2017年07月10日

セールスマン

アスガー・ファルハディ
シャハブ・ホセイニ、タラネ・アリシュスティ
小さな劇団で、劇作家アーサー・ミラーの戯曲「セールスマンの死」の舞台に出演していたある夫婦。引っ越し後 間もない自宅で、夫の留守中に妻が何者かに襲われてしまう。
事件を表沙汰にしたくない妻と、犯人を突き止めようとする夫。そんな二人の感情にズレが生じてしまい…

セールスマンと聞くと、何かを売り歩く人、会社員の印象が先に立ってしまいますが。
この作品タイトルの「セールスマン」というのは、劇作家アーサー・ミラーの戯曲「セールスマンの死」に由来するものでして。

とは言うもの、不勉強なものでして、その元ネタとなっている舞台を存じ上げませんで。
また 今作の中でも それについての詳しい説明はなく。

それらの前段が無いままこの作品と向き合うのが、良いのかどうなのかは言いにくいけども。
でも その前提で見るしかないんだけども。

人の感情というものには大きな差異はないだろうけども、舞台となっているイランの状況。国の態勢などは意識して見るべきでしょうね。
妻が事件を公にしたくないと思ったのにはそれなりの理由があるということで。

それから“あんな人”が、あんなことをできるのかという疑問もありつつ、そこは目をつぶるとして。

とある事件が起こり、サスペンスチックな展開を経て、ある事実が明かされていきます。
と なったところで、また新たな急展開。これまで被害者と思われた側が、別の試練を背負わされてしまう…と。

アスガー・ファルハディ監督の作品はこれまでにも見てきてはおりますが。
今回ちょっと思ったのは、ファルハディ監督の作風って、小学校の時に見た“道徳”の授業のVTRみたいで。

このような場合、あなたならどうする? あなたはどう考えますか? と問われるような。
今作はまた そのスタンスがより強いような。

もちろん それを見た観客がアレコレ考えてこそ映画の存在意義であるし、それこそが監督の表現の仕方でありますからね。

それとは別にですが。この作品は今年のアカデミー賞で外国語映画賞を受賞いたしました。
ですがイラン人(など)に関して入国ビザの発給を制限するアメリカの向こうを張って、監督らは授賞式への参加をボイコット。

まさに監督が作品を通じて様々な問題を問い掛けるかの如く、自らの姿勢をもって 問題提起をしてみせました。世界に向かってね。

それでこそ、それこそが、ファルハディ監督というエピソードであると思います。

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笑えないセールスマン
posted by 味噌のカツオ at 00:12| Comment(0) | TrackBack(0) | サ行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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