2018年06月24日

30年後の同窓会

リチャード・リンクレイター
スティーヴ・カレル、ブライアン・クランストン、ローレンス・フィッシュバーン
男一人でバーを営むサルと、破天荒だった過去を捨て牧師となったミューラーの前に、30年間音信不通だった旧友ドクが現れる。
ドクは、1年前に妻に先立たれ、2日前に息子が戦死したことを告げ、亡くなった息子を故郷に連れ帰る旅に同行してほしいと依頼する。

舞台となっているのは米軍がサダム・フセインを捕まえた2003年12月。
登場するのは共にベトナム戦争を経験した3人。

1年前に病で妻に先立たれたドク。2日前に息子が戦死したことを知らされます。
そんな彼が30年の時を経て、かつての仲間の元を訪ね、共に息子の遺体を引き取りに行くことを頼みます。

“同窓会”なんて謳われていますが、3人は同い年というわけではなく、ドクがちょっと年下の設定。
サルは男一人でバーを経営。劇中ほぼほぼ酒飲んで、ずっとしゃべってます。
ミューラーはかつては相当やんちゃだったようだけど、なぜか改心して現在は牧師となっていると。

その彼らがそろって基地まで遺体を引き取りに行き、そこからドクの家まで帰っていく いわばロードムービー。
お酒も絡む男たちの旅ってことで「ハングオーバー」とか「ワールド・エンド」とか思い出しちゃったけどね。

原題は『Last Flag Flying』というもの。中には『最後の星条旗』と訳しておられる方もみえましたが…
『30年後の同窓会』というノリでワチャワチャした雰囲気もありますが、ちょっと考えさせられるテーマ性も含んでいて。

30年経っても 顔を突き合せれば その当時に気持ちが帰っていくのは世界共通なのかな。
しかしまぁ、米国でも軍に従事するというのは それ相当の覚悟もいるわけで。もちろん本人も、その家族も。

国のために働く、時に戦うというのは名誉なことではあろうけど。
実際に そこで命を落とすことは とてつもなく辛いことであって。
やっぱりそれも世界共通なんだろうけど。

ここではかつてのベトナム戦争と(作中)当時のイラク戦争を並列させることでのメッセージを訴えかけてきます。

彼らには30年前の戦争の最中に体験した絆みたいなものがあって。
ドクの息子と やはり同じ部隊にいた隊員にも物語があって。

いずれも戦争という大きなものの中にあっても、それはそれ 個で形成されているという。
ニュースでは その大きな枠組みでしか報じられずとも、それは個の集まりであるという。
そういうことなのかな。この映画は。

日本には自衛隊という部隊はあるんだけど、ハッキリ言って米国での軍隊とは似て非なるもので。いやもしかしたら全然別物なんだろうが。
本当の意味で彼らの痛み、苦しみ、疑問、リアリティを持って感じるのは ちょっと難しい気はしたかな。

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今の時代、調べりゃ居所はわかる
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2018年06月05日

四月の永い夢

中川龍太郎
朝倉あき、三浦貴大、川崎ゆり子、高橋由美子
3年前に恋人を亡くした27歳の滝本初海。音楽教師を辞め、蕎麦屋でアルバイトをしている彼女のもとに、亡くなった恋人の母親から一通の便りが届く。
そこに同封されていた彼からの最後の手紙。その手紙をきっかけに、彼女の中で止まっていた時間少しずつ動き始める。

第39回モスクワ国際映画祭国際映画批評家連盟賞およびロシア映画批評家連盟特別表彰受賞作品。

親友を自死で亡くした中川龍太郎監督が、その思いを胸に前作『走れ、絶望に追いつかれない速さで』を製作。
そして今作では、元恋人を自死で亡くした女性が主人公という設定。

主演は『かぐや姫の物語』の朝倉あき。そちらは声優としてだったので、ビジュアルとしての印象は無くって。
実際 監督によるキャスティングは、彼女の声に惹かれたのが理由とのこと。

オーソドックスに言うなら、恋人を亡くしてしまった一人の女性が 再び動き出すまでの物語…なのですが。
変に重くはしていませんで。

ドラマチックにしたいなら…心の傷が理由で 社会に適合できなくなったとか。周囲の人 全てを否定するようになったとか。重荷を背負った主人公が再生していくというやり方もあるのだろうが、さにあらず。
今作の主人公は普通にアルバイトもしているし、音楽やラジオを聴くというささやかな楽しみも持っているし。
その悲しみから3年という時間経過も考えたら そういうもんでしょ。

かと言って何もなけりゃ映画にならないんだけど(苦笑)
ここで描かれるのは、再び音楽教師へと向かうことであったり、もう一度 恋をしてもいいのかなということであったり。

その辺りの踏み出し方も、周囲の状況との関わりもあるし。ある種の自然体でもあって。
やはり心の再生…という程ではなく、あくまで気持ちのリ・スタート。

でもそんな軽やかさが全体の雰囲気とマッチして。
映画として とてもさわやかな印象になっていますね。

とにかく朝倉あき演じる滝本初海がとてもキレイ。
割りと等身大の女性像だとは思うけど、彼女の声・話し方・言い回しがやけにキレイで心に残ります。
前述の通りでしょうが、まさに監督のキャスティングがズバりハマっているという印象。
「志熊は不思議なヤツだ」という感じがまたいいんだよね。

そして元カレの実家感がまた素晴らしい。
夫婦役の志賀廣太郎と高橋惠子の上手いこと。ナチュラルに滲み出る優しさがたまらない。そして妹夫婦役の二人も…あったかいんだよね。
これは初海ならずとも泣けますわ。

あと今作のベストシーンと言ってもいいのが、浴衣姿の初海が 赤い靴の「書を持ち僕は旅に出る」をイヤホンで聞きながら…歩きながら…スキップしながら…という映像。
そのまんま 何がしかのCMイメージに使えそうなほど、軽やかな可愛らしさがありました。

先日見た『ミッドナイト・サン 〜タイヨウのうた〜』でも思ったこと。今作では作中でも語られておりまして。
自分の好きな曲が、誰かの意志でラジオから流れることの嬉しさ。ラジオ好きなものからすると「よくぞ言ってくれた」と。

あらためて振り返ると、高橋由美子演じる 蕎麦屋の しのぶさんもリ・スタート切ってるし。
仕事をバトンタッチしてくれた仲間は 出産という命の新たな始まりを迎えるわけだし。
ワチャワチャな元教え子も また歌う場を得たようだし。

(映画的には)具体的には何も始まっていないんだけど。次は初海の番なのかなと。
そんな彼女のあんな笑顔が 最後を飾ってくれたら、素直に「見て良かったと」そう思うわけであります。

上映時間93分。コンパクトながらも実に味わい深い作品でした。

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ウルトラセブンが そんなそばにいたの!?
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2018年05月12日

ザ・スクエア 思いやりの聖域

リューベン・オストルンド
クレス・バング、エリザベス・モス、ドミニク・ウェスト
美術館のキュレーターであるクリスティアンは、次の展覧会で発表する参加型アート「ザ・スクエア」準備に追われていた。
ある朝、携帯電話と財布を盗まれてしまったクリスティアンは、GPS機能で犯人の住むマンションを突き止め、全戸に脅迫めいたビラを配り 犯人を炙り出そうとする。しかし その行動が、思わぬ事態を招くことに…。

カンヌ国際映画祭 最高賞パルムドール受賞作品。
監督は「フレンチアルプスで起きたこと」のリューベン・オストルンド。

上映時間は2時間半。あらすじを読んでも 決して手応えはなく。もちろん映画は見てみなきゃわからないもんですが…案の定、見てもわからなかったよ(苦笑)
もちろん長尺の作品ですので いろんなことが起こっているんだけどね。

そこで 映画解説の町山智浩さんが今作に関するトークをやるとは聞いていたので。一応調べたら Youtubeに上がっていました。
そちらでの話によれば、ここに出てくる展示作品。「ザ・スクエア」や砂利の山、人を信用できる人 or できない人 などの展示は実際に行われたものでもあると。
またここに登場した スリにモノを取られて追跡したこと、トークショーで変な言葉を叫んでしまう客、コンドームの引っ張り合いなども実際に会ったエピソードであると。

ゴリラ男がパーティで暴れたことは事実では無いものの。人間が檻の中で犬となったり、犬の世界に入っていくパフォーマンス(アート?)はあったと。

それらを面白おかしく…いや、なんなら ただ おかしく語っておられました。
まぁおかしいのはおかしいんだけど。
でも それで感じたこともチラホラ。

舞台はとある美術館。そこに展示される作品は ぶっちゃけ何を訴えているものなのかは、多くの人にはわからない、届かないもので。
それが“現代芸術”ってものでもあるっちゃあ あるんだけど。

そんな美術館を運営するには金が必要。でも わからないものにPR効果は薄い。
そこでインパクトのある動画で まずは興味を引かせようじゃないかと作られた広告動画。
この顛末も 今どきだなと感じました。

さて あらためまして、町山さんのトークを顧みて。見ていて自分で感じたことも合わせまして。
2時間半の長尺で いろいろな出来事あるんだけど、ある種オムニバスっぽい、様々な問題の数珠つなぎ。そんな構成に思えました。

ひとつひとつのめんどくさい事例。それぞれが不条理なエピソードであり、考えても答えの出しにくい監督からの悪意のある(!?)問いかけだったり。
その都度 モヤっとしたり、困ったもんだと感じるんだけど、ある意味でブツ切りでもあったような。

それらひとつひとつについて考えさせられて、何を感じるのかが試されるんだけど。
じゃあ一本の映画としてどうだったか〜と問われると、それはそれで また言葉にしにくいなという印象。

あえてブツ切りで感じたことを書くなら、タイトルでもあるスクエア。クリスティアンの部屋に象徴的に四角の描かれた額縁があったり。
アパートの らせん階段も四角でしたね。

例のビラを配る際、一旦 最上階まで登り、そこから階を下りながら全戸にビラを撒いていきましたが。
まさにスクエアを通して堕ちていく風にも見えましたね。

それから 件のゴリラ男に部屋をうろつく猿についても、進化論を意識しながら見てしまいまして。
どれだけ人間が文明を持っていても、やってること 考えることは進化していないんじゃないかと。そんなことを ぼんやり感じながら見ていました。

まとまりのない感想にはなりましたが…簡潔ではなく、言いたいことがそれだけ出てきちゃう作品でもあったかな。

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財布とスマホをそんなところに…
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2018年04月06日

娼年

三浦大輔
松坂桃李、真飛聖、冨手麻妙、小柳友、猪塚健太
大学生のリョウがバイトするバーに同級生であるホストが連れてきた静香。恋愛や女性に「興味がない」というリョウに静香は“情熱の試験“を受けさせる。それは、静香がオーナーである秘密の会員制ボーイズクラブ、「パッション」に入るための試験であった。

原作は直木賞候補になった石田衣良の恋愛小説。2016年に舞台化もされており、その際の主演であった松坂桃李が今作もリョウを演じています。
そして「愛の渦」「何者」の三浦大輔が監督を担当。

プチ情報として。松阪桃李は現在29歳。で演じるリョウは20歳の大学生という設定。
それはさすがに…と言いたくもなるが、意外にも(?)そういう点は全く気にならなかったね。そもそも浮かれたキャラでもなかったし、ある意味(希望を持っていない)大学生らしく見えましたよ。

作中、桃李くんが様々な女性と対戦するんだけど、決して売れてる女優さんではなかったね。
ふた昔ぐらい前であれば、そんな人気女優さんの“濡れ場”という部分で話題となることもありましたが。とにかく桃李くんはムチャクチャやってましたが、今売れてる女優さんもチャレンジしてほしいなぁ。
もう そういう時代じゃないのかなぁ。。。
そんな心のつぶやきはさておき。

冒頭。映画は桃李君の桃から始まります。スゴイです。いきなりのバトルシーン。
それから程なく別のバトル。いきなりボスキャラかと思いきや、別の相手が登場。耳が聞こえず、話すことはできない女性とのことでしたが、話せはしなくても 発する声はそうなるのかな…と思ったり。

そもそも女性に、性行為に興味がないというリョウ。
しかし謎の女性 静香に促されるままに「男娼」となって。様々な事情を抱えた年上の女性たちと、様々な情事を重ねるうち、真の性と向き合い。そして人としても成長していきます。

まずは、映画としてよくできてました。
この手の設定の作品って、ぶっちゃけSEXシーンが抜けた話題になるわけで。それがまた どうかすると、わざとらしかったり、なまぐさかったりしそうなんだけど。その点もクリアしてました。
いや、なんなら ホントに「ふたりだけの世界」を客席で見せられるので、思わず笑っちゃう感じもあったよね。

さて「絡みのシーンは男性監督らしい描き方だった」との(女性から?)感想が多かったんですが。
わたくし的には、決して女性向けを意識して下手に美化してるとは思いませんでしたし。男性目線というならば、もっと露骨で面白味もないものが世に蔓延してるからね。
そもそもわたくしは今作ではピンとはきませんでしたし。でも映画としてはじつに上手くされていたなとは思いましたよ。

そして何より そこにあるドラマ。
おもらし、糖尿病、手に触れただけで…であるとか。バーではタダだけど ここではお金が…というのも なんか切なかったですね。
さらには静香が抱えていた秘密にはガツーン!と。胸がギューンでした。

そんな女性たちの事情に、リョウのトラウマも相まって。
性行為、性、人生、仕事。いろんなテーマを投げかけてましたね。

一般的に言われる男性にとっての「娼婦」って、結局は“行為”であり。それでしかないんだけど。
ここに登場する女性たちが求めるのは、わたしが私であること「自己同一性」を認めてもらいたいって感じに見えました。

そんな中、今作で描かれる絡みのシーンって、ホント“対話”っぽかったよね。
そうやってわかり合っていく中で女性は解放され、リョウは成長していくという。

男性も女性も この映画と向き合うことで、今以上の何かを感じられるんじゃないかな。
思ってた以上に、手応えのある映画でした。

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アズマくんへのお礼が…(>o<)
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2018年03月20日

素敵なダイナマイトスキャンダル

冨永昌敬
柄本 佑、前田敦子、三浦透子、尾野真千子
幼少期に実母が隣家の息子とダイナマイトで心中するという体験をした末井昭。
高校卒業後、職を転々としながらエロ雑誌業界へと辿り着いた末井。やがて写真家・荒木経惟など 錚々たる表現者たちと出会い、発禁と創刊を繰り返しながら、名編集長となってゆく。

1970〜80年代にサブカルチャーを牽引した雑誌編集長・末井昭。
作中「NEW SELF」「ウィークエンド・スーパー」「写真時代」といった雑誌名も登場しますが。
わたくし的には かろうじて「写真時代」を知ってるぐらいかな。
懐かしいね。

それらの雑誌の創刊に携わった末井昭の自伝をベースにした作品。
その末井さんは幼少時、実母が浮気相手だった隣家の息子とダイナマイトで心中するという体験をしているそうな。壮絶な過去…ではあるよね。

そんな末井さんが高校を卒業して上京。
グラフィックデザインを学ぶ中、ひょんなことから風俗店の看板書きの仕事からエロ雑誌の世界にスライド。

新たな雑誌を創刊しては“わいせつ”としてギリギリ・アウトの判定を喰らって廃刊。また似たような雑誌を作って廃刊。
そんなことを繰り返してきていたと。

ぶっちゃけ今の時代、ネットで検索すれば“超簡単に”ギリギリアウトの画像や動画が見られちゃうものですが。
当時は 末井さんの雑誌にお世話になった人たちもホント、多かったんでしょうね。

今にして思えば。それらの雑誌って100%のエロではなく。いわゆるサブカル的な情報や読みものも充実してましたよね。
そんなエロ写真を目当てに購入しつつ、サブカル系マニアックな知識ってのも目にしてたものでして。

一方 現代のネット検索ではエロはエロであり。
あとは各々の興味のあることだけは掘り下げていきますが、出会い頭のマニアックな情報を知識として得る機会は激減しているんだろうね。

そんな考察はさておき。

イチ映画としてね、主人公の歩んできた足跡は辿れますが。
それらの雑誌が どんな思いで作られてきたのか。雑誌として、エロとして、芸術として、警察への挑戦として。
それらがほとんど触れられていないんだよね。

そしてタイトルにもなっている母親のダイナマイトスキャンダルも、それが彼の人格形成に影響があったのか、なかったのか。
率直な印象としては幼少時のことだし、その情景を本人が見てたわけでもないので。
爆死であろうが(遅かれ早かれ)結核で亡くなろうが…と思わなくもないわけで。

結局 雑誌への関わりも、生い立ちもそんな風だし。
なんか、こっちに伝わってこないんだよね。なんなら爆風も振動も。

昭和の風情。ノスタルジーを感じるおっぱい。
それはそれなんだけど、映画としては やや退屈な138分でしたね。
長っ!!

登場人物の多くがメガネをかけていたんだけど。
それは コンタクトレンズとかも普及していない当時だからそう見えたのだろうけど。

それら皆さんのメガネのレンズが汚れまくってたのは何かのメタファーなのかな?
それとも当時の あるあるネタの類なのか。
知らんけど。

冨永昌敬監督の作品を見るのは4作目になるのですが。
過去の感想を紐解いてみると「乱暴と待機」「ローリング」「マンガをはみだした男 赤塚不二夫」いずれも残念な評価になってて。
わたくしとは完全に合わない監督さんなんじゃろうね。

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素敵なダイ・スキ
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2018年03月19日

さよならの朝に約束の花をかざろう

岡田麿里
(声)石見舞菜香、入野自由、茅野愛衣、梶 裕貴
10代半ばで外見の成長が止まり、数百年生きることができるイオルフの民。そんな彼らの長寿の血を求めてメザーテ軍が侵攻してくる。命からがら森の中へと逃げ込んだマキアは、親を失った赤ん坊と出会う。
赤ん坊だったエリアルは少年へ成長していくがマキアは少女の姿のまま。時代が変化するなか、二人の絆は色合いを変えていく…。

『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』や『心が叫びたがってるんだ。』などの脚本を担当してきた岡田麿里が初監督を務めたアニメ。
これまでにも様々な作品を手掛けてきてはいますが、その名を広めた上記の作品とはテイストの異なるストーリーで、はたしてどうなのかというとこでしたが。

かなり思い切った設定とも言えるけど。
ぶっちゃけ 見る側としてたいへんっちゃあたいへんでした。

基本ファンタジーとしてやり過ごせばいいことではあるのだが。
如何せん 登場人物の名前、舞台設定の名称もなかなか覚わらんし(苦笑)
時間軸もとても長いものなので、そこそこの登場人物があったり、成長と共にビジュアルも変わっていくからね。

ちょっとその辺りは見る側の頑張りが必要かな。

主人公はマキア。10代半ばの外見のまま数百年生きる“少女”であると。
そんな彼女が ふいに出会った赤ん坊にエリアルと名付け、母親となって生きていきます。

しかし成長する子供と年を取らない母親。いつまでもそんな生活ができるわけはなく、暮らす場所を変えながら、周囲からの視線を気にしながら時が流れていきます。
やんちゃだった男の子が。やがて少年となり、青年となり。

そんな姿を見ていたら。ずっとわたしはこのままなんだから、あんたも 一番かわいい 姿のままでいてくれたらなと。そんなこと思ったりして。
でも そんなわけにもいかずエリアルは成長し、反抗期が訪れ、ひとり立ちの時を迎えると。

そんな大河ドラマ(?)のラストシーン。
息子の旅立ちを見守る母。

これ もしかしたら、マキアではなくエリアルの成長譚とも言えるのかもね。実際は。
と同時に、エリアル目線で考えたらあるモチーフが浮かんだんだけど。

子どもは成長していくけど 永遠に変わらない母親の姿。
例えば若くして子どもを産んで、そのまま命を落とした母親というか。

写真の中で 生前の姿のまま、息子の成長を見つめてる母親というか。
なんかそんなイメージもあるなって思ったりして。

映画なので、ファンタジーなので、それはそれでいろんな受け止め方あっても良いのでしょうが。
必ずしも スッと水が沁み込むように理解できるかっちゅうと、そこまでは言えないかな。

まぁ決して悪い作品とは思いませんが。もうちょっと全体の人間関係が分かりやすいと楽しめたかも。
2時間でそれは酷なことだけどね。

ぶっちゃけ世間一般のアニメファンよりも、世の母親たちに支持を得られる作品なんじゃないのかな。

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岡だまり
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2018年03月17日

シェイプ・オブ・ウォーター

ギレルモ・デル・トロ
サリー・ホーキンス、マイケル・シャノン、オクタヴィア・スペンサー
1962年、米ソ冷戦時代のアメリカ。政府の研究所で清掃員として働く孤独なイライザは、同僚のゼルダと共に極秘の実験を見てしまう。
アマゾンで崇められていたという、人間ではない不思議な生きものに心を奪われたイライザは、周囲の目を盗んで“彼”に会いにいくようになる。

今年のアカデミー賞で最優秀作品賞を受賞した「シェイプ・オブ・ウォーター」。
長いアカデミー賞の歴史の中でも、ヒューマンドラマを越えて、モンスターや異形の類が登場する作品が受賞するということは、これまでになかったと。
そういう意味でも偉業を達成したと言われております。

監督は「パシフィック・リム」でその名を広めたギレルモ・デル・トロ。
怪獣やロボットの いわゆる“ヲタ”と言ってもイイ方で。

そもそも幼い頃にメキシコから移住して来られて、当時は(人種の違いからか)友達もできず。
それで ひとり怪獣に思いを馳せていたと。

そして 自分の中で様々な思いを、創作を巡らせ、大人になり。
「パシフィック・リム」で稼いだ資金で、ほぼほぼ自前で今作を製作したと。

ざっくり言うと 言葉を話せない女性が、アマゾンの奥地から捕らわれてきた異形の生物に“恋心”を抱き。彼をなんとか助けたいとする物語。

障害者、社会的マイノリティ、そして監督自身が移住者であると。
それ以外の登場人物たちも同性愛、有色人種…

とにかく今のアメリカの社会的状況では たいへん生活しにくいバックボーンを持つ方たちのような描写が多くて。
それも今回のアカデミー賞の“風向き”と合致したとの見方もあるようです。

もちろん物語としてよくできていまして。
昨今「本当は怖いグリム童話」的な。昔から知られた童話にオトナの解釈、現代社会の実情を照らし合わせて、ちょっとダークに仕上げて見せる作品とかもあるけれど。
この作品も ハッキリとした原作はないだけで、そういう雰囲気はあるのかな。オトナが見る童話という。

確かに はんぎょどん の存在こそありますが、物語としてはそこまで突飛な展開はなく。
イチ純愛ストーリーという体で見ればよくできたオハナシだと思います。
んで その分の裏を返せば、少々 物足りない感じもなくはないわけで。

あとは 彼女が“彼”に惚れた要因が伝わってこなくって。
そこがピンとこなかった点がちょっと惜しいというか。

個人的には「スリー・ビルボード」の方が(アカデミー賞を競いあった作品では)心に爪痕残していく感じで“好み”であるとは言いたいけど。
この作品のアドバンテージを挙げるとするなら、ビジュアル的なところはあるのかな。

はんぎょどん の造形も考えられてるなと。チョビット仮面ライダーアマゾンっぽいなとも思いましたが。
その彼が閉じ込められている水槽も 舞台映えしそうな雰囲気が印象に残ってますし。
水中でのシーンなんかも幻想的で良かったですよ。

昨年のアカデミー賞「ムーンライト」なんかも様々な意見あったりなかったりしましたが。
今作も(2018年の)時代背景込みで、見ておいて損はない一本だと思いますよ。

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シェイプ・オブ・ヲタ
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2018年03月05日

15時17分、パリ行き

クリント・イーストウッド
スペンサー・ストーン、アンソニー・サドラー、アレク・スカラトス
2015年8月21日。アムステルダム発パリ行きの高速鉄道タリスに、武装したイスラム過激派の男が乗り込み無差別テロを企てる。
500名以上の乗客全員が恐怖に怯える中、ヨーロッパ旅行中だったアメリカ人の若者3人が犯人に立ち向かった―。

“名匠”イーストウッド監督による なんとも異色の作品。
近年、実話の映画化作品を手掛けている監督が今回テーマにしたのは、パリへ向かう高速鉄道内で起きようとした無差別テロを、たまたま乗車していた3人の若者が防いだというお話。

いわゆる事件の映画化はよくある話ですが、この映画の異色なところは、実際にテロリストに立ち向かった3人が主演しているということで。自身が自身の役で再現フィルム化していると。

それはそれで驚きですが、もっと驚いたのは、彼ら以外にも多くの当事者が出演して、自分の役を演じているとのことで。
ちなみにテロ犯の人は役者さんらしいですが(当たり前か)。

前作の「ハドソン川の奇跡」はトム・ハンクスを主演に迎え、実際の飛行機事故に遭遇した乗客たちがエキストラで出演されていました。
「それでイケるんだったら 主演も主要キャストも本人使っちゃえ」ってな感じか!?

監督的には 当事者から話を聞いて、役者に伝えて演じてもらうことが面倒だったと。だったら本人がやった方が早いやん…という意向だったそうなんだけど。それでできちゃうものなの?
でも 結果的にできちゃったんだから、そういうものなのか?(苦笑)

そんな作品ではありますが。アメリカでの評判は決して芳しくはありませんで。
また日本に於いても それなりの評価にとどまっています。

それについての理由はハッキリしてますね。
「テロを防いだ若者らの話」としてPRされていますが・・・ぶっちゃけそうじゃないと。
94分の作品中、そのくだりは終盤の20分ぐらいなのかな。

そこに至るまで、3人の出会った小学生時代。青年となったスペンサーの軍隊での様子。
休暇を利用した3人が、楽しくヨーロッパを旅行する模様で構成されています。

大半の観客が、おそらく、そこそこ早い段階で「何を見せられているんだろう?」と思うこと間違いなし。
若者らとテロリストの攻防、駆け引き、ハラハラのアクションを期待してた客からすると拍子抜けでしょうな。
その気持ちはよくわかります。予告で映ってたあのシーンは最後にチョロってでるだけやんってね。

ですが わたくし的には、そのチョロっとしたシーンにブワッと涙があふれちゃいました。

彼らが高速鉄道に乗るまで、正直 何も事件は起こらないし、輝かしいエピソードの一つもないんだよね。なんなら基本劣等生扱いの彼らであって。
ごく普通の彼らの過ごしてきた日々。でも 自分はどうなりたいのか、自分はどうあるべきか。それについては所々で語られます。

そして・・・楽しいはずの旅行中、目の前で事件が起こります。
ずいぶんと無謀な行動でもあり、それによる代償も決して小さくはなく。
突然訪れる日常と非日常の境界線。たとえ普段から いろんな思いがあったとしても、果たして実際にそんな行動ってとれるのかな。

そんな思いから、一瞬で感情がMAXになりまして。
「コイツらスゲェ!」あるいは「メッチャ怖えぇ」のモードで涙があふれちゃいました。
わたくし自身も、まさかクライマックスでこんなにも揺さぶられるとは思いもよりませんでした。

本当に日常を過ごしていた(一見すると)普通の若者たちが、ほんの一瞬でこんなヒーローとなることが。何かを成し遂げることもあるんだと。そんなことを見せつけられました。

と同時に。
ごく普通の若者たちが、映画に主演しちゃうなんて、そんなことも起きちゃうんだね(笑)

世間の評価以上に わたくしには響いて届いた一本であります。
さすがイーストウッド。恐るべしです。

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撃たれたあの人も本人役だそうです
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2018年02月12日

スリー・ビルボード

マーティン・マクドナー
フランシス・マクドーマンド、ウディ・ハレルソン、サム・ロックウェル
ミズーリ州の田舎町。7か月前に娘を殺されたミルドレッドは、犯人を逮捕できない警察に苛立ち、警察を批判する3枚の広告看板を設置する。
署長の部下や町の人々に脅されても、彼女は一歩も引かず。やがて周辺で不穏な事件が次々と起こり、事態は思わぬ方へ動き始める。

本年度のアカデミー賞で主要6部門7ノミネートされており“台風の目”となるであろう作品。
タイトルは直訳で「3つの看板」。まさに その3つの看板から始まるストーリー。

「娘はレイプされて殺された」「犯人はまだ捕まっていない」「なぜ?ウィロビー署長」といった3つの看板。
広告を依頼したのは被害者の母。そんなんされたら 警察は、名指しされた署長はたまったもんじゃないよね。

でも これを普通に受け止めるなら、警察の捜査の怠慢というものが頭に浮かびます。
やがて それ以外の周辺情報が明かされていきます。

黒人に暴力を振るった過去があるディクソンという署員の存在。批判を受けた署長は実は大病を患っている。母親にはかなり意固地な面もある。

さらに母親と家族の関係、そして娘との会話。ディクソンの思想。署長がとったある行動。
そして母親の別れた元夫の存在。彼女を脅した街のゴロツキの男。体の小さなミゼット男の助け舟。そして看板を管理している若い広告屋の兄ちゃん。

物語が進むにつれて、それぞれの登場人物から受けていた印象が、ジワリジワリと覆されていきます。
翻弄されるという言い方もできるけど、そんな単純なものでもなく。
ずいぶんと、揺さぶられましたね。

その一番のポイントは、やっぱり広告屋の「オレンジジュース飲む?ストローもあるよ」というセリフかな。
あれにはかなりやられちゃったよね。

様々な物事、誰かに対する印象。
昨今、ネット上でちょっとした話題がでるだけで、多大なバッシングが寄せられることがあります。
でも 広い意味で そこに至る過程であるとか、晒される情報の切り取り方ひとつで、その伝わり方が全く変わってきてしまいます。

そして そのことを理解している輩の何と少ないこと。
そこにあった小さな記事だけで 全てを判断したと思いこみ、エゲツない非難に至ってしまうと。本質は全然違うのに。結果“炎上”。

そして人と人も 深くわかり合うことなく、上辺のことだけでいがみ合ってしまうことも多いですよね。

この映画はそれらの事象の反面教師にも思えますし。
人間って そんなに単純なものでもないし、ほんのちょっとしたことで、同じ方向を見つめることができるものなんでしょうね。

あのラストシーン。必ずしも美しいものってわけではなく。
ちょっとむず痒さも覚えたし、気恥ずかしくて微笑んでしまえたし。

とても不器用な人々の、どうにもいびつな他者との関わりを、よくぞここまでまとめ上げたなと。
ひとことでは表現しにくいけど、とても上手い映画であることは確かです。
やっぱアカデミー最有力か!?

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仇を恩で返していく物語
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2018年01月22日

青春夜話 Amazing Place

切通理作
深琴、須森隆文、飯島大介、安部智凛
ひょんなことから出会った青井深琴と野島喬。4歳違いで時期は異なるが同じ高校出身とのことで意気投合。
喬は深琴を夜の母校へと誘い出し、誰もない学校でやり残した青春に復讐しようと盛り上がる。

文化批評家として多くの著書も発表している切通理作の初監督作品。

名古屋・シネマスコーレで1週間レイトショーの最終日。
マイクなどもセットされて、どうやら舞台挨拶的なのもあるみたい。

75分の本編終了後、切通監督と深琴が登壇。
素人感丸出しのコメントがあり、今作とは別で深琴主演の短編作品のプロデューサーと監督も登場して、そちらの作品「天使の歯型」も上映されました。
その後も まとまりのない(苦笑)トークがあってという。そんな上映回に足を運んできました。

閑話休題。
「青春夜話 Amazing Place」についてですが。
見た目的にも決してイケてない男女が出会って意気投合。
あらすじ的には「過去への復讐」となっているわけですが…

その衝動はわからなくはないけれど。
だからこそ 学校モノであったり、スク水のモノであったり、いろんなシチュエーションに特化したAVが出回るわけでね。
それを具現化ということなんでしょうが、ツッコミどころがあり過ぎて、ノリきれなかったですね。

大前提としてこの二人は如何ほど経験あるのかしらん。
彼はDTというわけでもないのかな。彼女はいきなり口撃って なかなかの経験者なんですか。
彼の学生服を着ないこだわりの真意は?
といった ところから。

彼女はオフィスに気になる上司がいたみたいだけど、それって あのズル剥けの方なんですか?
そもそもズル剥け好きなら彼ともアリなのはアリかもだけど。

一般的に ズル剥け上司がモテモテキャラってのが「?」だったり。
学校の用務員のおっさんのエピソードも共感するポイント無かったし。

全体にもっとダサいなかにウブなエロがあるとか、逆にアナーキーにもっと行き過ぎるぐらいに行くとか。
もっと妄想力を突き詰められたんじゃないかと。

要は中二病感満載な稚拙な方にいくか、“ロマンポルノ路線”で人間味を出すか。
そういう振り切りがあってよかったんじゃないかと。

あと付け加えるなら、女優をもっとかわいく撮れなかったかな〜とは思いました。
ブサいとは言わないけど、もっと引き出せたんじゃないかな。


という上映がありまして。
さっきスクリーンであんなことやこんなことしてた娘が(舞台挨拶で)目の前にいるのか〜ってのは 少しだけ“ジュン!”ときちゃいました。

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学校でしゃせい大会したよね
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2017年12月01日

全員死刑

小林勇貴
間宮祥太朗、毎熊克哉、六平直政、入絵加奈子
家族思いのタカノリは、組長の父テツジと母ナオミを借金苦から救う為、兄・サトシと共に近所の資産家一家の現金強奪を実行する。
しかしあまりにお粗末な計画の末、資産家の息子を殺害。一人殺すなら全員殺すも同じこととばかりに、タカノリたちは次々と殺人を犯していく。

2004年に福岡県大牟田市で発生した4人殺害事件。加害者の親子4人は全員死刑の判決を下された。
その実行犯である次男の獄中手記を原作に映画化。

「冷たい熱帯魚」のスタッフが再集結〜みたいな書き方もされていて。また一段と期待も高まっていたわけですが、果たしてそのデキは!?

大前提として この作品の原作となった実際の事件があり。実際に被害者もでており。加害者側は全員死刑の判決が下されるほどの事件であって。
そういうものを こんなカタチで映画というエンターテイメントに昇華してしまうのはいささか不謹慎な気もしないではないが…

それを言っちゃったら戦争映画なんて撮れなくなるし。
そこは一旦飲みこんで受け止めていきましょうと。

ファーストカットが いきなり「おっ!」と思わせてくれるものだとか、そういうことはさておき。
それ以外でも 所々で絵の見せ方や音楽の使い方がカッコよかったりして。

そんな引っ掛かり、取っ掛かりはありつつ、オハナシ的には思ったほどの起伏はなく。
いや、チョイチョイ人が死んでるんだけど、こっちの心まで ぶっ殺(さら)うとこまではいかず。

なんだか この加害者一家のキャラクターがそこそこぶっ飛んでたり、微妙にマヌケだったり。
事実 こんな調子だったのか、映画としての演出なのかは知らんけど。

そのキャラのマヌケ感と 殺人事件の恐怖感が一体化しなかったというべきなのかな。

前述の「冷たい熱帯魚」なんて、ホントに普通の生活して、普通の近所付き合いしてたはずが、気付けばとんでもないところに引き込まれていたとか。
遺体の解体を飄々と鼻歌交じりにやっちゃってるような、それらの異常性がゾクゾクやられちゃったと思うんですよ。

それと比較してしまうと、中途半端な印象になってしまうかな。
わざわざ比較しなくてもイイっちゃイイけど。でも宣伝文句として「冷たい熱帯魚」云々とわざわざ書いてあるからね。

間宮祥太朗も、「ケンとカズ」に引き続きの毎熊克哉も、役者としては及第点だけど、一本の映画としてのグルーヴ感は正直味わえなかったね。

チラシの裏面を見たらこんな文言が載っていたよ。
『なぜ、こうなったのか』ってね。

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薬をつぶす“すりこ木”のカタチが…
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2017年11月27日

シンクロナイズドモンスター

ナチョ・ビガロンド
アン・ハサウェイ、ジェイソン・サダイキス、ダン・スティーヴンス
同棲中だった恋人の家から追い出され、故郷の田舎町に戻ってたグロリア。そこで幼なじみのオスカーと再会し、彼のバーで働くことに。
そんな矢先、ソウルに巨大怪獣が出現。テレビに映し出された映像に騒然とする中、その怪獣と自分の動きがシンクロしていることに気付く。

巷での評価は決して高くはないけれど、いやいや 思いのほか楽しめましたし。ついつい見入ってしまいましたよ。

不評の一つの遠因として「思ってたのと違った」的な意見が出てまして。
そんなもん、怪獣やロボットが闘うことがメインではないことぐらい事前に理解できそうだけど。「パシフィック・リム」の路線ではなかろうと。

それでは どんな展開を見せてくれるのかなというところでしたが、都落ちした主人公が地元に戻って昔の仲間たちと再会し、ある意味での自分のルーツであり、ある意味で社会の問題点と向き合うというべきか。
基本はアン・ハサ演じる彼女の成長物語で。と同時に地方なのか バカ男特有なのか。そんな事例と向き合うことになります。

ラジオで聞いた映画評では主人公の名前がグロリア(成長)。男の名前がオスカー(映画界で例えるなら権威でしょうか)。それらがソウル(魂)でぶつかり合うと。
それだけで 何かいろんなものが伝わってきますね。

この作品、グロリアに対するオスカーという男が出てくるんだけど。コイツの行動を見ていてね。

確かに子供の頃、砂場で山とか川とか橋なんか作っては、怪獣になったつもりで踏みつぶして、壊して遊んだりしてたよなと思い出したり。
久々に会った女の子の気を引くために、世話を焼いたり、プレゼントを送ったり。
彼女が他の男としゃべってるのを見ては横やり入れてみたり。

その意識があったりなかったりするけれど。思い起こしてみれば、ケチな行動とってるもんですよね。イケてない男って。
そりゃいくつになってもくすぶってるもんだわな。

本来は 主人公である女性の成長物語なんだけど、見ようによっては 男のバカさ加減にも気付ける映画だね(苦笑)

アン・ハサ好きとしては、彼女のダメカワ(ダメ女風だけどかわいい)加減がいい感じ。大半のシーンに映ってるし。あとは最後の逆襲シーンも痛快だったし。
決して大傑作とまでは言わないが、見たら見たなりに楽しめる映画でした。

ちなみに原題の「COLOSSAL(コロッサル)」は“巨大な”という意味で。
それを思うと、今作の「シンクロナイズドモンスター」はなかなか上手いなと思いますね。

ナチョ・ビガロンド監督、そもそもはオタクなスペイン人でもあるそうなので、日本の怪獣モノがお好きなんだとか。
インタビューによると、中でも松本人志の「大日本人」に影響を受けたと語っております。面白いもんだね(笑)
でも そのラインは越えてると思いますので。また監督の次作も楽しみにしてますよ。

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飲酒運転はダメよ
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2017年10月22日

猿の惑星:聖戦記(グレート・ウォー)

マット・リーヴス
アンディ・サーキス、ウディ・ハレルソン、スティーヴ・ザーン
猿と人類の全面戦争が始まってから2年。シーザー率いる猿の群れは森の奥地に砦を築いていたが、ある日、奇襲によってシーザーの妻と息子の命が奪われてしまう。
仲間たちを新たな隠れ場所に向かわせたシーザーは、人類の軍隊のリーダーである大佐に復讐するため、オランウータンのモーリスらと共に旅立つ。

往年の名作「猿の惑星」へと至る3部作。「創世記(ジェネシス)」「新世紀(ライジング)」に続く今回の「聖戦記(グレート・ウォー)」です。
本来なら 前2作もおさらいしておいた方が楽しめるはずでしょうがね。

いきなり物騒な戦いのシーンから始まる今作ですが。
森の中で 猿たちの砦に奇襲をかける人間たち。ホントに戦争映画のような戦いの場面ではありますが。
一般的な兵士の視点ではなく、ドローン映像といいますか、攻め込んでいく様子を上空から捉える視点はなかなか斬新。

“グレート・ウォー”というだけあって、期待値も高まりました。
が、正直 その直後から失速という感は否めない。

猿たちと人間の戦いが激化。
新たな住処を見つけて戻ってきたシーザーの息子ブルーアイズ。ところが そこへ攻め込んできた人間たちによって妻とブルーアイズが殺されてしまいます。
シーザーは次の住処へと仲間たちを送った後、大佐への復讐を誓い 側近らと復讐の旅に出ます。

ここまでの展開はわかるけど。
今作に於いて、息子ブルーアイズは戻ってきた早々に犠牲となっているので、イマイチ(見る側として)復讐心が燃えにくいというのもあったし。
そもそも そんな大胆な攻撃を、えらそぶってる大佐が行うのかという疑問も。それは部下の実行部隊がやるもんじゃね?
殿様が直々に敵の大将の首を獲りに行くなんてハナシ聞いたことないから。

敵陣へと向かう道中。人の住む小屋での銃撃。ウイルスにより言葉を話せなくなっていた少女を小屋の中に置き去りにはできず、ともに旅を始めるのだが。
あの少女も猿たちが親の仇だと 薄々わかるんじゃないかと。それでも行動を共にする心境って…

雪の舞い散る山中。敵陣に辿り着くもシーザーが囚われの身に。
他の猿たちと共に奴隷のごとく壁作りを強要されます。何やら現米大統領の政策を匂わせる展開。

近く北軍がやってくるが、それらを受け入れない目的で壁を作っているとのこと。単純に、何で?
人間と猿の覇権争いの世界で、人間同士の争いがこのようなカタチで描写されることの意味合いは?

奴隷となっている猿の群れを救出できないか…というトコロで“都合よく”地下道を発見。これを使えば助かるぞ。
その計画実行のため、さっき仲間(?)となった少女がシーザーの檻に行き、水や食料を渡すんだけど。
人間の見張りは気付かなかったのか。結構大胆な行動だったのになぁ。

そしてついに救出作戦を実行。
地下道に水が漏れだしていたけど大事には至らず(?)。
しかし、ちょうどこのタイミングで北軍が攻め込んできた!!

かなりの大部隊。上空からヘリでの容赦ない攻撃。
何のために壁作ってたん!?

こっち側の軍も対抗するが、大佐は姿を現さず。
いったいどうしたのかと思いきや、ウイルスにやられてベッドに伏せる大佐。
日常生活の中でインフルエンザに感染しちゃうなんてことあるけども。おい、ずいぶんとえらそぶってあんたが、そんな退場の仕方しちゃうんだと。薄々感じてはいたけれど。

最終的にはシーザーがドッカーンとやって、北軍が「ウォー!」。
でもドッカーンの衝撃で雪崩が発生。残ってた人間はみんなドサー!!
猿たちは身体能力を発揮して気に上って「ウェーイ!」。

そして猿たちと一人の少女は安住の地で、新たな生活を始めます。
で「猿の惑星」第一作目につながっていくのかな。

「聖戦記(グレート・ウォー)」とのタイトルが付いてはいますが、猿と人類との大局ではなく、シーザーの抱いた大佐への個人的な復讐劇が中心。
また舞台の大半の時間が彼らの基地でのやり取りに終始されていて、とてもミニマムな世界観に感じられました。

にもかかわらず 140分という尺であるため、どうにも中盤の中だるみありましたわね。
正直 気持ちの盛り上がる仕上がりとは言いにくいデキだったですね。

ただし、あの猿の姿、その表情、人間との絡みはすべてCGで作られたものであるという。
その描写は素直に素晴らしかったです。

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シーザーサルダ
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2017年10月08日

サーミの血

アマンダ・シェーネル
レーネ=セシリア・スパルロク、ミーア=エリーカ・スパルロク、マイ=ドリス・リンピ
1930年代、スウェーデン北部で暮らす先住民族、サーミ人は差別的な扱いを受けていた。
寄宿学校に通う少女エレ・マリャはスウェーデン人のふりをして夏祭りへ忍び込み、ある少年と恋に落ちる。やがて今の暮らしから抜け出すため、エレは、彼を頼って街に出る…。

世界中にはいろんな人種差別があって。民族間のいさかいがあって。
でも人類の歴史が進むごとに そういうことは良く無いという論調が上がるのですが、みんながそれにうなずくのですが、無くなることは一向にありません。
なんなら減っていってるという感覚も得られにくいように思います。

この作品の舞台はスウェーデン。その北部に暮らす少数民族・サーミ人の物語。
北欧のラップランド地方でトナカイを飼い、独自の言語を持つ彼らは いわれなき差別を受け、一般のスウェーデン人よりも劣る“生き物”といった扱いをされていたと。

露骨な差別こそないものの、今現在もサーミ人はそういった暮らしをしているそうで。
そういう民族があることを わたくしは全く知らなかったし、そんな北欧の少数民族の歴史や事情を 日本人が知る由もないでしょう。

そういうことを学べるという意味でも 見て良かった映画でありましたし。
ちなみに監督もサーミ人であり、中心となる姉妹は実のサーミ人の姉妹(もちろん映画・役者の経験はありません)で、今でもトナカイを追って暮らしているとか。

他のサーミ人キャストも、本当のサーミ語が話せるという点から、実際のサーミ人がキャスティングされているそうです。

物語はひとりのサーミ人少女が 差別であり、厳しい扱いをされることを嫌い、 スウェーデン人として暮らしていこうと。
言わば 自身の人生を切り開いていこうとするものであります。

そのための苦難・苦労があり。そして それは大切なものを“捨てる”行為でもあって。
主人公が そうしていった後で、本当の幸福を得られたのか。それはここでは…

見た観客がどう感じるかにゆだねられるところだとは思いますが。

正直なことを言えば、わたくしも見ている間は よくわからない点がいくつもあったんだけど。
様々なサイトでの解説などを見て納得した部分も多々あります。

差別や迫害を受けた主人公が、それらと同様に、まるで差別をする側の理論で「こんなところにはいられない」とする部分に、見ていて不快だという意見もありました。
いじめられるのが嫌だから、いじめる側に立ちたいというべきか。

でも それはあまりにも少女だったからなのかもしれませんし。
彼女が もう少し大人であれば、別の方法や、解放の道筋を模索できたかもしれませんで。

見たところでスッキリとする作品ではないけれど。
前述の通り、世界の中のひとつの出来事に触れられたことに、大きな意義はあった作品でしたね。

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こういう暮らし(妹)のが短命なのかな?
posted by 味噌のカツオ at 22:20| Comment(0) | サ行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月25日

スイス・アーミー・マン

ダニエル・シュナイナート、ダニエル・クワン
ダニエル・ラドクリフ、ポール・ダノ
ひとり無人島で助けを求めていた青年ハンク。絶望の淵で自ら命を絶とうとしたそのとき、波打ち際に男の死体が流れ着く。
しかし体内に溜まったガスが浮力となることに気付いたハンクが死体にまたがると、ガスがオナラとして放出され、ジェットスキーのように発進!ハンクは無人島脱出を試みる。

最初に今作のチラシを見てもなんとも思わなかったのに、予告編で見たトンデモ映像に引き込まれ、超・気になってた作品。

冒頭、男が無人島で自殺を試みるシーン。すると目の前の波打ち際に打ち上げられたスーツ姿の男。
慌てて駆け寄るも、彼はどうやら“どざえもん”。再び男は自殺をしようとするが、スーツの男が小刻みに震え出します。

どうやら、体内に溜まったガスがオナラとして放出されていると。そしてその勢いで海を進み始めます。
「これだ!」と感じた男は死体にまたがり、ジェットスキーよろしく、無人島から旅立ちます…

タイトルバック『Swiss Army Man』!!

と、ここまでの展開で結構笑えましたし。
そのタイトルの出し方も、妙なゾワゾワ感(笑)

わたくしは存じ上げなかったのですが、いわゆるサバイバルアイテムでもある“十得ナイフ”のことを“Swiss Army Knife”と呼びますと。
そして このスーツの男が 意外にも様々な使い勝手が宜しく、それで十得ナイフに例えるカタチで『Swiss Army Man』というタイトルなのだとか。

結局 一人と一体(!?)は、またも浜辺に打ち上げられるわけですが。そこに(つまんで食べると指がオレンジ色になる)お菓子の袋を見つけ、「人がいるはずだ」と男ハンクは死体を抱え森の中へ。

そこで遭遇する危険、危機、孤独、サバイバル。それらを乗り越えようとする際に死体が大活躍。
ぶっちゃけ、マーライオン方式放出される水がキモかったけど(笑)

やがて、なんでか その死体の声が聞こえるようになり、自らを「メニー」と名乗ります。
その死体のメニーがハンクのスマホの壁紙写真の女性に目を奪われ、異性に目覚めたことで話がややこしくなり、と同時に生きる希望にも目覚めます。
果たして一人と一体の運命は…ってハナシなのですが。

予告編のトンデモ映像を見て感じた謎は、本編を見てもやはり謎であって(爆笑)
そもそも死体のオナラでジェットスキーという設定なので、そういうもんだと思って見るしかないね。

あとは そもそも「プープー」「ブリブリ」鳴り続けるオナラがまたおかしくて。
その音がサントラに入ってるのかは知らんけど。

それから体の一部がコンパスのように指針を指し示すんだけど。アホやなぁと思いながら見つつ、それはそれである種の整合性、あるのかな!?

最初のシーン。もう死にたいと。無人島で孤独に耐えられないと嘆く主人公が、実は そもそも孤独を背負っているようなところもあって。
いろいろ考えるとシュールな面もあるのかな!?

いろんなことを考えさせられつつ。でも基本はトンデモ・オナラ映画として見てもいいのかな。
上映中もお客さんから結構笑い声が聞こえたしね。

そして あのダニエル・ラドクリフが、冷たくなった死体役をこれほどまでに熱演するとは。
それだけでも見ものでございます。

もちろんライト層にはウケないだろうけど、普段から孤独を感じている人や、おバカな発想、下ネタのお好きな人にはハマる映画ですよ。

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メニーは海へ、さよオナラ
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2017年09月19日

三度目の殺人

是枝裕和
福山雅治、役所広司、広瀬すず、吉田鋼太郎
解雇された工場の社長を殺し、死体に火を付けた容疑で起訴された三隅。自ら自供し、30年前にも殺人の前科があり、ほぼ死刑が確定しているような裁判だった。
やむを得ず弁護を任された重盛だったが、会う度に三隅の供述が変わり、動機が希薄な点にも違和感を覚え始める。

あまりにも面白すぎて、いろいろレポートやインタビューなんかも読みましたが。
弁護士・重盛と被疑者・三隅の戦いでもあるし、リアルに福山と役所の演技バトルでもあったみたいですね。

裁判というのはアメリカでは「神に誓って…」的な要素もありますが、日本の司法に於いては神はおりません。
と同様に、この映画では是枝監督すら(撮影しながら)真実がわからなくなっていったという…

それ聴くだけでも また面白い。

法廷ものって検察と弁護士の駆け引きであるとか、事件の真相を明らかにするため どんでん返しが起きるとか。それでこそ映画というエンターテイメントになるんだけど。
この作品では そういうアプローチはしておらず。

実際の裁判でも、そんな“大岡裁き”みたいのはありませんと。
法廷とは「真実を究明する場ではなく、利害関係を調整する場」という“真理”のもとで企画・製作されたのだと。

これまでの裁判をテーマにした映画とは一線を画し、よりリアルであるとも言えるし、とてつもない問題提起のようにも…
それでいて、エンターテイメントとして、映画として完成されている作品だと思います。

冒頭の吉田鋼太郎さんの軽妙なリズムに乗せられる感じで引き込まれ、事件のあらましがわかっていきますが。
時間経過と共に変わっていく三隅の供述。そこに加わっていく外部からの証言。
さらに 夢なのかイメージなのか、インサートされていく映像。

それらが示されていくごとに 事件の真相が見えてくるんだけど、それと反比例してそれらが信じられなくなるという不思議な感覚。

福山が以前演じた父親役では 当初は育児・子どもの教育に向き合えない節を見せつつ、次第に父親になっていく役どころったわけで。
それと同じく ここでも序盤はあくまで勝利至上主義の弁護士で。真実よりも 有利な結果を導き出すことに重きを置いていた男だったのですが。

ここでは三隅に翻弄されるうち、次第に真相に辿り着こうという思考に変わっていくというもので。

映画ってそういう変化で登場人物の成長だったり、真相を知ることでカタルシスを得る側面もあるわけですが。
この作品でも、山場のシーン。その決定的な向き合い方をするシークエンスがあるんだけど。

普通の映画であれば「そうだったのか」となりそうなところ、ここではそんな風に思わせてくれません。
結局またモヤッとさせられるという。

わたくし的に、ちょっと前にテレビで冤罪の死刑囚のドキュメンタリーなんかも見ていたので、ここで扱われるストーリーも ずいぶんとヒリヒリと見たわけですがね。
多くの人からすると そういうことよりも、実際はどうなのかがわからないのでつまらないという。そんな評価になるみたいですね。

全て提示されるもの受け止めてOKかNGかを判断はすれど、映画を見て考えるというトコまで至らない風潮。
この手の映画って受け入れられにくいんだなぁ。

表面上のウソかホントかだけでなく。感情、プライド、駆け引き、情念が渦巻いているので、メチャメチャ展開に釘付けになりましたわ。
見応えありまくり。

福山雅治、役所広司、広瀬すずは言うに及ばず。キャストはみな素晴らしかったし。
斉藤由貴なんかは、今 不倫騒動で話題となっているけど、それって映画の宣伝ためだったのかと言いたくなるほどに…ある意味ベストなキャスティングやね(苦笑)

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名古屋市役所に役所さんは来なかった
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2017年09月17日

散歩する侵略者

黒沢 清
長澤まさみ、松田龍平、長谷川博己、笹野高史
行方不明の後、別人のようになって帰ってきた夫。仕事もせず ぶらぶらと散歩する夫から「地球を侵略しに来た」と告白され妻は戸惑う。
一家惨殺事件を追うジャーナリストが、一人の青年と出会う。彼から「自分は侵略者で仲間を探している」と告げられ、半信半疑ながら密着取材を申し入れるのだが…

“散歩”という言葉の持つゆるやかさと、“侵略者”という言葉の持つ危機感。
タイトルからして「?」と思わざるを得ない作品。ではその作品で何が語られているのかしらん!?
ただし 黒沢清監督作品って、一筋縄ではいかないのよね。

実際今作もそうで。
まるで人が変わってしまった夫。会話の馴染まない若者。それらは ただの変わり者というわけではなく。地球人の持つ価値観を持ち合わせていない宇宙人であるという設定。
ゆくゆくは地球を侵略するべく、人間の体を借りて 地球人について調査していると。

そうか、宇宙人が人間の体に入り込んでいるんだね。
それ すなわちウルトラマンと一緒やね。
って本質、全然違ったけど。

まぁ地球人としての矜持を持ち合わせていないので、理解し得ない行動や会話が出てくると。それがそのままストーリーの本筋となっていくと。
さらに そんな侵略者を突け狙う(笹野高史率いる)政府(?)の一団も登場。
またまたカオス。

地球の侵略を企む宇宙人は、まず地球人を知るために、概念を奪い去ってしまいます。
「家族」「仕事」「自分」などなど。またそれらの概念を奪われてしまった人間は、その概念の欠落してしまった人間となってしまいます。

わたくし自身、そうやって概念を奪われた人と会ったことないのでアレだけど、仕事という概念を奪われるとああなるのかな?
何かイマイチ ノレない感がある。

そもそも冒頭のくだり。女子高生が道を歩いていて、その後ろから迫るノロノロ運転のトラックが急ブレーキして、あんなクラッシュ起こしますか?
そういうリアリティを感じられない中で、ストーリーにのめり込んでいく感じになれなかったんだけど。

物語的には ああなって、こうなって、最終的には あの概念を奪ったことでこうなってしまったということなのかな。
今作で描かれている概念。わからないでもないけれど。

この作品、元々は劇団イキウメの舞台を映画化したものであると。
概念を奪うであるとか、地球を侵略しに来た宇宙人であるとか。それら荒唐無稽な設定を“表現”するのって、そもそも舞台の方が向いているような気がします。

舞台であれば見せ方の奥行きも必要ないし、これは そうです…という体で、見る側も受けられますから。
それが映画となると、“ごっこ”では済まない。形としての映像化が求められますからね。

どうも映画作品として、わたくし的には響かなかったわけですが。
ただ 役者さんたちは、みな良かったと思いました。

キッツイ長澤まさみ、まるで宇宙人のように何を感じて何を考えているのか掴めない松田龍平。
世間を斜に構えて見ている様な長谷川博己。

あと人が変わったような前田あっちゃんの上手さも印象に残りました。

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概念が無いねん
posted by 味噌のカツオ at 20:21| Comment(0) | サ行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月11日

新感染 ファイナル・エクスプレス

ヨン・サンホ
コン・ユ、キム・スアン、チョン・ユミ、マ・ドンソク
ソウルからプサンへ向かう高速鉄道KTX。その車内で突如起こった感染爆発。逃げ場のない列車内で次々に凶暴化していく乗客たち。
偶然乗り合わせたある父と幼い娘、妊娠中の妻とその夫、学生たちが、生き残りをかけて決死の戦いに挑んでいく…。

この作品は 日本公開のかなり前からチラシが出ておりまして。
一見するとゾンビモノであると。電車の車内でソレが発生。つまりは逃げ場のない車内の中でってことでしょうと。それぐらいは想像がつきますわね。

でもゾンビってある意味で使い古されちゃってるテーマでもあるし。邦題が「新感染」ってベタだよねと思ってしまったり。
そのくせ、えらく評判がいいんだよね。

ってなわけで 念のため、鑑賞をしてきたわけですが。
さすがは韓国映画。日本じゃ無理だろってレベルのダイナミズムと、クライマックスの畳みかけ。
見事にやられましたね。超・見応えありでしたね。

ダラダラしないイントロダクション。そしてすぐさま舞台は ソウル発プサン行きの高速鉄道KTX車内に。
あっという間に車内に“疑わしい”女が乗車。凶暴化したゾンビに映画的な“溜め”が通用するはずもなく、一気にパニックに。

ここまでの展開自体、高速鉄道並みに早かったね。
おそらくケチな邦画だったら もっとジワジワからの「ジャーン!」ってやりそうだけど(苦笑)

そんなパニックスタートの早い分、以降は 途中の停車駅、車内、トイレ、空き缶など様々なアイデア駆使して見せ場を作ってくれてます。

さらに 上手いと思わせてくれたのが、まさに老若男女・登場人物たちのキャラクターによる人間関係の作り方。
まぁまぁモブ系かなと思ったキャストが重要な動きを見せたりするので、その都度 心動かされます。

主人公はぶっちゃけ いけ好かない。「なんやねんコイツ」と思うんだけど、わざとらしさを思わせることなく 成長させていくんですよね。
そしてパッと見 パパイヤさんかと思うようなガッシリとしたおっちゃんの頼もしさったら。

そして これ見よがしにユニフォーム姿でバット持参の高校球児。
仲がいいのか悪いのか わからない年配の姉妹。そして なぜかもぐりこんでるホームレス男。

みんな その流れの中で見せ場があり、しっかりと感情移入できるんですよね。
「コイツらをこの車両に入れるな」という くだりもイライラさせられたし。

外部からプサンは無事だとの情報がありましたが、実際は本当は大丈夫なのかと。そんな風に見ていたけど、そこまで すんなりたどり着けず、さらなるアクシデントに見舞われて。
この映像は?CG? なんにせよ結構な迫力で。

それに続く、ゾンビたちが磁石に付く砂鉄のようにつながっていく描写もたまらなかったし。

やっとこれで…というところで さらにどんでん返しで。
父親を信頼していなかった娘を、あんな風に心変わりさせるのも やられたって感じだし。その父親のラストをシルエットだけで映すのも上手いなと思ったし。

元々アニメ作品の監督による 初の実写映画とのこと。
あまり韓国製のアニメって評価を聞かないので、クオリティというかそのあたりのレベルはわかりませんが。
間違いなく、今作に於いて そのポテンシャルは発揮されております。

ゾンビパニック、アクション、そしてキッチリと響く人間ドラマ。めちゃ引き込まれましたわ。
ちなみにフランスでのリメイクが決まっているとか。やっぱりTGVが舞台となるんですかね。

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でもダジャレっぽい邦題は気になるかなw
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2017年07月10日

セールスマン

アスガー・ファルハディ
シャハブ・ホセイニ、タラネ・アリシュスティ
小さな劇団で、劇作家アーサー・ミラーの戯曲「セールスマンの死」の舞台に出演していたある夫婦。引っ越し後 間もない自宅で、夫の留守中に妻が何者かに襲われてしまう。
事件を表沙汰にしたくない妻と、犯人を突き止めようとする夫。そんな二人の感情にズレが生じてしまい…

セールスマンと聞くと、何かを売り歩く人、会社員の印象が先に立ってしまいますが。
この作品タイトルの「セールスマン」というのは、劇作家アーサー・ミラーの戯曲「セールスマンの死」に由来するものでして。

とは言うもの、不勉強なものでして、その元ネタとなっている舞台を存じ上げませんで。
また 今作の中でも それについての詳しい説明はなく。

それらの前段が無いままこの作品と向き合うのが、良いのかどうなのかは言いにくいけども。
でも その前提で見るしかないんだけども。

人の感情というものには大きな差異はないだろうけども、舞台となっているイランの状況。国の態勢などは意識して見るべきでしょうね。
妻が事件を公にしたくないと思ったのにはそれなりの理由があるということで。

それから“あんな人”が、あんなことをできるのかという疑問もありつつ、そこは目をつぶるとして。

とある事件が起こり、サスペンスチックな展開を経て、ある事実が明かされていきます。
と なったところで、また新たな急展開。これまで被害者と思われた側が、別の試練を背負わされてしまう…と。

アスガー・ファルハディ監督の作品はこれまでにも見てきてはおりますが。
今回ちょっと思ったのは、ファルハディ監督の作風って、小学校の時に見た“道徳”の授業のVTRみたいで。

このような場合、あなたならどうする? あなたはどう考えますか? と問われるような。
今作はまた そのスタンスがより強いような。

もちろん それを見た観客がアレコレ考えてこそ映画の存在意義であるし、それこそが監督の表現の仕方でありますからね。

それとは別にですが。この作品は今年のアカデミー賞で外国語映画賞を受賞いたしました。
ですがイラン人(など)に関して入国ビザの発給を制限するアメリカの向こうを張って、監督らは授賞式への参加をボイコット。

まさに監督が作品を通じて様々な問題を問い掛けるかの如く、自らの姿勢をもって 問題提起をしてみせました。世界に向かってね。

それでこそ、それこそが、ファルハディ監督というエピソードであると思います。

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笑えないセールスマン
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2017年07月09日

ジーサンズ はじめての強盗

ザック・ブラフ
モーガン・フリーマン、マイケル・ケイン、アラン・アーキン
平穏な余生を過ごしていたウィリー、ジョー、アルバートの3人。しかし長年勤めていた会社の合併により、年金を止められてしまう。
なんとしてでも今までの生活を取り戻し、愛する家族と仲間たちとの余生を続けるべく、彼らは銀行強盗を計画するのだが…

テレビ東京では 北大路欣也、泉谷しげる、志賀廣太郎のドラマ「三匹のおっさん」が話題になりました。
ええ歳こいた おっさんが世直し的な活躍をするというお話でしたかね。

一方、こちらの映画は3人の名優が銀行強盗をしちゃうぞという物語。
資料によると マイケル・ケインが83歳。アラン・アーキンが82歳。モーガン・フリーマンが80歳とのこと。

えぇっマジっすか!?その割にはみなさんメチャお元気で。
でもマイケル・ケインが83歳で孫が あんなティーンというのは年齢の段階的にどやさ!?とは思いましたが。
もしかしたら役どころは もうちょっと若い設定なのかしらん?

基本コメディ路線で。実際に 微笑ましく笑える場面もチョイチョイあって。
ただし、銀行強盗するということについては、基本犯罪なので。その点どうなんだろうかと思いましたが、ギリギリ セーフだったですかね。
社会の巨悪に、ジジィたちが立ち向かていく風になってましたから。

もちろんコメディなので あまりに目くじら立て過ぎても、映画としての楽しみはまた別かな。

ぶっちゃけ少々 中だるみした箇所もなくはないけれど。
じいさんたちそれぞれの事情にも深みがあるし、全般的な伏線の貼り方と、それらのキレイな回収の仕方がされるので、あれこれ注視しておくのが良いかもね。

しかし冒頭のあの場面が、あんなところにつながっていくとは。
楽しませ方がオトナな映画だよねと。
そんな風に思いましたが。

それと相反するように、日本側の 邦題の付け方のダサさは微妙っちゃあ微妙で。
ちなみに原題は「Going in Style」というもので。
なんだかなぁ。

小規模公開ではありますが、上映時間も100分切るぐらいで、気楽に楽しめる展開でね。
見て良かったですよ。
posted by 味噌のカツオ at 00:23| Comment(0) | TrackBack(0) | サ行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする