39| Comment(0) | TrackBack(0) | タ行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月04日

きみはいい子

呉 美保
高良健吾、尾野真千子、池脇千鶴、富田靖子
新米教師の岡野は 良かれと思ってした行動がことごとく裏目に出て、児童たちからも信用を得られないでいた。
夫が単身赴任中で3歳の娘とふたり暮らしの雅美は ママ友の前では体裁を繕いつつ、娘に手をあげてしまう。
独居老人となったあきこは、登下校時に挨拶をしてくれるひとりの小学生とのふれあいに喜びを見出していた。
そんな同じ街に暮らす人々を描いた群像劇。

同じ街に暮らす人々が織りなす3つの物語。
一応 地続きではあるけれど、ストーリー的ガッツリ絡むわけではなく。

その3つの物語、それぞれ思うところ感じるところあるんだけど、一瞬一瞬で その感情の向かうベクトルが違います。
見る側もそれぐらいの器で受け止めないと大変。

若干 痴呆の始まってしまったような独居老人と、自閉症(と思われる)小学生との交流。
そこに とある伏線を持った母親が現れます。

独身・子供なしのわたくしですが、育児って大変だろうなとは容易に想像がつきます。さらに、障害を持った子供であるならなおさらかな。
現実ではそれはそれとして普通に暮らしているように見えるけど、富田靖子演じるその母親のように、実際には人知れず張り詰めたものと背中合わせでいるような気がしますね。

またそれを氷解することができるのは、やはりあのお婆ちゃんみたいな人なのかな。
まぁあの婆ちゃんは その母親を救ってあげようなんて意識はないままだったとは思うけどね。


小さな子供を抱えたママ友たち。公園で集うと あんな雰囲気になりますわね。
しかし、家に帰るとそんなママが豹変。子供の粗相が原因なのかもしれないけど、それは躾の域を逸脱した…
でも、子供を怒鳴り散らし引っ叩きまくりつつ、直後に一人になって自責の念に駆られるという。

でありながら、娘はよそのママから「ウチの子になる?」と聞かれると、自分のママにしがみついていくんだよね。あんなに怖い思いしてるはずなのに。
例えは変だけどDV夫とかもそれに近いのかな。嫁さんに手をあげつつ、直後に優しく接して。受けた方は、それを過度の愛情とはき違えてしまうみたいな。
でもこの場合、親子だからなぁ。血がつながってるからなぁ。
いや幼児は 他の世界とか価値を知らないからなおさらか。

しかしこのパートの尾野真千子はスゴかったね。あの怒鳴り方はかなりリアル。そして 子役の女の子も、よくぞあんな“演技”をしたもんだ。
最初の虐待、ワンカメの長回しのシーンは正直 見ていられなかった。いやぁ“作品”だから向き合ったけど、それでもキツかったわ。
周りでは涙してるお客さんもおられたし。

そして もう一方の池脇千鶴の大らかなママっぷりも、これはこれでリアルでした。
そんな彼女が、尾野真千子を抱きしめる場面は堪らなかった。さすがにわたくしも涙こぼれました。


新米の若い男性教師。様々な出来事が教室で起こるわけですが、それらに対し いちいち親からの苦情電話が入ってくる。世に言うモンスターペアレンツ、学級崩壊。
でも それらを見ていて、自分だったらどんな行動を取るのかと問われると…難しいね。
まぁ電話が来る前提の上で、納め方 諌め方を知ってる学年主任がいたり。楽観的にやり過ごしてくれる同僚がいたり。

自身が悩む中で姉(?)の言葉に励まされ、甥っ子(?)からの抱擁に活路を見い出します。

正直、彼の恋人との会話の口調から、良いことも悪いことも イマイチ響かない現代っ子、ゆとり世代なのかなと思ったり。
しかし いくらか思い切った“宿題”を児童たちに果たすことで、きっかけと言うか手応えを感じられたのかな。
教師としての成長という希望の光が差したですかね。


それぞれの物語。いずれも 大人になるにつれて見失ってしまう心を、子供の存在を介在することで呼び起されるような。
それで世界が変わるとは思えないけれど、今自分の目の前で直面している闇を照らすことにはなりますかね。
とても 小さな小さなことかもしれないけれど、結局 日常ってそれがすべてですから。

呉美保監督。「そこのみにて光り輝く」も素晴らしかったけど、この作品も、ジワジワとした後味残しますね。


様々な感想を見ていると、それまで引き気味だった新米教師が走り出し、自ら問題に飛び込んで行かんとするラストシーンに希望を感じたとの記述を目にしました。
うん、まぁ彼の行動からそれを感じるのは間違っていないけれど。

彼の家のポストに突っ込まれたチラシの量を見れば、その扉の奥がどうなっているのか…
別の絶望感とか、遅かったのかなとか。
心が痛かったです。

DSC_0088.JPG DSC_0089.JPG
池脇千鶴と高橋和也が夫婦なん!?
posted by 味噌のカツオ at 00:20| Comment(0) | TrackBack(0) | カ行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月03日

ラブ&ピース

園 子温
長谷川博己、麻生久美子、西田敏行
鈴木良一はロックミュージシャンへの夢を諦め、冴えない日々を送るサラリーマン。いつしか 運命的に出会った1匹のミドリガメと、さらなる妄想にふける鈴木だったが、カメの存在を同僚らにバカにされトイレに流してしまう。
しかし流されたカメは地下に住む謎の老人のもとにたどり着き…

「ラブ&ピース」ですか。直訳すると「愛と平和」と思うんだけど。
カタカナでピースと言うならば、部分や部品なんかもピースと言ったりはしますが。

この作品のベースは園子温監督が20歳代の頃に書いていたものだそうで。
そんなシナリオを、ここにきて一本の作品として仕上げるというのには 監督自身に何がしかの思いがあったのでしょうが。
あるいは「園監督が本当に撮りたかった集大成」などとの表記も。

正直言って、何が何やらよくわからん物語ではあります。
特に序盤は 一つ一つの出来事を咀嚼する間も与えず、溜めも無く、どんどんと状況が変化していきます。
ついていけないわけじゃないけれど、滑稽であり荒唐無稽であり。
結局 観客は置いてけぼりみたいな(苦笑)

そしてもう一つ。地下の下水路にある基地(?)で、古びたおもちゃや動物たちと謎のおじさんが紡ぐストーリー。
言ってしまえば、これもほぼほぼ置いてけぼり。
ぶっちゃけわたくしも眠たくなっちゃった。

だからといって つまらないという訳ではなく。
滑稽だからこそのバカバカしさ。歌詞を紡いていく表紙たち(笑)
スタジアムを埋めた観客たちに至っては、どんだけのエキストラを動員したん?とか。余計なことまで気になったりして。

また“怪獣映画”との触れ込みもあったので、特撮ファンとしても気になってたんだけど。
これがまた今どきのCGバカみたいな安っぽい作りではなく、着ぐるみとミニチュアによる安っぽい仕上がり。

映画人の考えるクオリティとはどんなものかはわかりませんが、少なくとも古き良き時代の特撮で育ってきたわたくし的には、とても嬉しくなる映像でしたね。
このカメの造形は「小さき勇者たち ガメラ」のそれとよく似てたのも良かったですよ。

そしてクライマックスで響き渡る「スローバラード」清志郎の歌声。それもまた沁みましたねぇ。

結局わたくし的には ここに散りばめられたメッセージ的なモノ。素直に伝わったとはよう言いません。
園子温監督の考えることなんてそう簡単には理解できひんやろうし。

でもわたくしも好きな要素であり、この場合ピースと言っていいかな。
それらが垣間見えて 心地よい映画であったのは間違いないです。

さて、様々なレビューを見ると これはこれで賛否両論。
多くの感想の中に「新宿スワン」では園子温らしさが感じられなかった…という声も多かった。だから今作に期待していたとか。

う〜ん。それを言うなら。園子温らしさって何?
エロ、グロ、暴力。それらが出たら園子温らしいのか。

わたくしが思うに 園監督の作品って 結構テイストがバラバラで。
たしかにエロ・グロに殺人に寄ってる時期もあったけど、「TOKYO TRIBE」みたいな音楽フューチャーもあるし、今回は怪獣の出てくる特撮だし。
逆に、どんなテーマでもキッチリと見応えあるものに仕上げてみせるのが園子温流とも思っているんだけどね。

そもそも園子温らしさなんて“枠”すら存在しないんじゃないのかな。

話はズレましたが、これはこれで園子温らしい、
愛と夢の怪獣映画ということで いいんじゃないかな。
そのまんまだけどね(苦笑)

DSC_0087.JPG
園まんま!?
posted by 味噌のカツオ at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ラ行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月02日

たこ焼きの詩

近兼拓史
とみずみほ、古和咲紀、澤田敏之、サニー・フランシス
関西の小さな町の団地。つつましく暮らす たこ焼き屋で働く母と野球が大好きな娘。
猛暑の中でエアコンが故障。修理代が工面できないと言う母にふてくされた娘。しかし自分のために懸命の働く母の姿に触れ、思いやりの気持ちが芽生えていく。

回数券のチケットが余っていたので、何の気なしに鑑賞。

ストーリー的なこと、テーマ性、メッセージ…といったことよりも、「ゆるいなぁ」という印象の方が強く残りました。

舞台となる たこ焼き屋さんは実際に存在するお店なのかな。モデルとなったお店、実際はたこ焼き屋ではないの!?
作中では“インド人のたこ焼き屋さん”との触れ込みだけども。調理も行うオーナーさんですが、たこ焼きに関しては店長である主人公の母親が焼いているという。
“インド人のたこ焼き屋さん”ってそういうことなん!?

女子中学生に人気の Permanent Fish とは何者?男性アカペラグループ?
あ、あぁそうなんや。知らなんだ。

そして なかなかの尺を使って繰り広げられるサンテレビ劇場。
ベタでぎこちなくて、見ているこっちがこっ恥ずかしい感じがしてきます。
さらに「関西人、みんながみんな おしゃべりがうまいわけではないんだ」というのが良く分かるVTRでした。

そしてそれとなく登場する“山善”という文字。正しくは“ジェネリック家電製品”の山善ということなんですか。
ジェネリック薬品とはよく耳にしますが、ジェネリック家電というジャンルもあるんかいな。

いろいろ探っていくと この作品の製作について、大元になるのはその山善さん。
そこに関西のローカル局、地元のタレントさんにお店、有志が協力して撮られたんだと。

たまにこういう作品を目にしますと、一般的に製作され上映されている映画のクオリティの高さを思い知りますね。
それだけ芝居もアレですし、ツッコミどころも目に余るほどありますし。

ん〜まぁ、これはこれでローカル臭プンプンのほのぼのした感じはよく出てるけどね。
これはこれで、出演者やベースとなっている設定を知ってる人なら十分ニコニコできたであろう。
やっぱりローカルムービーということで。それ以上はアレコレと口出しするものでもないってかな(苦笑)
posted by 味噌のカツオ at 21:28| Comment(0) | TrackBack(0) | タ行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする