2016年07月31日

ロスト・バケーション

ジャウム・コレット=セラ
ブレイク・ライブリー、オスカル・ハエナダ
人がほとんどいない秘境のビーチを訪れた医者のナンシー。理想的な環境でサーフィンを楽しんでいたのだが。
突然 一匹の巨大な人喰いサメが彼女に襲いかかる。必死に近くの岩場までたどり着くと、足からは大量の出血。やがて満潮になれば その岩場も沈んでしまう。危機的な状況に追い込まれたナンシーは…

楽しいバカンスのハズが大海原に取り残されてしまうパニック映画「オープン・ウォーター」と「オープン・ウォーター2」。
そんな孤独感と「ジョーズ」に代表されるような人食いサメの恐怖を掛け合わせたようなシチュエーション。
まぁ一作目の「オープン・ウォーター」にはサメも絡んではくるんだけど。

病気だった母親を助けることのできなかった医師のナンシー。父と妹を残し、一人で訪れたのは、地元の人がボチボチ足を運ぶ程度の秘境のビーチ。

海の上に浮かぶ大きなクジラの死がい。
そんなものを横目に見ながら、もう一本…というところをサメに襲われ 足から出血。
かろうじて岩場に辿り着いたものの、海岸までは200メートル。血の臭いが漂うのか、サメが離れる気配はなし。
果たしてナンシーの運命は!?

といったところですが。
登場するのは数名の人間と一匹のサメ。
本筋をしては、ナンシーとサメの一騎打ち。

そこにあるのは時間に限りのある岩場と少し離れた海洋のブイ。
というわけで、そないにメチャメチャ見せ場があるわけでは…ないとも。

その分、キレイな海の映像、サーフィンのシーン。そして主人公のお尻を狙ったサービスショットなんかも。
ちなみに主演のブレイク・ライブリーは「デッド・プール」ライアン・レイノルズの嫁さんでもあり、今話題の女優さんだとか。

それはさておき。
とにかく武器もない中で、そうそうサメとやり合うことのできない中、時間と闘い、絶望感を乗り越えと。そういう展開。
決して つまらないわけではないけども、あくまでドキドキ ハラハラしながら、その時間経過を見守るという映画だったかな。

悪くはないけれど、もうひとひねり。もうひとつ見せ場がほしかったですね。

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略して「ロスバケ」やね
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2016年07月20日

ファインディング・ドリー

アンドリュー・スタントン
(声)室井 滋、木梨憲武、菊地 慶、八代亜紀
「ファインディング・ニモ」から1年後の世界。なんでもすぐに忘れてしまうナンヨウハギのドリーだったが、ただひとつ忘れなかったのは“家族の思い出”であった。
ドリーはかすかな記憶を頼りに、ニモとマーリンと共に家族を探す旅に出る。

「ファインディング・ニモ」から1年後の設定。とはいうものの、現実世界では13年も経っておりましてな。
「ニモ」も見てるけど、さすがにあまり覚えがないのだが(苦笑)

そういった細かいことは抜きにして、率直に今作を見た感想は…やっぱり わたくしにはダメだったわ。
ストーリーとしては、両親とはぐれてしまったドリーが、周囲の助けを得ながら家族と再会するまでを描いたものですわね。

ハッキリと明示はされてこそいないけど、ドリーは記憶障害なのかな。
症状としては 細かな記憶が続かない〜というものですが。

わたくし的には あれだけベラベラしゃべって、一カ所にジッとしていられなくって。
多動性障害?アスペルガー?いろんな見方ができるかとも思ったんだけど。

幼少時に親と生き別れて。それなりに成長した状況から映画は展開。
あんなに記憶のままならないヤツが、そこそこ大きくなるまで放浪していたってのも少々心配なのだが。

周囲には優しい生き物ばかりで。わりと普通に、ドリーはドリーとして接しているんだけど。
どうなのかな、記憶障害のある子には それ前提で応対しないと、いくらかまずいことになりゃしないかと。その点から考えて、マーリンが怒鳴ってしまうシーンなんてのはリアリティありましたね。

それはさておき、わたくしが映画としてツラいなと感じたのは、展開の早さとセリフの多さ。
登場人物(?)は皆よくしゃべる。それでいてドリーが「忘れちゃった」で話を止める。
映像的にも あっちの海から こっちの水槽まで、どんどん転がっていきます。

そのくせ、決して大きな事件が起こっていないんじゃないかと。
その中に“悪役”が登場するでもなく。基本的に主人公が迷路の中をグルグル回るお話で。
それを あのペースで見せられ、あのペースでしゃべられて。
疲れた〜を通り越して ちょっとアタマ痛くなってきたし。

そして終盤のカーアクションのパート。ワシ、こういう道徳無視をまるで美談のように見せるのは大キライで。
あのカワイイ ラッコちゃんたちを盾にしてトラックを止めたり、タコに車を暴走させて逆走させるのは大迷惑でしかないのだが。

そんな大パニックの果てに、感動の再会はちょっとノリきれなかったよね。既に頭痛だったしさ。

エンドロール後のエピローグも、そういうことなのかな〜はわかるけど、イマイチ本編のテーマとリンクしていない蛇足な印象が拭えなくて。
それ自体は良いことなのはわかるけど。

序盤に 舞台のお芝居の演出っぽいなってのはちょっと考えたけど。あまり意味ないことだけど。
結果的に、これだーって場面が印象にない。

強いて言うなら、八代亜紀って何回言うねんと(笑)
これはいい意味でのインパクトだったか。
あとマーリンが木梨憲武というのをエンドロールで見てビックリしちゃった。

ぶっちゃけ、起承転結で言うなら、最終的にドリーがパパとママと再会を果たすのは…織り込み済みなわけなんですよ。
なので そこに至るまでの部分にサプライズ的な何かが欲しかったか。

あるいは ああいうキャラの子ならではのメッセージが欲しかったかな。
むずかしいかもしらんけどね。

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ベッキーは汚名返上できたかな?
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2016年07月18日

シング・ストリート 未来へのうた

ジョン・カーニー
フェルディア・ウォルシュ=ピーロ、ルーシー・ボイントン、ジャック・レイナー
1985年のダブリン。大不況により父親が失業し、荒れた公立校に転校させられた14歳のコナー。
街で見かけたモデル志望のラフィナの美しさに惹かれ「僕のバンドのPVに出ない?」と口走ってしまう。慌ててバンドを組んだコナーは、ロンドンの音楽シーンを驚愕させるPVを製作することを決意する。

監督は「ONCE ダブリンの街角で」や「はじまりのうた」など音楽が関わる作品を手掛けてこられたジョン・カーニー。

そのジョン・カーニー監督の半自伝的映画とのことらしいのですが。
監督は1972年生まれとのことで。1971年生まれのわたくしとはモロ同世代。
だ・か・ら、この作品に描かれている時代背景、文化、そして音楽は直撃世代でありまして。

そりゃあもう、たまらない作品でございましたよ。

舞台となっている1985年。
いわゆるMTV(三重テレビじゃないよ)が勢いを増して、MVというツールとともに注目が広がっていった時期でした。
音楽が映像を伴っていくことで、音楽的センスだけでなく、ビジュアル面、あるいはMVのクオリティも競われはじめた頃でした。

主人公コナーは両親の関係が悪化することで、学校を変わることを余儀なくされ、また移った学校が非常に環境が悪かったと。
学校に居場所を見つけられない、また両親のケンカで家でも落ち着けない。そんな彼の唯一の楽しみが、兄と一緒にロンドンのMVをテレビで見ることだったんですね。

わたくし自身にもバンドやってたアニキがいて。
当然アニキの聞く音楽をこっちも耳にするもので。そういう影響って少なからずありますわね。

このコナーのお兄さんってのが またセンスがあって。
もちろん音楽の面だけでなく、青春の扉をひとつひとつ開くサポート役だったのも素晴らしい。

ひょんなスケベ心(?)からバンドを組み、PVを撮ることとなったコナー。
あの最初の曲の衣装のチョイス。誰ひとり“そういう”ことの理解していない中、各々の自宅にあった一番派手な服を持ち寄った感がまたお見事。
そんな場面を始め、当時のアーティストを揶揄ゆるようなセリフや音楽の話題で、結構 劇場の中に笑いも起こっていました。

「カバー曲なんてダサいぜ」とオリジナルの製作に挑むコナーたち。
今バンドが置かれている状況、コナーの思い、それらを作品に盛り込んでいく過程も面白かったし。
歌詞の表現や音楽のスタイルも、じつに当時を思わせる“らしい”曲調。

そんな、80年代っぽいオリジナルと、実際に当時流行っていた曲が交互に流れるのも嬉しい演出で。

オリジナル曲も増えて、学校で行われるパーティでギグ(この言い方すら涙モノ)をやろうぜと。ここからのラストまでの畳みかけにもいろんな名場面が詰まってて。

彼女が一人で空き地でデモテープを聞き涙ぐむシーンなんか、そのままカセットテープのCMになりそうだったし。
「ここでバラードは盛り下がるぜ」「いや、やろう」。「ここでこんな曲やったらもう演奏できなくなるかも」「もうどうなってもいいよ」。
そんなやりとりも未来を信じていればこそだし。

そして「サイコーなヤツだぜ」と歌詞を送り、コナーと彼女の旅立ちをもろ手をあげてサポートするアニキの姿なんてのもイカしてるわ。
この辺りの終盤の展開、おもいがけず もう目がウルウルきちゃって。
いやぁたまんなかったなぁ。

そもそもシング・ストリートが最初に音を出した時の不安定感にヒヤヒヤしつつ。
新たな作品も作りながら様になり。気付けば その音も洗練され、ビジュアルも垢抜けて、ハートも強くなっていって。

わっかりやすい成長の物語でありながら、そこにあざとさを残さないのは監督の手腕なんでしょうか。
またまた良い作品に出会えました。シング・ストリート、サイコーの1985に乾杯です!

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“人生”という名のバンド、あったよ
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2016年07月17日

青春100キロ

平野勝之
上原亜衣、ケイ、タイガー小堺、智子
引退を発表した人気AV女優の上原亜衣。その最後の作品に出演する素人100人が集められたが、その中の一人・ケイくんに とある条件が与えられた。
それは2日間で100kmを走りきれたら上原亜衣と会う事ができる、というものだった。

たいがいの男子がお世話になったであろう上原亜衣ちゃん。その彼女が様々なランキングで1位を獲得。
それを受け「目標が持てなくなった」として引退を表明。

その最後の作品に出演できる多くの素人が集められました。その中の一人、ケイくん(仮名)はマラソン経験者である事。またスタッフの中から「彼は何かを持っている」と見初められ、とある条件を言い渡されます。
それが、2日間で100kmを走りきれたら上原亜衣と生中出しができるというもの。

2015年の年末。新宿の都庁前をスタートし、亜衣ちゃんが最後の撮影を行っている河口湖までの100キロを、2日かけて走るという企画。
今作の監督であり、自転車でケイくんと並走するのが「監督失格」の平野勝之。

滞りなくスタートしたものの、スタッフ間から「これ、見てておもしろいか?」との疑問が。
そこで あれやこれやアイデアを出し合っているうちに、思ってもみなかったトラブルが発生。

ある意味 起こるべくして〜的な。さらにフォローの甘さも手伝ってなかなか面白かったですわ。

やがてトラブルも解消し、大きく時間ロスをしながらも ふたたび走り出すケイくん。
時間、距離、そして寒さと闘いながらゴールを目指して走ります。

まぁ言ってしまえば“忍耐”という文字の似合う過酷な展開。
しかしケイくんのピュアな思い。楽天的な監督。そこに挿入される天使・上原亜衣。
なんやかんやで見入ってしまいました。

しかし特筆すべきは ケイくんのひたむきさ。
見る側からすると、これはかなりキツいんじゃないかと。足が動かないんじゃないかと。そんな風に見ているんだけど、一貫して「亜衣ちゃんに会いたい」その思いのブレなさたるや。
今の若者が…いや、自分自身も含めてここまで真っ直ぐになれるものかと。おもわず問い掛けてしまいます。

そして訪れる感動のひと時。
目頭も、股間もアツくなると言っても過言では…

「最後の相手が彼で良かった。一番、目を見つめてくれた」という言葉も印象的。
また最後の撮影を終えて「青春が終わった」なんて言葉も。

方やゴールをクリアし、フィニッシュを迎えたケイくんの全ても、やはり青春を感じさせてくれて。
まさに「青春100キロ」とはこういうことなんやね。。。

とまぁ上手いこと言えないけど、テーマがテーマではあるけれど、なんかいいもん見たなと思わせてくれる作品であります。
100キロ走ってることヌキにして、率直に「うらやましい」と思ったりしてね(笑)

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亜衣ちゃん、お世話になりました。
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2016年07月07日

日本で一番悪い奴ら

白石和彌
綾野 剛、中村獅童、YOUNG DAIS、植野行雄、ピエール瀧
大学柔道部での腕を買われ、北海道警察の刑事になった諸星。当初は正義感の塊であったが、悪徳刑事・村井から「裏社会に入り込んでS(スパイ)を作って点数を稼げ」とのアドバイスを得る。
やがて諸星は規格外の捜査に乗り出すが、その手法は次第にエスカレートしていってしまう。

2002年に起こった“日本警察史上、最大の不祥事”とされる「稲葉事件」をモチーフにした作品。
一応“フィクションです”とも出ますし、登場人物もモデルとされる人とは違う役名になっています。

でも堂々と「北海道警察」と出しちゃってるけど。その点は大丈夫だったのかしらん(苦笑)

まずは何よりキャストがみな素晴らしかった。
ピエール瀧の“ホンモノ”感。意外と つぶらなお目目の印象のある中村獅童は終始グラサンで 雰囲気バッチリ。
「TOKYO TRIBE」以来となる YOUNG DAIS も、デニスの植野行雄もキャラクターがハマってました。

そして今作でも絶賛の声が多い綾野剛。
「ガッチャマン」の当時は「まぁイケメンの人なんでしょ」ぐらいにしか思っていなかったけど、それ以降の作品はいずれも好印象で。気がつけば 信頼できる役者として認識しております。

大学を卒業後、柔道の腕を買われて警察へ。
北海道警察の柔道部を全国優勝に導いたものの、捜査や事務に於いてはなにもかも上手くはいかずで。

しかし悪徳先輩刑事からレクチャーを受け、刑事とは なんたるか〜とレクチャーを受け、バカ正直にそれを実践。
根っからの素直さゆえ、そっちの道に邁進。みるみる出世街道をまっしぐら。

名前を売るために名刺をばら撒き、やがてススキノを歩けば誰からも声をかけられるような存在に…
って この姿が「新宿スワン」での綾野剛ともかぶってた感じ。

物語的には どんどん上り詰めていってるわけですが、こっちから見てると 自分が落ちるための落とし穴を掘り進めているようにしか見えなくて…笑えます。

目先の悪事を積み重ね、やがては上司からも“それ”を期待され、そのバリューがどんどんエスカレート。
そんな計画が膨らみに膨らんだところで、裏切られ、転落の道へ。

映画は綾野剛演じる諸星が逮捕されるところまでで終わりますが。
モデルとなった実際の事件に関して、裁判や本人の著書を通じて「北海道警 最大の不祥事」がその裏にあることが明かされていきます。

この主人公の男、若い頃には柔道全国大会優勝で道警の名を広め、晩年には最大の不祥事で悪名を広めたというのも因果なものです。

確かに悪いことをしでかしたのは間違いない。
ただ その動機については、ただ真っ直ぐに、純真に、信じた道を進んでいったことによるものだと。そんな印象。

だからといって この不正の数々が許されることは無いであろうし、悪気が無い分 たちが悪いって気がするけどね。

そんな実際の事件がモデルとなっているので、現実離れしすぎた展開こそないものの。悪事のひとつひとつ、人間関係のエピソード、それぞれが滑稽なので。全編面白おかしく見られるのですが。
2時間15分という上映時間も相まって、後半はこちらも疲れてきちゃったな。
楽しめたけど、もうちょっとコンパクトにまとめられてたら。。。

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あぶない刑事(笑)
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2016年07月05日

葛城事件

赤堀雅秋
三浦友和、南 果歩、新井浩文、若葉竜也、田中麗奈
美しい妻との間に2人の息子も生まれ、念願のマイホームを建てた葛城清。しかし家族を抑圧的に支配するようになり、一家のバランスは崩壊。長男は会社をリストラされ、次男は引きこもり生活。
それでも清は己を変えることなく、やがて さらに大きな問題が起こり…

先日見た「クリーピー 偽りの隣人」と同様に、この作品も登場人物みんな どこかおかしいと…そんな感覚もなくは無かったけど。
圧倒的にこちらの方が見応えありました。

主なキャストは決して多くは無いけれど、みな素晴らしい演技でありまして。
主演の三浦友和さんは当然ですが、ワシが子供の頃は“二枚目・青春スター”と言われた当時を思えば、ここまでの役柄は よりズシリと響いてきます。

葛城家。まず、次男は死刑囚であると。
そして 次男と獄中結婚をした女性が現れます。
そこから現在に至るまでの物語が明かされていきます。

この家族が こんな結末に至ってしまったのは、やはり父親の存在なんでしょう。
冒頭のやり取りからすると、家族を失って自暴自棄になったのかと思いきや、もう子どもが幼い頃からそうだったんだなと。端的に言うなら抑圧的であると。

ただ それが全ての原因とは言えないかな。
ちょっと気になったのは、食事シーンがとても多い映画なんだけど、全てと言っていいのかな、コンビニ弁当、カップ麺、外食、出前。
すなわち家庭の味ってのが(映画の中では)存在していないんだよね。それも結構気になったんだけど。

ただ夫に愛想をつかした妻と次男が家を出て。そこに長男が訪ねてくる場面は、ぎこちないながらも家族を謳歌しようとする気持ちは感じられましたが。
それもやはり父親の存在でもろくも崩れ去るんだけど。

そして抑圧されて育った子どもたち。
長男は結婚はしたものの、仕事に於いて営業仕事や再就職の面接など、他者と関わることができなくて。
息子から決定的な一言を聞かされ、最後の決断に至ってしまいます。

次男もやはり他者と関わることができないのか 引きこもりの人生で。
窓から近所のおばちゃんたちを見下ろし「ヒマなのかねぇ」とつぶやく引きこもり青年。

彼が父親とふいに交わした会話でとても気になったものがありました。
「コンビニに行ってた」「何もほしいものがなかった」

今の若い人に夢が無いとか、目標が無いという言い方もあるけれど。
社会全体がコンビニみたいに モノがあふれてるはずなんだけど、自身がなりたいもの、手に入れたいものが定まらない。どうにも動き出せない。そして引きこもり。
なんか、そんなメタファーだったのかな。

そして事件を起こした次男と獄中結婚をする女性。
その行動の衝動は、罪を犯した人の心に向き合いたいと。反省や人間らしさを導きたいようだったけど。
結局その行動がエゴにしか見えなくって。彼女の語る言葉、全てがキレイごとにしか思えなかったね。
でも ああいう思考の人って、いそうだなと。
そんなキャラ造形をしちゃうのも凄いなと。

葛城家は目に見える何かがあって、こんな末路を辿っていったわけではなく。
長年にわたってひずんでいって、気が付いたら取り返しがつかなくなってしまっていたと。

炎を浴びた火傷はまだ手当てができるけど、ジワジワを熱を帯びた低温火傷って治療が難しいって。
なんかそんな印象。

さてさて、一点だけ気になったのが、次男が凶行に及ぶシーン。
駅の構内で刃物を振り回すわけですが、誰一人として逃げない。その状況をジッと見てたのが違和感がありました。

なんなら観客は「死刑になるようなことをやったんだな。あのデカいナイフで」ってのはわかるので。また最後の面会の際に、自分がどんな人間なのかをしっかり言葉にしてみせるし(とても良いシーンでした)。
だから あの凶行の映像、無くてもよかったんじゃないかな。

見終わって、とても後味の悪い。でも考えさせられる。今年は そんな日本映画が多くって。
これもまたそんな一本でしたが、見て良かった作品です。

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最後の晩餐はコーラとなりました
posted by 味噌のカツオ at 23:38| Comment(0) | TrackBack(0) | カ行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月04日

帰ってきたヒトラー


デヴィッド・ヴェンド
オリヴァー・マスッチ、ファビアン・ブッシュ、フランツィシカ・ウルフ
70年の時を越え、現代にやってきてしまったアドルフ・ヒトラー。その姿をたまたま見つけたテレビマンが“そっくりさん”として彼をスカウト。
さっそくTVショーに登場したヒトラーだが、その振る舞い、発言が受け入れられ大人気に。やがて大衆の心を掴み始めていくのだが…

あのヒトラーが現代によみがえったら〜という発想は確かに面白い。アイデアの勝利かと思いきや…
実際、映画のデキとしても予想以上に楽しめました。

もちろん 偉人が(凡人であっても)タイムスリップして現代に現れることはありえません。
でもでも この“映画内”に於いて、この人はホンモノのヒトラーさんなんですね。

その御人を リストラされて後がないテレビマンが“お笑い芸人”として“ものまねタレント”としてスカウト。
テレビ局に売り込むべく、ヒトラーさんを連れて全国行脚。ヒトラーが現代の国民と触れあう姿を撮影していきます。

ところが、この映画は完全なる劇映画ではなくって。
このくだり、ホントに民衆の中に入り込んでいって撮影がされています。
この“役柄のまま”街に出ていく描写は、サシャ・バロン・コーエン(イギリスのコメディアン)がカザフスタン人のふりしてアメリカをレポートする「ボラット」みたいな印象で。

当然ながら 現実には どこの誰かが時を越えて現れるなんてことはあり得ません。
なので、カメラを向けられた人々は“空気を読んで”ヒトラーとコミュニケ―ション。
直々にヒトラーに伝えたいことを伝え、時には議論を戦わせ、あるいは触れあって。そんな映像の数々。

見る側の印象として、こういう提示の仕方をされるとは思っていなかったので、たいそう興味深い仕上がり。

一方のヒトラー総統は、相当 頭の優れた方だったのでしょう。
ここが2014年であることを認識し、新聞を読み、進められるがままにインターネットに接続。ウィキペディアであらゆる情報を入手。
そのうえで、現代へのメッセージを発していきます。

しかしまぁ世には様々な問題があるんだとは思いますが。
少子化や難民の問題。政治政党への不信感などなど。

結局のところ ドイツにしろ、イギリスにしろ、似たような問題があるんですね。なんならアメリカだって、日本だって同様かも。
そこで問題提起をしたり、指導力を発揮する存在ってのが、やはり共通して世界中で求められているのでしょう。

わたくし的には この“劇映画”が一つの着地点を明示しているとは、特段は感じませんでした。
でも 現代に於いて、圧倒的な指導者・先導者の存在は必要なのかもしれないと。
ある種の閉塞感をブチ破るためには、そういう人があってしかるべきと。

しかし、歴史に於いて 行き過ぎた思想家が人々を導くではなく、人々の思いから押し出された存在が指導者となる。
だがしかし、その指導者があまりに力を持ちすぎると、やがてその思考(志向)が独裁者となっていくんだなと。
そんなことを考えさせられました。

まぁヒトラーとまではいかずとも、今の日本に田中角栄が現れたら どんなことを言うのか。
そんな妄想までしちゃいました。

ちなみにヒトラーを“堂々と”演じきったオリヴァー・マスッチさんは 決して有名な役者さんではなく、ヒトラー然として振る舞える実力派舞台俳優なんだとか。
このキャスティングが、成功の一大要因だったのは間違いないですね。

なかなかの佳作。見て良かったです!!

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ヒトちゃん ペ!
posted by 味噌のカツオ at 01:04| Comment(0) | TrackBack(0) | カ行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする