2017年09月19日

三度目の殺人

是枝裕和
福山雅治、役所広司、広瀬すず、吉田鋼太郎
解雇された工場の社長を殺し、死体に火を付けた容疑で起訴された三隅。自ら自供し、30年前にも殺人の前科があり、ほぼ死刑が確定しているような裁判だった。
やむを得ず弁護を任された重盛だったが、会う度に三隅の供述が変わり、動機が希薄な点にも違和感を覚え始める。

あまりにも面白すぎて、いろいろレポートやインタビューなんかも読みましたが。
弁護士・重盛と被疑者・三隅の戦いでもあるし、リアルに福山と役所の演技バトルでもあったみたいですね。

裁判というのはアメリカでは「神に誓って…」的な要素もありますが、日本の司法に於いては神はおりません。
と同様に、この映画では是枝監督すら(撮影しながら)真実がわからなくなっていったという…

それ聴くだけでも また面白い。

法廷ものって検察と弁護士の駆け引きであるとか、事件の真相を明らかにするため どんでん返しが起きるとか。それでこそ映画というエンターテイメントになるんだけど。
この作品では そういうアプローチはしておらず。

実際の裁判でも、そんな“大岡裁き”みたいのはありませんと。
法廷とは「真実を究明する場ではなく、利害関係を調整する場」という“真理”のもとで企画・製作されたのだと。

これまでの裁判をテーマにした映画とは一線を画し、よりリアルであるとも言えるし、とてつもない問題提起のようにも…
それでいて、エンターテイメントとして、映画として完成されている作品だと思います。

冒頭の吉田鋼太郎さんの軽妙なリズムに乗せられる感じで引き込まれ、事件のあらましがわかっていきますが。
時間経過と共に変わっていく三隅の供述。そこに加わっていく外部からの証言。
さらに 夢なのかイメージなのか、インサートされていく映像。

それらが示されていくごとに 事件の真相が見えてくるんだけど、それと反比例してそれらが信じられなくなるという不思議な感覚。

福山が以前演じた父親役では 当初は育児・子どもの教育に向き合えない節を見せつつ、次第に父親になっていく役どころったわけで。
それと同じく ここでも序盤はあくまで勝利至上主義の弁護士で。真実よりも 有利な結果を導き出すことに重きを置いていた男だったのですが。

ここでは三隅に翻弄されるうち、次第に真相に辿り着こうという思考に変わっていくというもので。

映画ってそういう変化で登場人物の成長だったり、真相を知ることでカタルシスを得る側面もあるわけですが。
この作品でも、山場のシーン。その決定的な向き合い方をするシークエンスがあるんだけど。

普通の映画であれば「そうだったのか」となりそうなところ、ここではそんな風に思わせてくれません。
結局またモヤッとさせられるという。

わたくし的に、ちょっと前にテレビで冤罪の死刑囚のドキュメンタリーなんかも見ていたので、ここで扱われるストーリーも ずいぶんとヒリヒリと見たわけですがね。
多くの人からすると そういうことよりも、実際はどうなのかがわからないのでつまらないという。そんな評価になるみたいですね。

全て提示されるもの受け止めてOKかNGかを判断はすれど、映画を見て考えるというトコまで至らない風潮。
この手の映画って受け入れられにくいんだなぁ。

表面上のウソかホントかだけでなく。感情、プライド、駆け引き、情念が渦巻いているので、メチャメチャ展開に釘付けになりましたわ。
見応えありまくり。

福山雅治、役所広司、広瀬すずは言うに及ばず。キャストはみな素晴らしかったし。
斉藤由貴なんかは、今 不倫騒動で話題となっているけど、それって映画の宣伝ためだったのかと言いたくなるほどに…ある意味ベストなキャスティングやね(苦笑)

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名古屋市役所に役所さんは来なかった
posted by 味噌のカツオ at 17:23| Comment(0) | サ行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月18日

ダンケルク

クリストファー・ノーラン
フィン・ホワイトヘッド、ダミエン・ボナール、アノイリン・バーナード
1940年。フランス北端の海辺の町ダンケルクに追いつめられた英仏40万の兵士たち。
ドイツ軍の侵攻が迫る中、イギリスでは軍艦だけではなく民間船までもがダンケルクへ向かい、史上最大の救出作戦が始動していた。

クリストファー・ノーラン、初の実話ベースの実写化。もちろん映画ファンなら押さえておくべき作品かなと思うわけですが。劇場で席に座って気がついた。

この映画のことを知らなすぎる。あらすじもキチンとチェックしていないし、こちとら歴史に疎いもんだから、史実としてのダンケルクでの撤退作戦も そもそも理解できていない。
それなのに いきなり鑑賞して楽しめるのかと。そんな疑問を抱えつつ始まったわけですが。

ベタな邦画のような説明もなければ、そもそもセリフ自体も少なめ。
であっても、今がどんな状況で、おそらくこんなことが起こっているのだろうと。その点はついていけましたね。
さすがの映像表現力。

ただし事前にわかっておくとより楽しめただろうと思う設定が(キャプションで登場するけれど)海岸での1週間。民間船の1日。戦闘機の1時間の物語であること。
それを同時並行で見せつつ、要所でクロスしていく感じなのかな。

過去作でもそうらしいけど、ノーラン監督はリアリティを追求しまくる作風で、3Dを使わず実際にとんでもないセットを作ったり、撮影用に強大な畑を作ったり、無重力状態を作りあげたり。
そこで よりリアルな映像を撮影していくと。

今作に於いても、よくもこんな…と思わされる映像の迫力は素晴らしかったです。船であったり、橋の銃撃であったり。特に戦闘機は機内も、見上げる映像もハイクオリティで。
もうひとつ言うなら、音ですね。爆撃や銃撃の音は ほぼほぼガチで怖かったし、なんなら嫌悪感情すら覚えましたし。

これまでにも戦争映画を見て、良くも悪くも緊張感を体感することありましたが、間違いなくこの作品もそういった思いはありました。
が その反面、ドラマ性が やけに薄いなというのが正直なところ。

物語の主軸がコレというよりも、陸・海・空、様々なパートがあっての群像劇というべきか、登場人物の立ち位置があるんです。
んで、群像劇であればそれぞれにもストーリーをつけそうなものだけど、ここではグイと感情移入をできるほど、人物をクローズアップしていないんですね。

映画の作りとして様々なシチュエーションでの危機を 時間軸を違えて(106分で)見せるので、ドラマ性よりも映像のスゴさが印象に残るのはしょうがないのかな。

これまで目にした大半の戦争映画は、冒頭に“つかみ”の戦闘シーンがあって。それから主人公がどんな思いで、何を背負って戦地にいるのかが語られ。クライマックスの戦火の中、主人公は生き残れるのかと。
映像にドキドキして、ドラマにハラハラするものが多かったと思うんですよ。

だからそれを思うと、どうしても感情を揺さぶられるところまではいかなかったなと。率直な感想であります。

無理やり結論付けるなら。
映像が示す通り戦争ってとことんシビアだけど。誰かが助かって、家族の元に帰って来られて良かったとか。そこに英雄がいただとか。そういった美談に昇華するものでもないのかなと。
そもそも無いにこしたことはないのかなと。戦争なんて。
posted by 味噌のカツオ at 01:04| Comment(0) | タ行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月17日

散歩する侵略者

黒沢 清
長澤まさみ、松田龍平、長谷川博己、笹野高史
行方不明の後、別人のようになって帰ってきた夫。仕事もせず ぶらぶらと散歩する夫から「地球を侵略しに来た」と告白され妻は戸惑う。
一家惨殺事件を追うジャーナリストが、一人の青年と出会う。彼から「自分は侵略者で仲間を探している」と告げられ、半信半疑ながら密着取材を申し入れるのだが…

“散歩”という言葉の持つゆるやかさと、“侵略者”という言葉の持つ危機感。
タイトルからして「?」と思わざるを得ない作品。ではその作品で何が語られているのかしらん!?
ただし 黒沢清監督作品って、一筋縄ではいかないのよね。

実際今作もそうで。
まるで人が変わってしまった夫。会話の馴染まない若者。それらは ただの変わり者というわけではなく。地球人の持つ価値観を持ち合わせていない宇宙人であるという設定。
ゆくゆくは地球を侵略するべく、人間の体を借りて 地球人について調査していると。

そうか、宇宙人が人間の体に入り込んでいるんだね。
それ すなわちウルトラマンと一緒やね。
って本質、全然違ったけど。

まぁ地球人としての矜持を持ち合わせていないので、理解し得ない行動や会話が出てくると。それがそのままストーリーの本筋となっていくと。
さらに そんな侵略者を突け狙う(笹野高史率いる)政府(?)の一団も登場。
またまたカオス。

地球の侵略を企む宇宙人は、まず地球人を知るために、概念を奪い去ってしまいます。
「家族」「仕事」「自分」などなど。またそれらの概念を奪われてしまった人間は、その概念の欠落してしまった人間となってしまいます。

わたくし自身、そうやって概念を奪われた人と会ったことないのでアレだけど、仕事という概念を奪われるとああなるのかな?
何かイマイチ ノレない感がある。

そもそも冒頭のくだり。女子高生が道を歩いていて、その後ろから迫るノロノロ運転のトラックが急ブレーキして、あんなクラッシュ起こしますか?
そういうリアリティを感じられない中で、ストーリーにのめり込んでいく感じになれなかったんだけど。

物語的には ああなって、こうなって、最終的には あの概念を奪ったことでこうなってしまったということなのかな。
今作で描かれている概念。わからないでもないけれど。

この作品、元々は劇団イキウメの舞台を映画化したものであると。
概念を奪うであるとか、地球を侵略しに来た宇宙人であるとか。それら荒唐無稽な設定を“表現”するのって、そもそも舞台の方が向いているような気がします。

舞台であれば見せ方の奥行きも必要ないし、これは そうです…という体で、見る側も受けられますから。
それが映画となると、“ごっこ”では済まない。形としての映像化が求められますからね。

どうも映画作品として、わたくし的には響かなかったわけですが。
ただ 役者さんたちは、みな良かったと思いました。

キッツイ長澤まさみ、まるで宇宙人のように何を感じて何を考えているのか掴めない松田龍平。
世間を斜に構えて見ている様な長谷川博己。

あと人が変わったような前田あっちゃんの上手さも印象に残りました。

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概念が無いねん
posted by 味噌のカツオ at 20:21| Comment(0) | サ行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月11日

新感染 ファイナル・エクスプレス

ヨン・サンホ
コン・ユ、キム・スアン、チョン・ユミ、マ・ドンソク
ソウルからプサンへ向かう高速鉄道KTX。その車内で突如起こった感染爆発。逃げ場のない列車内で次々に凶暴化していく乗客たち。
偶然乗り合わせたある父と幼い娘、妊娠中の妻とその夫、学生たちが、生き残りをかけて決死の戦いに挑んでいく…。

この作品は 日本公開のかなり前からチラシが出ておりまして。
一見するとゾンビモノであると。電車の車内でソレが発生。つまりは逃げ場のない車内の中でってことでしょうと。それぐらいは想像がつきますわね。

でもゾンビってある意味で使い古されちゃってるテーマでもあるし。邦題が「新感染」ってベタだよねと思ってしまったり。
そのくせ、えらく評判がいいんだよね。

ってなわけで 念のため、鑑賞をしてきたわけですが。
さすがは韓国映画。日本じゃ無理だろってレベルのダイナミズムと、クライマックスの畳みかけ。
見事にやられましたね。超・見応えありでしたね。

ダラダラしないイントロダクション。そしてすぐさま舞台は ソウル発プサン行きの高速鉄道KTX車内に。
あっという間に車内に“疑わしい”女が乗車。凶暴化したゾンビに映画的な“溜め”が通用するはずもなく、一気にパニックに。

ここまでの展開自体、高速鉄道並みに早かったね。
おそらくケチな邦画だったら もっとジワジワからの「ジャーン!」ってやりそうだけど(苦笑)

そんなパニックスタートの早い分、以降は 途中の停車駅、車内、トイレ、空き缶など様々なアイデア駆使して見せ場を作ってくれてます。

さらに 上手いと思わせてくれたのが、まさに老若男女・登場人物たちのキャラクターによる人間関係の作り方。
まぁまぁモブ系かなと思ったキャストが重要な動きを見せたりするので、その都度 心動かされます。

主人公はぶっちゃけ いけ好かない。「なんやねんコイツ」と思うんだけど、わざとらしさを思わせることなく 成長させていくんですよね。
そしてパッと見 パパイヤさんかと思うようなガッシリとしたおっちゃんの頼もしさったら。

そして これ見よがしにユニフォーム姿でバット持参の高校球児。
仲がいいのか悪いのか わからない年配の姉妹。そして なぜかもぐりこんでるホームレス男。

みんな その流れの中で見せ場があり、しっかりと感情移入できるんですよね。
「コイツらをこの車両に入れるな」という くだりもイライラさせられたし。

外部からプサンは無事だとの情報がありましたが、実際は本当は大丈夫なのかと。そんな風に見ていたけど、そこまで すんなりたどり着けず、さらなるアクシデントに見舞われて。
この映像は?CG? なんにせよ結構な迫力で。

それに続く、ゾンビたちが磁石に付く砂鉄のようにつながっていく描写もたまらなかったし。

やっとこれで…というところで さらにどんでん返しで。
父親を信頼していなかった娘を、あんな風に心変わりさせるのも やられたって感じだし。その父親のラストをシルエットだけで映すのも上手いなと思ったし。

元々アニメ作品の監督による 初の実写映画とのこと。
あまり韓国製のアニメって評価を聞かないので、クオリティというかそのあたりのレベルはわかりませんが。
間違いなく、今作に於いて そのポテンシャルは発揮されております。

ゾンビパニック、アクション、そしてキッチリと響く人間ドラマ。めちゃ引き込まれましたわ。
ちなみにフランスでのリメイクが決まっているとか。やっぱりTGVが舞台となるんですかね。

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でもダジャレっぽい邦題は気になるかなw
posted by 味噌のカツオ at 00:55| Comment(0) | サ行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月10日

ギフト 僕がきみに残せるもの

クレイ・トゥイール
スティーブ・グリーソン、ミシェル・ヴァリスコ、エディ・ヴェダー、スコット・フジタ
アメリカンフットボールの特別なスターだったスティーヴ・グリーソンは、引退後しばらくしたある日、ALS(筋萎縮性側索硬化症)であるとの宣告をされる。そしてそのすぐ後、妻ミシェルの妊娠が判明。
自分は我が子を抱きしめることができるのかわからない中、グリーソンは子供に残すビデオダイアリーを撮り始める。

『難病であるALSを宣告された元NFL選手が、まだ見ぬ息子に贈るために撮影しはじめたビデオダイアリーが世界中を感動させるドキュメンタリーになった』
というのがチラシの文言。

原題は「GLEASON」グリーソンというものですが、アメフト文化の無い日本に於いて その個人名をタイトルにしても思い入れを込めにくいよね。
それもあって「ギフト 僕がきみに残せるもの」という邦題。珍しく今作では意味をなしていますね(苦笑)

映画のジャンルとしてのドキュメンタリー。様々なテーマの作品が存在します。
厳しい状況を追った作品はもちろんこれまでにもありました。

今作はアメリカに於いての有名なプレイヤーでもあり、現役時代の映像も そりゃあもう多く残っております。
またALSの症状は一気にどうなるものでもなく、徐々に進行していくという特性もありまして。

結果、プレイヤーとして輝きを放っていたグリーソンの現役時代。体調の異変を訴え 病院にかかり始めたころ。症状の進行と共に今後への備えをし始めた状況。
それらからの全部が映像に残っております。

資料や関係者の証言でしか構成できない 戦時中の重大事件のドキュメンタリーなんかと比べても、全編 実際の映像で綴られているってのは、ドキュメンタリー映画というジャンルの ある種の転換期となる作品なのかもしれませんよね。

さて、ALSという症状とは、全身の筋肉の伝達機能が徐々に失われ、歩行や会話ができなくなり、やがては呼吸ができなくなるというもので。
言われてみれば、歩行に関わらず体を動かすこと全般に於いて全て筋肉が動かしているんだよね。会話・しゃべること、表情だってそう。
そしてもちろん呼吸だってそうなわけで。それが動かなくなったら…ということだよね。

自身の体がそうなっていくという、ある種の恐怖と向き合わなくてはならなくなった彼の一筋の光明。
それが 診断と同時期に発覚した妻の妊娠。

7か月後 だか 8か月後には子どもが生まれると。
新たな生命の誕生と反比例して、自身の体は動かなくなっていくだろうと。
そんな状況下で彼が考えたのは、せめて今のうちに 子どもに伝えられることを残しておきたいということ。
そこで子どもに向けたビデオレターを残し始めます。

と同時に、今のうちならでき得ることを〜と、旅行であったり海へのダイビングであったり。語りこそなかったものの、スカイダイビングの映像もありましたね。

やがて妻が男児を出産。新たな生命の誕生で、家族らは新たな希望を感じ取るものですが。
グリーソンの体の機能の低下が顕著になっていき…

難病もののドキュメンタリー。
その体に異変が起きるごとに、見る観客の涙を誘う〜なんて面もありますし、実際わたくしの近くの席のお客様も、割と早い段階からハンカチが登場しておられましたね。

その一方でわたくし自身は泣きモードには入らなかったのだけれど。
最もグッときた場面は、出産シーンでした。新たな命の誕生の尊さの方が、なんか刺激を受けましたね。

そもそも これらの映像の根本は、主題は、父親から息子へ宛てたメッセージであって。

「この人かわいそう」みたいなアプローチのものでもないはずであるし。
そのうえで、難病でALSへの理解が深まったり、支援が集まればそれはそれで有意義であるのかな。

さてさて、イチ作品として、とても見やすかったですね。
ドキュメンタリーであっても スケベ心(?)かなんか知らんけど、不要な演出や妙な編集の仕方で伝わりずらい仕上がりになってる作品もあったりするけど。
その点とても良かったです。

あとはグリーソンさんのハートの強さに尽きるよね。
見て良かったです。

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ALS言うたらアイスバケツだよね
posted by 味噌のカツオ at 22:56| Comment(0) | カ行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月09日

ヤクザと憲法

土方宏史
暴力団対策法、暴力団排除条例が布かれ、次第に組織の離脱者が増えていったヤクザの世界。
大阪府堺市の住宅街に位置する指定暴力団「二代目東組二代目清勇会」の事務所にカメラが入り、今のヤクザは 何を考え、どんな暮らしをしているのかを追ったドキュメンタリー。

東海テレビが製作しているドキュメンタリー作品を“劇場版”として上映する取り組みがありまして。
これまでにも10作品ぐらいが上映されてるのかな。

その特集上映企画で、話題になったもの、テレビでしか放送されていないもの なども含めて21作品が上映されました。
基本、DVD化されないので どれだけ気になったとしても、このような機会がないと見られないんですよね。

んで、今回やっとこさ「ヤクザと憲法」を見ることができました。

昭和の頃には“やくざ映画”なんてカテゴリーも確かに存在して、シリーズ化されたりもしておったわけですが。
そういう“劇映画”ではなく、ドキュメンタリーで実際の組事務所にカメラが入って〜というのは、なっかなかないんじゃないですか。

そんな昭和の時代と違って、昨今では様々な法整備もされ“暴対法”というものができ、必要以上に そっちの世界も住みにくくなってしまって。
いやいや、住みにくいどころか「逆にウチらの人権ってどうなん?」と。

そういう疑問、問題提起とテレビ局のスタンスが落ち合って、今作が製作されたと。
そうは言っても 現実問題、もんのスゴ高いハードルが横たわっていたことでしょうな。

取材される側だって赤裸々にカメラ撮られるし、取材側も 正直コワいはずだろうし。
んでそれを放送する局にも、何がしか風当り強くなりそうな気もするし。

それらの諸問題をクリアし、乗り越えて、視聴者や映画ファンに届けられた映像。実に興味深かったのですが、さてさて。

本当に撮った素材を編集してつなぎ合わせたもので。
ナレーションはナシ。最低限のキャプションが付くぐらいで。
もう、あとは見た人に委ねるカタチですね。

確かに 普通では見られない業界(?)ですので、それとなく興味深い部分もありましたが。
こういっちゃあ なんだけど。

映画としては ややパンチ不足だったかな。
それこそ昭和の頃の、そっちの世界の人口も多かった頃とは違って。現代では法律的にも アレコレ動きにくい状況であるようで。それでは そうなりますわね。

タイトルこそ「ヤクザと憲法」となっていますが。ざっくり言うなら、やくざさんの日常生活を追うパートと、やくざさんの顧問と務めた弁護士さんを追った憲法パートがあって。
それが直で交差する感じでもないので、わたくし的には「そういうことがあって、こういうことがあって」というレベルの印象。

もちろん現在のやくざさんの抱える憂いというのはわかるのですが、驚きであったり、怒りであったり。感情を揺らすほどのものは伝わってきませんでした。
わたくしの見た印象では、聞き手の方が もっとツッコんだ対話をして。もっとデリケートな問い掛けや、引き出しができたんじゃないかと思うんですよね。

それで言うなら、警察の家宅捜索が入った際に「カメラ止めなきゃだめですかぁ」と とぼけた口を叩いてた映像がヒリヒリと笑えたですね。


さて、何やら 監督の舞台挨拶を見た人の話では、結構シーンが入れられなかったとのことで。
だとするならば、そういう編集をしなくてはならなかったという事実は、もったいないよね。

まぁそうであったとしても。
やっぱり ある程度のタブーに踏み込んだ意欲作であるのは確かで。
関係者には 心から拍手を送りたい気持ちと。続編への期待感を…(笑)
posted by 味噌のカツオ at 22:23| Comment(0) | ヤ行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月04日

エル ELLE

ポール・ヴァーホーヴェン
イザベル・ユペール、ローラン・ラフィット、アンヌ・コンシニ
ゲーム会社の社長であるミシェルは、ある日自宅に押し入った覆面の男の襲撃を受ける。その後も周囲で不審な出来事が続くが、彼女は警察には届けず、自ら犯人を探し始める。
だが、次第に明らかになっていくのは、事件の真相よりも恐ろしいミシェルの本性だった…。

「氷の微笑」で知られるポール・ヴァーホーヴェン監督の新作。
他にも有名なところでは「ロボコップ」「スターシップ・トゥルーパーズ」などもあるのですが。

ついつい「氷の微笑」と書いてしまうのは そのイメージが近いからかな。
男と女、エロチシズム、駆け引き…といった要素ですかね。

大まかな あらすじをチェックして、レイプ被害にあった(ある意味)悲劇的な主人公が、じつは 相当なやり手であった、悪女であった…と。
なんというか、序盤の印象と終盤のそれとが変わってきてしまう、ストーリー上のマジック的なものを期待して見てきました。

ですが、正直言って、ダメでしたね。
わたくしには合わない代物でした。

物語が進むにつれて増えていく登場人物。
それらの名前、人間関係が追えない。というか全員がクセがあり過ぎで。

この人が元ダンナで、それでいてこういうつながりがあって。
誰と誰が夫婦で、でも裏ではこんなことを考えてて。
一見 普通に見えて、こんな性癖があって。

(後々チェックしたら)ある程度 解説してるサイトもあったけど、リアルタイムで見ていたらわけわからんくなってしまって。
いや、わかったとしても飲み込むまではイケなかったでしょう。

主人公だけじゃなくて、数ある登場人物が皆そんな感じなので。
わたくし程度の脳みそでは、把握しきれませんで。ついていけませんでした。

さらに下世話なこと言うならば。
レイプシーンにドキドキしたり、あんなことしたりポロリがあったり。
そういう映像に期待もするんだけどね。普通の映画ならば。

ただ今作でその被害に遭うのが おばあさんとなると。
エロチシズムという要素を越えて、萎える一本…いや一方でしたね。

熟女系ならまだしも、老け専ではないので。
見ていられない。ちょっとごめんなさいでした。

いやいや、普通に映画として楽しもうと思ったんだけど。
合わなかったね…ということで。

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♪エル〜エル〜エルはLOVEの〜
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2017年09月02日

ベイビー・ドライバー

エドガー・ライト
アンセル・エルゴート、リリー・ジェームズ、ケヴィン・スペイシー
幼い時の事故による耳鳴りに悩まされながら、iPodで音楽を聴くことで驚異のドライバーと化すベイビー。
犯罪組織の逃がし屋として活躍するが、デボラという女性と恋に落ちたことで、裏社会の仕事から手を引こうと考えるが…

エドガー・ライト監督が20年前から考えていたという、音楽とカーアクションの融和。
物語に歌とダンスを取り入れるのがミュージカルとするならば、これはそれを車でやっちゃうという。

ネット上でも実際の映画の冒頭部が公開されてまして。あらためて見直してみましたが、セリフの無いまま 展開される約6分のシークエンス。
カーアクションが素晴らしく、それを見るだけでも引き込まれるし。なんならセリフなしでも物語が伝わるし。
アクション的には、高架を使って相手を騙すシーンはやられましたね。

それに続く コーヒーを買いに行くシーンもたまらない。
音楽に合わせた動き、街のディスプレイに合わせたサックス。ショップを出るタイミングまでも絶妙。

その後も音楽から登場人物の会話から、なんなら ほんの指先の動きまで目が離せない。いや目だけではなく、耳も油断ならないという(笑)
銃撃シーンでも、ちょっとハードなシーンではあるのだが、「テキーラ!」の使い方ひとつでつで うまい具合にエンターテイメントに昇華してくれてます。

さらに物語が流れていき、多くを語らずとも“ベイビー”の生い立ちから、なぜ この童顔の青年が、こんな裏家業を手伝っているのかがわかるようになっていて。無駄がなかったっすね。

そもそも逃がし屋と呼ばれるドライバーのベイビー。いかにもワルそうな悪党ヅラと共にいることでのギャップも味わえるけど。
一転してラブロマンスのパートでは その童顔がまた良い方に働いて。それを思うと このキャスティングも完璧だと思いますよね。

それだけ映像、音楽、ストーリーでも引きつけられますが、ベイビーが所々に残していった優しさが、ラストに結びついていくという回収の仕方も上手いですし。
ものスゴ楽しめました。

ホントに冒頭から大なり小なりの仕掛けに小ネタが散りばめられていて、気の抜けない2時間で。
欲を言うならば、集中力が試されるというか、なかなか疲れましたね(苦笑)

実際の完成度も高いし、世界的にも満足度が高いにも関わらず、日本ではこれだけの小規模上映ってのは…
日本の映画界は、日本の客はどうしたもんかなと。

そんなことを思わせるほどに 見どころの多い作品でした。
おススメです。
posted by 味噌のカツオ at 21:47| Comment(0) | ハ行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月01日

打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?

新房昭之
(声)広瀬すず、菅田将暉、宮野真守
夏休みの登校日。典道との競泳対決に勝ち、同級生のなずなから花火大会に誘われた祐介。一方 典道は競争のさなかに水中で不思議な玉を見つける。
放課後、なずなが母の再婚に悩んでいることを知る典道は、どうすることもできないもどかしさを感じ、ふいに玉を投げると、なぜか競泳対決の最中に戻っていた。

原作は岩井俊二。1993年に放送された単発のTVドラマとして映像化されています。
脚本は大根仁が担当。そしてアニメのヒット作を多々輩出しているシャフトが製作。

これは余計かもだけど、あの「君の名は。」の公開からちょうど一年。
「この夏のアニメ映画は これで決まりっしょ!!」と、お膳立てが揃いに揃いまくった状況だったわけですが。

いざふたを開けてみれば わかりやすいまでの酷評の嵐。
もちろん擁護派もいれば 楽しめたという意見もあるにはありますが。
それを受け止めたうえで見てまいりました。

結論から言うならば…ぶっちゃけ ひとつもワクワクできなかったですね。
全体のリズム感が良く無いのか、ノッていけなかったわ。

岩井俊二の原作の世界観は それなりのまったり加減があって。岩井流の情緒というべきかな。
それがアニメの演出と合わなかったのか。

そもそも年齢設定がよくわからなくって。実は中学生設定だったと後々わかるわけですが。
それにしては なずながオトナっぽ過ぎて。でも原作でも ひとり大人びた存在ということなのでそれはええけども。
そのくせ 広瀬すずの声はカワイイ印象で。ミスキャストじゃなかったかな。

対する菅田将暉が演じた典道も違ったなぁ。正直 所々で“大根”かと思う場面もチラホラ。

そして チョイチョイ挟まれるチョケた会話がまたチョー寒くって。笑えないですよ。
プールで“ウンコ”が云々というやりとりもあったけど。あれが中学生っぽさの演出だと思うと…そうじゃないだろうと。
あまりに“ウンコ”を舐めてるよね。

見終わった時点で、というか見ている途中から そういう感じになっちゃうと、何やらどこがアカンのかを頭の中で連ねながら見ることになってしまいますね。

そうなると なんでタイムリープするのか。した結果どうなのか。
そういうひとつひとつが合点がいかなくなって。
やはり ワクワクできなかったということに。

かろうじて良かった点を挙げるとするならば。
「メアリと魔法の花」と同じで。

エンディング曲が良かったという。
それだけかなぁ…(苦笑)

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線香花火、どこから見るか?
posted by 味噌のカツオ at 00:47| Comment(0) | ア行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする