2016年11月09日

ザ・ギフト

ジョエル・エドガートン
ジェイソン・ベイトマン、レベッカ・ホール、ジョエル・エドガートン
夫の故郷で新生活を始めたサイモンとロビン。偶然、買い物中にサイモンの同級生だったゴードから声をかけられる。
再会を喜び、二人に1本のワインをプレゼントするゴード。しかし次第にエスカレートしていく彼からのギフトに、二人は違和感を覚える。

率直に、胸クソ悪い結末の映画。でも映画としての見応えは十分。
ちゃんと日常の延長線上の中で、不穏な見せ方ができているので、とてもイヤな気分にさせてくれます。
もちろん映画としてですよ。

夫の故郷で新生活を始める夫婦。長めのいい住まい。そして新たな職場で歓迎を受け、まさに誰もがうらやむような夫婦のカタチ。
ただし、序盤で印象付けられるのが、なかなか子供ができないということ。

“赤ちゃんは天からの授かりもの”であるとするならば、それも“ギフト”のひとつと言えるのかな。

そんな夫婦が、偶然に夫の昔の同級生に出会います。
見てる観客側からすると、間違いなく怪しいその男なのですが。その期待に見合った行動で不穏な空気を深めていってくれます。

一方的な贈り物。「普通ならダンナ仕事に行ってるだろ」って時間帯での訪問。「ホントに?」というほどの邸宅へのお誘い。
真意がなかなか読めません。

その後も夫婦の周辺で危険な兆候が見え隠れ。
やがて、あれやこれやと“化けの皮”がはがれていき、この夫婦に決定的なことが起きてしまうと。
ねぇ。

よくもまぁこんな物語を思いつくな〜というトコですが。
監督・脚本はジョエル・エドガートン。ほうほう、この怪しげな同級生を演じた人の作品だったのね。

ある登場人物の印象を変えていくスイッチの入れ方とかが絶妙で。
いきなり“ドーン!”のビックリ箱的な見せ場も入れつつ、ジワジワと人間の秘めたいやらしさを突き付けていくという。それも満足度を高めてる要因でしょう。

言ってしまえば この着地点、どう転んでも真の幸福ではないような感じがしてね。
だからより胸クソ悪いと思えてしまうんだが。やっぱり映画としては面白いですわ。

映画ファンとして多くの人に見てもらいたい作品だけど。
こんな悪趣味なストーリーをおススメするなんて、ワシの人間性が疑われるかな(苦笑)

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隣人はホントいい人
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2016年10月11日

少女

三島有紀子
本田 翼、山本美月、真剣佑、稲垣吾郎
それぞれが闇を抱える高校2年生の由紀と敦子。転校生の紫織から「親友の死体を見たことがある」と聞き、ふたりは人が死ぬ瞬間を見たいと思うようになる。
やがて夏休みになり、由紀は小児科病棟で、敦子は老人ホームでボランティアを始めるが…

原作は湊かなえの小説。これまでにも「告白」や「白ゆき姫殺人事件」が映画化されております。
それらは それなりに話題にもなってましたが。今作は巷の評判がイマイチみたいですね。実際わたくしが見に行ったとき、他に1人しか客おらんかったし。

ぶっちゃけさ、みんな わざわざ金払って暗〜い映画を見たくないんだと思うよ。
作品の良し悪しはさておき、暗いの見たくないんでしょ。

そう言いきれるぐらい、チラシから予告編から辛気臭さが漂ってて。
本田翼が山本美月をジワジワいたぶって殺す映画なんか…ねぇ。

というとこですが。
実際には そんな感じの映画でもあったり、なかったり。
少なくとも あんな笑顔が見られるとは…と思ったわけで。

んで逆に「人が死ぬところが見たい」と思って見に来た人には、ちょっと違和感あるかも。
こういう書き方すると なんだか誰にも見向きされなさそうな作品だよね。

でも、でも、考えようによっては「聲の形」にも通じるようなテーマ性もあって。わたくし的には そんなに悪くはなかったです。

事前のイメージとは違って 友情だとか、前に進もうという思いだとか。
終盤、全部の登場人物の関係性がつながっていく展開は、映画的にも(なんとなく)面白かったし。

そして男性目線で言えば、本田翼が山本美月をじっくり見られること。
二人が手をつないで駆けていくスロー映像は…よかったです。

冒頭に、舞台・お芝居のワンシーンのようなものが出てきます。
その時点で、これはお芝居の延長なんだなと思えばすんなりと入っていけるでしょう。

そもそも三島有紀子監督は、かつて「しあわせのパン」で沁みる作品を作ってて。
ところが 続く「ぶどうのなみだ」はリズム感の悪いファンタジーで全く受け入れられず。

それを思えば今作は、その中間かなぁ。
なんというか、我々が生きている社会とはちょっと違う日常ベースで描かれてるので、真正面から受け止めようとするといくらかしんどいね。

本田翼演じる由紀がどんなキャラなのかは、一貫性が無く見えて、少々つらいな。
闇の中から半開きの眼差しで全てを見てるのかと思いきや、普通に可愛らしい笑顔もみせるし。
そもそも現在24歳の本田翼と 25歳の山本美月が女子高生役なんだから。
全部受け入れられる人じゃないと楽しめない映画かな。

最後に、稲垣吾郎がいい雰囲気もってて。
自身も映画好きというのは聞きますが。映画俳優としての吾郎ちゃん。今後も期待したいですね。

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まさかのタッチー&昴
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2016年10月03日

SCOOP!

大根 仁
福山雅治、二階堂ふみ、吉田 羊、滝藤賢一
伝説的スクープ写真を撮ってきたカメラマンの都城静。今では借金に追われつつ、芸能スキャンダル専門のパパラッチとなっていた。そんな彼が、写真週刊誌「SCOOP!」に配属された新人記者・行川野火とタッグを組むことに。
この仕事に疑問を持っていた野火だったが、次々とスクープを連発するうち その魅力に取り込まれていく。

大根仁監督が福山雅治と初タッグで描くは、芸能パパラッチが主人公という。そもそもスキャンダラスなテーマなので、エンタメとして面白くなりそうだけど、下手すると奇をてらっただけになる可能性も。
ところがところが。そんな心配は杞憂に終わります。
率直に、こんなに泣けるとは思わなんだ(笑)

その福山演じる都城静という男。借金を抱え、笑顔を忘れ、下ネタまみれで自堕落なカメラマン。しかも他人のスキャンダルが食いブチという。
が、意外にも このキャラクターが福山雅治にどハマリで。

近年は“陰”な役が多いですし、カメラが趣味であり 下ネタ好きであり。
それらの情報が見る側としてリンクしてる一方、芸能スクープの対象になったことが無いので、役に対しての“あてつけ”感がないのもまた良し。
そういうところが人間味として魅力があって、ビジュアルの良さが主役感を放っていて。

そんな芸能スクープのあり方について、一部ではゲスいイメージもあるけれど。それが話題として日常の中で存在しているのも事実。
突然 現場に付き合わされた野火が「サイテーな仕事」というのもわかります。

でも大きな獲物を捕らえたならば「この仕事サイコー!」と言ってしまう感覚。
その両方持ち合わせているのが この仕事なんでしょう。

さてさて、以下だんだんネタバレ無しでは書けなくなってしまいますが。
終盤、芸能スキャンダルだけではなく、昔のように社会・事件のスクープを撮ってほしいとなっていきまして。
静がカメラマンを目指すきっかけとなった ロバート・キャパの報道写真が引用されます。

そんな折に飛び込んできた リリー・フランキー演じるチャラ源さんの事件。
そして衝撃的な展開へと向かっていきます。

この辺りまでの雰囲気は、ずいぶんと昔に見たドラマ「探偵物語」や「プロハンター」などに感じたコメディ&シリアスを彷彿とさせ。
あの場面については「太陽にほえろ」シリーズの殉職シーンに覚えた哀愁と色気が垣間見えました。

その瞬間を野火が捉えた写真が また印象的で。見ようによっては、先のキャパの兵士の写真にも重なるものがあって。
あの写真が微妙だと その後の説得力が無くなってくるものなので。そういう意味で素晴らしかったと思います。

それに続く、その写真の扱いについての編集部での場面。そして涙ながらに語る馬場ちゃんこと滝藤賢一がたまらない。

もうホント、こんなに泣かされるとは思わなんだというのがこの辺りでして。
確かに ちょっとやり過ぎな描写もあったり、いくらなんでも現実には…と言いたくなる部分もあります。
でも そこは映画ですからと乗り越えさせてもらってね。

下世話であり、思わず笑えたり。静と野火のバディムービーであり。
気がつけば社会派なメッセージも突き付けられたりもして。
それらのテイストを上手く配しているので、映画としての満足度がとても高くなっています。

あとどうしても書いておかなくてはいけないのが、リリーさんの怪演っぷり。あれは怖い。
もちろん、当然、実生活であんな人と接したことは無いけれど、ああいう人はそうなんだろうなと思わせる絶妙な具合が、より恐ろしさを突き付けてきます。
もっと言うなら、よくもあんな“芝居”ができるなと(苦笑)

そして 吉田羊さん演じる定子も芯のある女性編集者然としていて。
映画には描かれていない静との過去もにおわせる雰囲気は上手いと思いました。

映画って役者が演じたものをカメラに収めて、編集して音楽つけていって作っていくわけだけども。
何を写して どう仕上げていくか。結局のところは監督のセンスだと思うんですよ。

であるとするならば、観客を一時も退屈させないような大根監督の作風はやっぱりスゴいよね。

余談ですがね。ホントに見応えのある作品だったので、「探偵はBARにいる」みたいに続編ができたりしないかな。
でも静があぁなっては無理か。。。

でも その前日譚として、静と定子の関係や、チャラ源さんと間に交わされた物語を掘り下げるのはありなのかな。
やっぱスケジュール的に無理か!?

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ましゃ=キューピー
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2016年09月22日

スーサイド・スクワッド

デヴィッド・エアー
ウィル・スミス、ジャレッド・レト、マーゴット・ロビー、ジョエル・キナマン
世界崩壊の危機が到来。政府は 死刑や終身刑となった悪党たちを集め、減刑と引き換えに自殺に等しい任務を強制する集団スーサイド・スクワッドを結成。
人類の危機を救うため、彼ら“最凶悪チーム”を戦いの最前線へと送り込む。

アメコミ系ムービーもアレコレ公開されておりますが、昨今では様々なキャラクターのコラボした作品が多いですね。
マーベルの「アベンジャーズ」は もはやそれがシリーズとなってますし。今年はDCコミックの「バットマンvsスーパーマン」も大きな話題となりました。

この「スーサイド・スクワッド」はDCコミックに登場した悪役が一堂に会して地球のために?それぞれの夢のために?戦うという。
ありそうでなかったこの発想。確かに なんか面白そう。

ではありますが、正直 日本での反響は中ヒットという手応えなのかな?

先の戦いを経て、今はスーパーマンはいないという世界。
バットマンの敵だったキャラが多いのかしらん。実際にバットマンも今作にチョイ役で登場してます。

悪役オールスターズといわれると それなりに興味は湧きますが。よくよく気付けばジョーカー以外は知らないキャラであり。その肝心のジョーカーは このチームには入っていないし(苦笑)

日本人的には“悪役が主役”というのも受け入れがたいのかな。
ダークヒーロ―というカテゴリーもあるけれど、バットマン自体がダークヒーロ―という側面あるしね。

なんて小難しいこと言ってはおりますが。
そういうことヌキに見てみれば、それぞれのキャラも立っているので 十分に楽しめましたよ。

何よりエロ・キュートでスタイル抜群なハーレイ・クインには目を奪われちゃいますわね。
ウィル・スミス演じる百発百中のデッドショットも頼もしい感じはあったけど。

それぞれの物語もサラリと踏襲しつつ、どのようにしてこのチームが誕生するのか。彼らは何を守って何と戦うのか。
その見せ方がスマートでわかりやすかったです。

ただし“悪党チーム”と謳っている割には、みんな そんなに悪党に感じられなかったり。
結局もっと悪という存在が出てきちゃうので、そもそものお題目が薄まっちゃうかな。
それぞれのキャラクター自体、バットマンのような特別な人間なのか、スーパーマンのような特殊な存在なのか。それらを気にしちゃうと話が成立しなくなっちゃうか。

それからカタナというキャラも気になったね。なかなかのビジュアル。日本代表(?)がここにいるのはちょっと嬉しい。
ただし、あの日本語の微妙さはなんとかならんかと。それに仮面を外している絵もなくていいだろと思ったけどね。
安っぽい濡れ場以上に仮面を脱ぐ必然性がなくないか?

いろいろツッコミたくなる感はあるけども。
基本的にはオールスターお祭りムービーとして、ドッカン ドッカンやってくれればいいのかな。この手の映画は。

また次作につなげるシーンもラストにあるでよ。

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あいつよりキミの方が“プリンプリン”だよ
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2016年08月02日

シン・ゴジラ

庵野秀明、樋口真嗣
長谷川博己、石原さとみ、竹野内豊、高良健吾
東京湾アクアトンネルが崩落する事故が発生。政府は緊急の会議を招集。その席で内閣官房副長官・矢口は巨大生物による事故の可能性を提言するが、一笑に付される。
しかし 海上に巨大不明生物が出現。やがて首都に上陸し、甚大な被害を及ぼし、日本政府はその対応迫られる。

2014年に世界的にヒットしたアメリカ版の「GODZILLA ゴジラ」。
その公開後に発表になったのが、2016年に12年ぶりに日本製のゴジラが復活というニュースでした。

正直「GODZILLA ゴジラ」に煮え切らないものを感じていたこともあり、これはこれで素直に歓迎。
数百億とも言われるアメリカ版の制作費に対し、予算で敵わないのであれば 頭をフル回転させて、日本でしか作れないゴジラ映画を見たいと。そんな期待を込めておりました。

それから1年半。ついにベールを脱いだ「シン・ゴジラ」。
まずは、素晴らしかった。とにかく見応えありましたよ。
怪獣映画として素晴らしいのではなく、映画として素晴らしい出来になっていると思いました。

東京湾の海底トンネルで事故が発生。政府が集まっての会議が行われ、正直 どこかゆるい雰囲気を感じさせるその場が、事態が動くとともに、(当然ながら)後追いで政府も対応を協議。
しかし、責任の所在や決断力の曖昧さで、みるみる事態が悪化。

その場で適切な対応を行えなかったがために、その後に更なる被害が…という感じ。
ストーリーとしてそれは理解できますが、要は そこまで政府内や様々な場で行われる会議というヤツを、イチイチ見せることでの緊張感。
また事態の変化を見守るうち、ネット上には巨大生物と思しき動画がアップされていくなんて現代のリアリティ。

そしてそれらの状況を、テンポよく紡いでいくことで、進行度の早さと焦燥感が表現され、観客としてはグイグイと物語に乗せられていきます。

この映画の基本スタンスは、今ゴジラが現れたら日本はどう対応するのかという、壮大なシミュレーション。
今回の有事に際し、専門家、奇人変人、はみ出しもの、鼻つまみ者が収集されてチームが作られまして。これはこれで面白味ありますわ。
そのチームによる分析で明かされるゴジラの生態。そして対処方法が検討されていきます。

それとは別にアメリカが動き、アジアが影響を受け、フランスも反応し…
まさに この辺りも「なるほど〜」とうなずいたり、「そりゃそうなるわな」とニヤニヤしながら見入ってしまいました。

事の顛末としては、未曾有の自然災害に見舞われた街であり、東京に原発があって それが異常をきたしたらであり、もしも核兵器を使用するとなればであり。
それらを乗り越え、関係各所と連携を図り、日本という国家がいかにして存続を目指すのかの軌跡でもあります。

そのモチーフは かの震災と原発の事故。広島と長崎の記憶。日米安保や憲法の扱いなど。
それらをゴジラというフィルターを通して問題提起しているとも言えます。

結局それらをテーマに置くことって日本でしか描けないことだと思うんですよ。
だからこそ僕たちは考えさせられ、共感を得られるわけで。

もしかしたら「インディペンデンスディ」がUSAバンザイと叫んでも、日本人は本気でノレないのと同様に。この作品を他国の人が見ても、本質の部分についてはピンとこない可能性はありますね。

かの「GODZILLA ゴジラ」も、前半は“それらしい”問題提起をしつつ、後半は怪獣同士のドッカンドッカンで評価を得たいわけじゃないですか。
それに比べると 今作のゴジラ殲滅パートは地味といえば地味。鉄道ファンは「あっ!」と思うかもだけど(笑)

そして全編CGで製作されたゴジラのベースとなるモーションキャプチャーを、狂言師の野村萬斎が担当。
この発想から表現も、どんだけ制作費があってもたどり着けないであろう、日本独自の〜という部分の象徴ではないでしょうか。

これまで怪獣は“着ぐるみ”じゃないと認めない…という、頭のカタいスタンスだったわたくしも、今回のゴジラはCGであっても大満足。
その佇まい、迫力、リアリティ、非の打ち所がない仕上がりです。

さて、一部では今作の石原さとみのキャラに賛否が出ておりますが。
イーオン仕込みの英語の発音でチョイチョイ「ガッジーラ!」がインサートされるのは、少々難解なワードや堅苦しそうな会議場面の数珠つなぎで力み過ぎそうな世界観のなかで、程よい箸休め効果があって。
浮いていないとは言えませんが、悪くはないと思ってますよ。

それとは別に気になった点は、矢口がなぜに荒唐無稽な“巨大生物説”にこだわったのか。
普通に考えたら、あの場であのような発言はそぐわないようにも思うけれど。

それから なぜゴジラが東京に?という点。
生物的に考えれば、やはり核保有施設のある場所に反応するなど、何がしかの理由が欲しいところだけど。
強いて言うならば、ゴジラの存在自体が日本に向けられた“念”のようなものだとするならば、首都を狙うのはありえる話だけど。

とまぁアレコレ書きつつも、映画としてのクオリティは非常に高い。
んで一時期のゴジラ映画は、怪獣好きな少年需要を見込んだ作品であったわけですが、今作は小中学生が見ても イマイチわからないものになっていると思われます。

ある意味“その当時の”少年ファンがオトナになり、作る側になって実現させた創作だといえるかも。

でも1954年の第一作の当時は、そもそも映画というものが大人の娯楽であって。
そんな大人たちが「ゴジラ」を「おそろしいもんだ」と見ていたはずなんですよ。

それらを合わせて考えるならば、この2016年の「シン・ゴジラ」は「あの日に子供だった オトナたちの映画」であるのかもね。

とにかく、今の日本が誇ることのできる作品となっています。
素晴らしい!!

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自衛隊にできるのは攻撃だけではない…ね。
posted by 味噌のカツオ at 23:44| Comment(0) | TrackBack(0) | サ行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月01日

セトウツミ

大森立嗣
池松壮亮、菅田将暉、中条あやみ
高校2年生の内海想と瀬戸小吉。放課後に河原で話をしながら、内海が塾に行くまでの暇つぶしている。
そんなふたりの“しゃべり”による青春ストーリー。

上映時間は75分。
基本的には川べりで2人の高校生がただただ だべってるというもの。

とても面白い。
なにがどう面白いかというと・・・まったくと言っていいほど覚えていない。

でも そんな、その場だけで交わされて消えていく会話の面白さ、バカバカしさ。
誰もがそんな他愛もない時間ってヤツの大切さを知ってるはずなので。

無理なく笑えます。

ネタの運びや笑いの取り方は漫才っぽいのだけど、あくまで感覚としては漫才では無くて、日常会話のそれで。
まぁ関西人は日常会話自体が漫才みたいとも言われるけどね。

でも主演の2人に関して言うならば、そのシナリオを日常だべりの体(てい)で演じるのって、結構難しいと思うんだよね。
それをナチュラルに、見るものを楽しくさせながら表現してみせたのは、やっぱ素晴らしいですわ。
あと いい感じで季節感を織り交ぜてるのも印象的やね。

厳しいことを言うならば、わざわざ映画というフィールドでなくても。
テレビでも成立するんじゃないの〜とは思うけど。

無理やり擁護するならば、スクリーンで このゆるい笑いを体感することの贅沢さと。そんなところかな。
映画館で上映されるもの、それすなわち、映画という事でね。

面白かったです!

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“セトナイカイ”じゃないのね
posted by 味噌のカツオ at 22:38| Comment(0) | TrackBack(0) | サ行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月18日

シング・ストリート 未来へのうた

ジョン・カーニー
フェルディア・ウォルシュ=ピーロ、ルーシー・ボイントン、ジャック・レイナー
1985年のダブリン。大不況により父親が失業し、荒れた公立校に転校させられた14歳のコナー。
街で見かけたモデル志望のラフィナの美しさに惹かれ「僕のバンドのPVに出ない?」と口走ってしまう。慌ててバンドを組んだコナーは、ロンドンの音楽シーンを驚愕させるPVを製作することを決意する。

監督は「ONCE ダブリンの街角で」や「はじまりのうた」など音楽が関わる作品を手掛けてこられたジョン・カーニー。

そのジョン・カーニー監督の半自伝的映画とのことらしいのですが。
監督は1972年生まれとのことで。1971年生まれのわたくしとはモロ同世代。
だ・か・ら、この作品に描かれている時代背景、文化、そして音楽は直撃世代でありまして。

そりゃあもう、たまらない作品でございましたよ。

舞台となっている1985年。
いわゆるMTV(三重テレビじゃないよ)が勢いを増して、MVというツールとともに注目が広がっていった時期でした。
音楽が映像を伴っていくことで、音楽的センスだけでなく、ビジュアル面、あるいはMVのクオリティも競われはじめた頃でした。

主人公コナーは両親の関係が悪化することで、学校を変わることを余儀なくされ、また移った学校が非常に環境が悪かったと。
学校に居場所を見つけられない、また両親のケンカで家でも落ち着けない。そんな彼の唯一の楽しみが、兄と一緒にロンドンのMVをテレビで見ることだったんですね。

わたくし自身にもバンドやってたアニキがいて。
当然アニキの聞く音楽をこっちも耳にするもので。そういう影響って少なからずありますわね。

このコナーのお兄さんってのが またセンスがあって。
もちろん音楽の面だけでなく、青春の扉をひとつひとつ開くサポート役だったのも素晴らしい。

ひょんなスケベ心(?)からバンドを組み、PVを撮ることとなったコナー。
あの最初の曲の衣装のチョイス。誰ひとり“そういう”ことの理解していない中、各々の自宅にあった一番派手な服を持ち寄った感がまたお見事。
そんな場面を始め、当時のアーティストを揶揄ゆるようなセリフや音楽の話題で、結構 劇場の中に笑いも起こっていました。

「カバー曲なんてダサいぜ」とオリジナルの製作に挑むコナーたち。
今バンドが置かれている状況、コナーの思い、それらを作品に盛り込んでいく過程も面白かったし。
歌詞の表現や音楽のスタイルも、じつに当時を思わせる“らしい”曲調。

そんな、80年代っぽいオリジナルと、実際に当時流行っていた曲が交互に流れるのも嬉しい演出で。

オリジナル曲も増えて、学校で行われるパーティでギグ(この言い方すら涙モノ)をやろうぜと。ここからのラストまでの畳みかけにもいろんな名場面が詰まってて。

彼女が一人で空き地でデモテープを聞き涙ぐむシーンなんか、そのままカセットテープのCMになりそうだったし。
「ここでバラードは盛り下がるぜ」「いや、やろう」。「ここでこんな曲やったらもう演奏できなくなるかも」「もうどうなってもいいよ」。
そんなやりとりも未来を信じていればこそだし。

そして「サイコーなヤツだぜ」と歌詞を送り、コナーと彼女の旅立ちをもろ手をあげてサポートするアニキの姿なんてのもイカしてるわ。
この辺りの終盤の展開、おもいがけず もう目がウルウルきちゃって。
いやぁたまんなかったなぁ。

そもそもシング・ストリートが最初に音を出した時の不安定感にヒヤヒヤしつつ。
新たな作品も作りながら様になり。気付けば その音も洗練され、ビジュアルも垢抜けて、ハートも強くなっていって。

わっかりやすい成長の物語でありながら、そこにあざとさを残さないのは監督の手腕なんでしょうか。
またまた良い作品に出会えました。シング・ストリート、サイコーの1985に乾杯です!

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“人生”という名のバンド、あったよ
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2016年07月17日

青春100キロ

平野勝之
上原亜衣、ケイ、タイガー小堺、智子
引退を発表した人気AV女優の上原亜衣。その最後の作品に出演する素人100人が集められたが、その中の一人・ケイくんに とある条件が与えられた。
それは2日間で100kmを走りきれたら上原亜衣と会う事ができる、というものだった。

たいがいの男子がお世話になったであろう上原亜衣ちゃん。その彼女が様々なランキングで1位を獲得。
それを受け「目標が持てなくなった」として引退を表明。

その最後の作品に出演できる多くの素人が集められました。その中の一人、ケイくん(仮名)はマラソン経験者である事。またスタッフの中から「彼は何かを持っている」と見初められ、とある条件を言い渡されます。
それが、2日間で100kmを走りきれたら上原亜衣と生中出しができるというもの。

2015年の年末。新宿の都庁前をスタートし、亜衣ちゃんが最後の撮影を行っている河口湖までの100キロを、2日かけて走るという企画。
今作の監督であり、自転車でケイくんと並走するのが「監督失格」の平野勝之。

滞りなくスタートしたものの、スタッフ間から「これ、見てておもしろいか?」との疑問が。
そこで あれやこれやアイデアを出し合っているうちに、思ってもみなかったトラブルが発生。

ある意味 起こるべくして〜的な。さらにフォローの甘さも手伝ってなかなか面白かったですわ。

やがてトラブルも解消し、大きく時間ロスをしながらも ふたたび走り出すケイくん。
時間、距離、そして寒さと闘いながらゴールを目指して走ります。

まぁ言ってしまえば“忍耐”という文字の似合う過酷な展開。
しかしケイくんのピュアな思い。楽天的な監督。そこに挿入される天使・上原亜衣。
なんやかんやで見入ってしまいました。

しかし特筆すべきは ケイくんのひたむきさ。
見る側からすると、これはかなりキツいんじゃないかと。足が動かないんじゃないかと。そんな風に見ているんだけど、一貫して「亜衣ちゃんに会いたい」その思いのブレなさたるや。
今の若者が…いや、自分自身も含めてここまで真っ直ぐになれるものかと。おもわず問い掛けてしまいます。

そして訪れる感動のひと時。
目頭も、股間もアツくなると言っても過言では…

「最後の相手が彼で良かった。一番、目を見つめてくれた」という言葉も印象的。
また最後の撮影を終えて「青春が終わった」なんて言葉も。

方やゴールをクリアし、フィニッシュを迎えたケイくんの全ても、やはり青春を感じさせてくれて。
まさに「青春100キロ」とはこういうことなんやね。。。

とまぁ上手いこと言えないけど、テーマがテーマではあるけれど、なんかいいもん見たなと思わせてくれる作品であります。
100キロ走ってることヌキにして、率直に「うらやましい」と思ったりしてね(笑)

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亜衣ちゃん、お世話になりました。
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2016年06月22日

貞子vs伽椰子

白石晃士
山本美月、玉城ティナ、佐津川愛美、安藤政信
見たら2日後に死ぬという“呪いのビデオ”を手にしてしまった女子大生の有里。ビデオを見た親友の夏美を守るべく、大学教授の森繁と共に、悪霊祓いを受けるのだが…
女子高生の鈴花は、失踪した小学生の姿を見かけ、無人であるはずの“呪いの家”へと入ってしまう。
異端の霊媒師・経蔵は、ふたつの呪いを激突させ、同時に消滅させる計画を立てる。

小説や映画のシリーズ化で長く親しまれて(?)きたホラーシリーズ「リング」と「呪怨」。
それらのヒロイン(??)であるところの貞子と伽椰子が共演という事で、大きな注目を集めている作品。

古くは「キングコング対ゴジラ」「マジンガーZ対デビルマン」。映画では「エイリアンvsプレデター」「フレディVSジェイソン」なんてのもありました。
近いところでは「バットマンvsスーパーマン」も。

たいがいヒーローモノの場合、前半に対決シーンがありながらも、後半は協力して悪と戦うパターンが定番だけど。
この ふたつの“呪い”の共演。はたしてどうなるか。

映画では「リング」のストーリーと「呪怨」のストーリーが交差するんだけど、「リング」比率のがやや多め。
かつてはビデオを見た1週間後に〜というものだったけど、ここでは2日後に〜とルール変更。

あと以前見た“呪いのビデオ”には、井戸の中から貞子の怨念が這い出して来る場面があったはずだけど、これも変わってましたね。
貞子さん、新作撮ったのかな?

主人公・有里の親友・夏美がビデオを見てしまい、呪いのビデオを研究している大学教授の森繁と共に悪霊祓いへと向かうのですが…
この女性霊媒師が わたくし的にはかなりツボで。トキメキました。

やぁ〜いかにもって感じで。こんなおばちゃんいそうだわ。
んで念仏を唱え、夏美を引っ叩き、強引に水を飲ませとかなり荒っぽい&怪しい(苦笑)

ところが残念なことに これがモノホンの設定で。結果、貞子を怒らせてしまい、物語は一気に前進。
さらなる助っ人として異端の霊媒師・常盤経蔵と その相棒で強い霊感を持つ盲目の少女・珠緒が登場。

なんかよくわからんが、これまたいいキャラで。
なるほどブラックジャック&ピノコがモチーフなのか!?
正直 このふたりの芝居が微妙でね。でも それすら非・現実感につながって、なかなか良いキャラだと思えた次第。

一方の「呪怨」パート。ってか、わたくし「呪怨」シリーズ一本も見ていないな。
なので、オカルト系にはありがちな設定ではあるが、それなりに新鮮に追えました。

以下ネタバレチックになっていきますが。
経蔵の提案による荒療治開始。「バケモノにはバケモノをぶつけるんだ」という名言もGood。

呪いの家にビデオを持ち込み(電源はどこから?)、再生することで貞子と伽椰子を呼び出すことに成功。そして夢のような直接対決がついに実現。
普通のバトルものって序盤に一度軽いバトルがありつつ、ラストに決着戦となだれこみます。

ここまで両者のあらすじを辿る展開がメインで、怖いシーンって そんなになくって。
それもあって 見せ場が少ないようにも思えたんだけど。
その分 この状況で、山本美月と玉城ティナが一緒に絶叫するシーンはインパクトありました。

薄暗い居間に貞子と伽椰子がたたずむ絵は なかなかシュール。
ただし 両者そんなに“技”があるわけじゃないので、尺としては短め。

結局 家では決着がつかず戦いは外へ。そしてここで井戸が登場。
でも今作では、井戸が貞子のホームという事ではないらしい。

その井戸に飛び込んだ有里を追う形で、貞子と伽椰子がクラッシュ!!
すかさず井戸を封印したのだけど…


全編を通して チョイチョイ気になるツッコミどころもありました。
トータルで2〜3日の出来事のはずだけど、有里のヘアアレンジが微妙に変わってたり。
自殺を試みる夏美を助けるなら、ドアのガラスを割って行けば…と思ったり。

白石監督はフェイクドキュメンタリーなんかも多く撮られているので、そういう手法を使えば もっとリアリティを追及できそうだけど。
いや、でもそれよりも、ここは貞子と伽椰子の邂逅が全てであって。
そこに至る 不合理は目をつぶるべきかな(苦笑)

このふたりのキャラの勝利であり、共演という企画の勝利でもあり。
そして現代のホラー作品として、白石監督に委ねたのも正解だと思います。

結末として、どちらかが、あるいは両者が消滅なんてのは考えらえないので。その意味でも納得です。

ただひとつ懸念する点があるとするならば…
あの動画、どうなっていっちゃうの!?

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井戸端怪談
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2016年06月20日

すれ違いのダイアリーズ

二ティワット・タラトーン
スクリット・ウィセートケーオ、チャーマーン・ブンヤサック
電気も水道もなく 携帯電話さえ繋がらない僻地の水上学校に、教師として赴任した体育会系青年のソーン。子供たちに振り回され、街に残してきた恋人にもフラれ、思い悩む日々を過ごしていた。
ある日、ソーンは一冊のノートを発見する。それは前任の女性教師エーンが心の内をつづった日記帳だった。

密かに評価を集めているタイ映画でして。「フェーンチャン ぼくの恋人」にも携わった監督の作品とのこと。
こういう評判の集め方は、だいたいハズレが無いはず〜と期待して見てきました。

やぁやぁ、確かに。いいラブストーリーだったね。

さて、2分ほど遅刻して入ったら、もう本編始まってて(予告なしだったのかな)。
どアタマの導入部が見られなかったんだけど。まぁなんとかついては行けましたね。

舞台はボートでしか行き来できない水の上の学校。数えるほどの生徒と共に ほぼほぼ共同生活。
ソーンはその教職を受け持ったものの、本来は それほどのスキルは持っていなくって。

思うような指導ができず、子どもたちとのコミュニケーションも上手くいかず。さらには恋人にはフラれ、思い悩む日々。
そんなときに 前任者のエーンの日記を見つけ、指導のヒントを得たり、同じ孤独感を共有したり。

この水上分校での生活に希望を見い出すとともに、エーンへの恋心が芽生えていきます。

そんな日記を通して、まだ見ぬ相手とシンパシーを感じあう…というくだりが もう一周(笑)
こういうこと言っちゃうとアレだけど、二人の物語を重ね合わせて見せてくれるから、深みが出るよね。
これ時系列通りに見ていったら、だいぶ印象変わるかな!?

とにかく そんな脚本の上手さはもちろんですが。
「そうきたら そうなるよね」という多くの人が共感を得られるであろう展開と、まだ見ぬ相手と心がつながるという ピュアなストーリー。
そして 無邪気な子どもたちとのエピソードは、ついつい頬も緩みます。

直接会うことのない二人の思いが、日記というアイテムを通して交錯します。
韓国映画の「イルマーレ」を彷彿とさせるファンタジックさもあるけれど、こちらは現実的にありえる設定であって。
実際「水上学校」と「日記を読んで恋をした男」という2つの話が元ネタとなっているとか。

昨今の日本のラブストーリーって 間違いなく制服モノでね。
こういう世代を描いたストレートな作品ってピンとこないっちゅうか。
それでなくても今どきのせっかちな風潮の中ではこういう作品は作れないかなぁ。

ベタといえばベタかもだし、でもやっぱり爽やかな気持ちになれる映画はいいなと思うし。
見て良かった一本です。

余談ですが、主題歌の訳詞もいい感じだったんだよねぇ。

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星印を消したんやね。のりピーといっしょやね。
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2016年06月16日

世界から猫が消えたなら

永井 聡
佐藤 健、宮崎あおい、原田美枝子、奥田瑛二
突然の頭痛に襲われ、病院に駆け込んだところ、脳の腫瘍により余命わずかだとの診断を受けた僕。そこへ僕と同じ容姿をした“悪魔”が現れ、身の回りの大切なものと引き換えに一日の命をくれるという。
そして悪魔は「まずは電話を消す」というのだが…

大ヒットベストセラーの映画化。
「感動した」「泣けた」という声が多く、たいへん好評なんですが。
結論から言うなら、わたくしは泣けませんでした。もっと言うなら、映画としてもそんなに感じるものがなかったですね。
残念ながら。

佐藤健は確かに上手いと思います。しかも二役やってますしね。
それに輪をかけて、濱田岳も素晴らしい。わりとオタク系なキャラであって、そんなに他者と目を合わせないような役ではあるんだけど。それでも感情とか、意志が伝わってくるもんね。

それ以外にも、宮崎あおい、原田美枝子、奥田瑛二というキャスティング。
それらは間違いないです。

それにプラスして、猫ちゃんたちも素晴らしかった。
自転車の前かごで(E.T.みたく?)あんな風にしてる猫は初めて見ました。かわいかったよぉ。

それはそれとして。わたくしには響かなかったのです。
何がアカンかったのか探りを入れてみました。

ちなみに原作本は読んではおりません。
んで原作のあらすじをザッと読んだところ、当然ながら 所々マイナーチェンジをしてあるのはわかりました。
元は猫がしゃべったりするそうですが、そういうのは省いたりとかチョイチョイしてあるようで。

そのうえで気になったところなんだけど。
そもそも あの悪魔のキャラがイラッとしちゃったんだな。健くんの芝居は上手いと思うが、受け入れ難かった。こりゃもう好みの問題。

あと「電話を消そう」と言った次の日にみんなが普通に電話しててビックリしたんだけど。
しばらくして気付いたのは、翌日に電話を消すということだったんだね。こりゃもうコチラの勘違い。

そして元カノ登場。煮え切らない会話。さらに別れた後もお母さんとは会ってたって…そんなことあるか?
だんだんストーリーから わたくしの心が離れていきます。

そして いよいよ悪魔が電話を消すわけですが。握りしめていたスマホが砂のように無くなっていきます。ほぼホラー描写。
やっぱ、一晩寝て 目覚めたら電話のない世界って風がよかったなぁ。これも好みの問題か。

そして突然インサートされるアルゼンチン旅行。エピソードとしては衝撃的なんだけど、突然すぎて。
そしてブエノスアイレスのイグアスの滝に至っては“観光ガイドVTR?”というか。
「生きてやる!」の叫びと共に、取って付けた感が拭えず。

終盤の回想シーン。グダグダの家族旅行はさておき、旅館に子猫入れて大丈夫なのかと。そりゃホテルも断るわなと。

確かに大切なものを失うことで、大切なものに気付くというテーマはわからんでもない。
でもそれ以上に日常として、文化として、電話が無い、映画が無いという状況がイメージできなさすぎて。
電話が無いのにどうやって救急車呼ぶの?とか。アイツとコイツが出会えていなかったとか言う前に、世界が成立してないよね。

そして大切なものに気付いた僕は、結局 今日、30歳で亡くなるんだよね。
そんなことをイチイチ考えてたら、感情移入できませんでしたわ。

ん〜こういうスタンスだったら実写よりもアニメの方が ハマるんじゃないかなと漠然と思ってみたり。
ホントに申し訳ない。感動した人、泣けた人、それぞれあってよいけども。
とにかく わたくしには響かなかったですわ。

ちなみに監督は「ジャッジ」作った人だと知ってビックリ。
あれはメチャ面白かったのになぁ。

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一瞬のロールキャベツ
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2016年06月12日

シチズンフォー スノーデンの暴露

ローラ・ポイトラス
エドワード・スノーデン、ローラ・ポイトラス、グレン・グリーンウォルド
ドキュメンタリー映画の監督ローラ・ポイトラスの元に“シチズンフォー”と名乗る人物から暗号化されたメールが届く。
それは国家安全保障局(NSA)が米国民の通信データを秘密裏に収集している、という衝撃的な告発だった。

第87回アカデミー賞、長編ドキュメンタリー賞受賞作。
国家による違法なプライバシー侵害行為。その事実を暴露したのが、かつてCIAとNSAに所属していた29歳のエドワード・スノーデン。

2013年6月。ローラ・ポイトラス監督は旧知のジャーナリストであるグレン・グリーンウォルドとともに、スノーデンの滞在する香港へ。
グリーンウォルドの動きは早く、取材したそばから記事をUP。
瞬く間に世界中を巻き込み、大反響を巻き起こした。

この話題は確かに見た覚えはあります。
そんなこんなで、実際どんなことがあったのか。それを確認するべく見に行ったわけですが。

わたくしには全くダメでしたね。
ほぼほぼ何も伝わってこなかったです。

もちろん国民のプライバシー侵害は大変なことかもなんですが。
具体的に どのような経緯で、誰が何を、どんな目的で〜的なのがなくって。

取材する側も 何を聞き出しているのかがわからず。
確かに告発者と対面してはおるのですが、インタビューという風でもなく。
なんだろう、あまり具体例を挙げても、それはそれで別のの問題が生まれる可能性もあるのかな。

眠気もかわしつつ、ある程度はついていけてたんだけども、残念ながら全く伝わってこずで。
あと しいて言うなら、BGMなんかは無くってよかったかな〜とは思ったけど。

なので以下余談でお茶を濁しますが。
このような最先端の情報戦であったりサイバー犯罪に関わるような輩って、ぽっちゃり丸顔で黒縁のメガネで。
ネルシャツを着こんで、微妙な色合いのリュックを背負ったオタク系お兄ちゃんのイメージなんですが。

ここに登場するスノーデン氏は 結構なイケメンですやん。
なんですのん。思ってるのとぜんっぜん違いますやん。
それにがっかりしたわ。

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絶妙な非常ベル
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2016年05月03日

ズートピア

バイロン・ハワード、リッチ・ムーア、ジャレド・ブッシュ
(声)上戸 彩、森川智之、三宅健太、高橋茂雄、玄田哲章
動物たちの楽園ズートピア。ウサギとして初めて警察官になったジュディが、ひょんなことから連続行方不明事件を追うことに。街で出会ったキツネの詐欺師ニックが その手がかりを持っていることがわかり協力を依頼。
しかし その事件が、さらなる大きな陰謀へとつながっていく。

これまでにもディズニーの作品に携わってきた3人が共同監督。さらには7人がかりの共同脚本とのことで、ディズニーの本気度?あるいは本気の遊び心が込められていると言っても過言ではないでしょう。

とにかくそんな作品ですから「誰が見ても間違いない!」と言いたいとこですが、ひねくれもののわたくしには、どうも首をひねりたくなる描写もチラホラ。

たとえば導入部で親が子どもの夢を引き留めるよな発言にはちょっとビックリ。
あれこそ心配性の親心とも言えるけど、ちょっと悪しき親のエゴっぽくも見えてしまいました。

小さいことだけど、ジュディがトレインに乗り込む際に大きさに合わせた3種類の扉が〜なんてシーンがあったんだけど、ズートピアに到着したら普通に大きな扉から下りてきたりとか(苦笑)

警察署長のスイギュウが一方的にジュディの可能性を閉じ込め、さらには難事件を48時間以内に解決できなければクビだというパワハラ展開。あぁ恐ろしい。
なぜそんなに厳しく当たったのか、理由らしい理由は説明無いので、ただチビのスケは鼻クソほどにしか思っていないのでしょう。
あのスイギュウ署長に軽くイライラ。

また「お昼までに駐禁200件挙げてやる」というジュディの容赦のなさを見せられると、キツいなぁと。
終盤には列車を操縦して大破させるわ、博物館を抜ければ早いといって(警察バッジの無いまま)侵入するわ。
いろいろとアカンやろと。

かつて「ポニョ」を見たときと同様、社会のルールを踏みにじった上での美談作りに思えて、どうにも乗り切れませんでした。
そういう倫理を振りかざすと、エンターテイメントを楽しめなくなるという面もありましょうが、個人的にはちょっとダメなのですわ。気になって。

基本的に展開が早いですね。“溜め”という言葉を知らんのか〜ってぐらいの勢いで進んでしまうので、物語全体の深みとかは味わえなかったね。
その分 ナマケモノのパートはオモロかったけど。

さて この世界観のモチーフについてはチョイチョイを見聞きしてわかりました。
人種のるつぼとも言われるアメリカなら、なお楽しめる設定でもあるんだね。

近年のディズニーアニメではそういったメッセージを盛り込んで、大人が楽しめる…というか 大人じゃないとわからないテイストに仕上げる傾向があるとか。

基本、子供の集客が見込まれるアニメ映画ですが、当然ちびっこだけで映画館にはやって来ません。大人が子どもを連れてくるのが常。
であるなら、割りと大人目線で映画を作っておけば、大人も普通に見られるし、子どもは派手な映像見てたらそれだけでもイケるもんね。
このスタンスは「映画 クレヨンしんちゃん」とも理論は同じ。とはいえ、圧倒的に違う部分も感じます。

こちらは“大人が普通に見られる”作品ですが、クレしんの場合は“大人が童心に帰って楽しめる”ものじゃないかと。そのアプローチの仕方が大きく違うような気がします。
しいて言うなら「トイストーリー」は感情移入という部分では後者の部類に入るでしょうけどね。

とにかく、多くの方が どうやら絶賛されているようですが、わたくしには合わない作品でありました。
ただし、ラストシーンの大オチはオモロかったけど。

いろいろ難癖つけましたが、上戸彩の吹替え版はすごく良かったです。
声質のイメージも合ってたし、感情表現も上手いな〜と思いましたよ。

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動物にはサバンナがよく似合う
posted by 味噌のカツオ at 22:38| Comment(0) | TrackBack(0) | サ行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月21日

スポットライト 世紀のスクープ

トーマス・マッカーシー
マーク・ラファロ、マイケル・キートン、レイチェル・マクアダムス
2002年1月。米国の新聞「ボストン・グローブ紙」が報じた、カトリック教会の神父による児童への性的虐待と、それを隠蔽してきた組織への追及。
《スポットライト》という名の特集記事を担当する記者たちは、いかにして教会というタブーに切り込み、暗闇の中の真実を照らし出したのか。

先のアカデミー賞で作品賞と脚本賞を受賞した作品。
いろんなトコで書かれてますが、実話をベースにしていることもあり、作品としては地味。

ボストンの地方紙「ボストン・グローブ」の特集記事「スポットライト」の記者たちが、これまで公になることのなかった教会のタブーに切り込んでいきます。
その過程の中心となるのは、取材であり会議であり。

さすがに字幕版での会話劇は文字を追うのに必死、内容を理解するのに必死、人名が出て「誰だっけ」と思い返すのに必死。
正直、完璧に脳内処理は追いつきませんわ(苦笑)
その結果 ところどころウトウトきちゃったりもしますし。

あと日本人として、教会の神聖さ。“神父様イコール神様”といった感覚も言葉や道理ではわかっても、100%は理解しきれない気がします。

でも、そういうハンディはありつつも、わたくし的に記者たちへの感情移入はギリギリできました。作品として楽しめましたよ。

当然の流れではありますが、取材対象者に話を聞けたときや、新たな資料を苦労の末GETできたときは、こちらも同様に高揚感ありましたし。
ただ これらの事例が報道されれば…と何年も前に資料が送られていたと。その資料がどこでSTOPしていたかという話にドキッとさせられたですね。

途中 9・11の同時多発テロの映像も出てきます。記者たちもそちら優先という話もありながら、見てて大勢には影響なかったような。
でもアレをインサートすることで、リアルな時代背景をなんとなく思い起こすという。そんな効果はありましたね。

この映画とは直接は関係ないけれど、昨今の日本では新聞発のスクープは生まれなくなったと聞きます。
たいがい“週刊誌”が何がしかをブチ上げて、それらの後追い記事を新聞が掲載するというのがスタンダードになってきています。

インターネットなんかが普及してきた今の時代、ただでさえ新聞の存在価値が問われたりもしますが。この映画のようなアツい紙面作りというのは、もう過去のことなのかな。
それこそ以前見た「クライマーズ・ハイ」の記者たちなんか命がけで記事書いてた印象残ってるもんね。

この映画を見た新聞記者が「週刊誌に負けてたまるか」と、発奮材料となる映画と思えば、なかなか面白いんだけどなぁ(苦笑)

あらためて。マーク・ラファロ、マイケル・キートンら、スポットライトチームの演技はやっぱり引き込まれるものありました。
紅一点のレイチェル・マクアダムスもメチャ キレイだったし。

感情移入という部分では、記事が掲載されて、読者からの反応がどうなのか・・・なんてラストまで、ひとつの達成感を味わえましたが。
でもやっぱりアカデミー賞で作品賞という看板の前には、どうしても地味な印象は付いてまわるかな。
審査の基準も様々だしジャンルも全く違うけど「マッドマックス」を押さえての作品賞だからね(苦笑)

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バチカンのバカチン
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2016年02月29日

サウルの息子

ネメシュ・ラースロー
ルーリグ・ゲーザ、モルナール・レヴェンテ、ユルス・レチン
1944年10月、アウシュヴィッツ=ビルケナウ収容所。ハンガリー系ユダヤ人のサウルは、屍体処理に従事する特殊部隊・ゾンダーコマンドとして働いている。
ある日、ガス室で息子らしき少年を発見した彼は、直後に殺されてしまったその少年の弔いをしようと収容所内を奔走する。

今年のアカデミー賞で外国語映画賞を受賞。
ここに至るまでにも非常に高い評価を得ている作品。
あらすじなどはザックリとしか入れずに鑑賞。映画の冒頭“ゾンダーコマンド”の存在についての説明が。

そして本編。
非常に見にくい映像。もちろん演出の上ではあるが。
一人の男の顔のみにピントが合わされ、それ以外の映像、音声、いずれもわかりにくくされている。

わかりにくいからこそ、より情報を得ようと こちらの神経はより集中力を増す。
やがて ここがどこで、今 何が行われているのか、わずかながらに把握をする。
いや 待てよ、なんか話が違わないか?

そして遠く聞こえる壁を叩く音、悲鳴、断末魔。
その真実を理解することで、自分がとんでもない場にいることがわかります。

そう“いることが”という、まさに自分がその当事者である感じにされるんですよね。

近頃はPOV方式という、カメラ視点の映像を見せることで、観客との同一性を図る演出があります。
ただし、あれも多用されてることもあって、いくらかのあざとさも同居してたりするんよね。

それに比べると、今作での演出。
主人公の顔(表情)を映すことでの同一性、そしてここが感情を持てない空間であることも伝わってきます。
また周囲の状況にピントを合わせないことも、直視できない状況であることがわかります。
単なる映像の見せ方だけでなく、ホントにイヤな思いと共に観客に実感させる映像体験でした。

ただ ストーリーの本筋となるサウルの埋葬へのこだわりについては、正直 共感ができず。
いろいろ解説を聞けば、なんとなしに飲み込めなくもないのだけれど、見ている間は「なぜそこまで」「この場所では無理あるやろ」と思わずにはいられなかったし。
細かいことを言えば死後硬直とか起こらないのかと。そういうのは気になりましたが。

そのサウルの行動とは別に、その場で行われていたことであり、これから行われるであろうことを思うと、やっぱり反吐が出そうになるし、胸クソ悪い印象しか残らない。
でも こんな史実を元に作品を作り、伝えていくことが映画の文化的役割でもあるんでしょうね。
気ぃ悪いけどね。

伝えていくといえば…
ラストシーンに登場した あの少年も、自身が森の中で見た出来事を、家族や次の世代へと伝えていったりしたのかな。

いろいろ書きましたが、ヘヴィーではあるけども、映画としてのクオリティは高く、見ておくべき映画であるのは確かです。
posted by 味噌のカツオ at 19:22| Comment(0) | TrackBack(0) | サ行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月18日

さらば あぶない刑事

村川 透
舘ひろし、柴田恭兵、浅野温子、仲村トオル
横浜港署の鷹山と大下の両刑事はブラックマーケットに踏み込むもターゲットを取り逃がしてしまう。
そんな中、世界の裏社会で縄張りを拡大している中南米マフィアが横浜のマーケットにも進出。定年退職を5日後に控えた2人は それを阻止するべく、刑事人生最後の闘いに挑む。

1986年にテレビシリーズがスタート。過去にドラマが77本。劇場版は6本制作されていると。
その前作から10年。ついにタカ&ユージが定年退職を迎えるという設定の、まさにシリーズ総決算。

テレビ版に関して言うなら、わたくしは高校時代でありまして。それこそ日曜の夜の放送で、翌 月曜日には学校で「昨日の“あぶデカ”見た?」的な。そんな勢いで どハマリしていた世代。
ただし、劇場版は全く見ていないんですね。自分でもなんでか知らんけど。

とにかく10年ぶりの新作にして(今度こそ?)完結に至るという。しかも定年退職というリアリティが良いじゃないですか。って本編にはリアリティ少ないんだけどさ(苦笑)

一応 2作作られたテレビシリーズのラストが1989年3月ということなので。もしかしたら 27年ぶりの あぶデカ体験だったかもです。

しかーし!冒頭から その世界観であり、かつて見てきた あぶデカらしさがそのままで。一気に引き込まれましたね。
言うても単なるノスタルジーではなく、今見ても素直に面白いしカッコいい。思ってた以上にやられました。

ちょっと前にドラマで見た柴田恭兵さんは もっと髪も白くて、言うなれば「さすがに老けたなぁ」と思ったもんですが、なぜかこの作品では当時と変わらない印象で。
変わらないというのは舘ひろしさんも同様。

そしてこの二人が並び立つと、自然と「あ〜これだこれだ。この雰囲気だ」と思わされて。
そもそも この2人のキャスティングってどうして決まったんだろうとか。いろんなこと考えちゃったりして。

その昔「俺たちは天使だ!」とか「プロハンター」とか。あるいは「探偵物語」もそうでしょう。あの頃の日テレのドラマシリーズに共通してた、ヨコハマを舞台にした洒落た雰囲気とウィットにとんだ軽妙な掛け合い。こういうのメチャ影響受けてきてるからね。
今回の あぶデカでもそのテイストはしっかり踏襲されていて。それがものスゴ心地よい。

ちゃんとストーリーは展開しながらも、間に挟まれる まるでコントのようなやりとりが邪魔をしていない。
シビアな犯罪と ちょいチャラな会話で。言わば緩急をつけながら進行されているのかな。だから肩ひじを張り過ぎることなく、のめり込んでいけるんだろうね。

そしてタカのバイクアクション。ユージのランニング。やり過ぎな銃撃戦にカーアクションと。それら あの頃と変わらぬ見せ場もたっぷりです。
そう、あの頃と変わらないのであれば再放送でもいいんだけど、そうじゃない。

大前提として定年を迎える刑事であり、実際に演じる2人は60歳代の半ばなんですよ。それが、あの当時と同じことを演じているわけですから。素晴らし過ぎますよ。
また敵役として登場する吉川晃司もね。「下町ロケット」とはガラリと立ち位置違うけど、カッコいい悪役を演じておられました。

この30年で時代背景も大きく変わってしまって。刑事ドラマはもっとまともであることを求められてきてると思うんですよ。
だから見る人によっては 懐かしくもあり、ただ荒唐無稽にしか見えなかったり いろいろだとは思うんだけど。
こういうテイストの、余計なことを気にせず、理屈抜きに楽しんでいいドラマ…今の時代には無理なのかなぁ。

そういえばマーシーさんが柴田恭兵さんのモノマネをする際に(実際にそんなセリフがあったかどうかはさておき)「関係ないね」というフレーズを使ってて。
今回の劇場版では 確かに「関係ないね」というセリフ、出てましたね。字幕でww

とにかく あの頃、リアルタイムで経験してるわたくしにとっては最高の一本でありました。

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タカさんの本名は鷹山敏樹
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2016年02月05日

最愛の子

ピーター・チャン
ヴィッキー・チャオ、ホァン・ボー、トン・ダーウェイ、ハオ・レイ
ある日突然姿を消した3歳の息子ポンポン。両親は必死で愛する息子を探すが、有力な手がかりも無く、その消息はつかめない。
それから3年後。ある情報から 中国北部の村で生活していることを突き止め、息子を奪い返しに行くのだが…

当然ながら あらすじは読んでいるので、まず どんな事件が起きるのかは知っております。
そのうえで、あれよあれよと その状況になっていく冒頭部分。この段階から引き込まれました。

とにかくポンポンちゃんが かわいらしい。そして(両親の)環境としては少々複雑だけど、それに順応して過ごしてます。
友達に誘われてふいふいとお出かけ。父の店に来た若者グループ。一旦は断ったが結局受け入れて。
もしかして断っていたら そういうことにならなかったのかも…とか。

そんな 些細な部分からもヒリヒリした感じが伝わってきました。

前半は子供を誘拐されてしまった父と母の物語。
中国では そういった事件も多いようで、そんな被害者らのグループなども登場します。

そして中盤。過疎の村に息子がいるという情報を聞きつけ、村に乗り込んだ両親はついに息子を取り戻します。
ところが事件から3年。すでに息子は今の生活に馴染んでおり、実の父母のことは覚えておらず、それぞれの中に戸惑いが。

続く後半は この3年間、ポンポンと その妹を育ててきた“もう一人の”母のストーリー。

道理からすると この女を擁護することはできないんだけど、最後の最後で発覚する ある事実が、複雑な思いを突き付けてきます。

(現状は変わってきているかもですが)中国の現状・事情、いろんな問題を孕んだ作品です。
誘拐という犯罪。そして 一人っ子政策の弊害(二人目を産むのには許可が必要)。親子の問題、夫婦の問題、不妊という問題。
それらのテーマが見事に提示されていて。いろいろ考えさせられます。

昨今の映画では「実話を元にした物語」というワードが ひとつの“売り文句”なってますが。
この作品のチラシや事前情報では そういう話はありませんで。

ところが 本編終了後に、このストーリーのモデルとなった方々が登場しまして。これが実話ベースであったことを知らされ…いや、思い知らされます。

しかし それだけに終わらず。そのモデルとなった方々と、この作品のキャストらが実際に会う映像というのも収められております。
なんか この場面、見ていて涙が込み上げてきました。

チラシには「実話を元に〜」という表記はなかったけど。
記載のあった「あらゆる感情のスイッチがすべて押されてしまう、最高のドラマ。」という文言には偽りなし。
考えさせられる名作です。


さて この映画、キャストもいろいろ魅力的で。
ポンポンの父親役のホアン・ボーは、なんかいい声してるなと。見た目も 路地の商店主然として良かったです。
が、エンディングに映った姿は意外にも役者らしい雰囲気があって。よくよく見ると古田新太さんっぽいのかな。

あと支援グループのリーダー・ハン役のチャン・イーさんは ちょっと大泉洋さんに見えなくもなかったし。

そしてもう一人の母親であるヴィッキー・チャオは誘拐した側であるんだけど、なんか昔アイドルだった女優さん的な雰囲気で。変にひいき目に見たくなるような女優さんでしたね。

最後にハンのパートナー役の女優さんはキティ・チャンという方だとか。
体重がリンゴ3個分ということはないでしょうが。。。

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認知症でも母と子なんだよ
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2016年02月02日

残穢(ざんえ)―住んではいけない部屋―

中村義洋
竹内結子、橋本 愛、佐々木蔵之介、坂口健太郎
「部屋で奇妙な音がする」。小説家である“わたし”に届いた女性読者からの手紙。好奇心から彼女と共に その“音”のするマンション について調べていくと、かつてその地に住んでいた人たちが自殺や殺人などに関わっていたことが判明。
果たして それらの事件をつなぐものの正体とは!?

いわゆる“Jホラー”と呼ばれるジャンル。独特な日本テイストの怖さのアプローチという作品。
またそれらに準ずるようなカタチで、主に女子中高生をターゲットとしたような、ブレイク前のアイドルが主演するホラー作品ってのもあります。
なんにせよ、一連のホラー作品って根強いニーズはあるもので。

この「残穢」もウワサで聞くにはずいぶんと怖いものであろうかと。
しかも竹内結子と橋本愛が出演。監督は次々と良作を発表している中村義洋となれば さすがに気になります。

ところが…あえて言うなら、観客が望むような作風ではなかったですね。
とても怖いホラーストーリーではなく、ホラーの謎に迫るドキュメンタリー風ミステリーというべきか。

この嫌な雰囲気は何が原因なのかというのを探っていくオハナシ。いきなり「ワッ!」的なビックリさせる驚かしもありません。

だ・か・ら、怖くはありません。
もっと言うなら、そもそも面白くもありません。

ドキュメンタリーであるなら、ふつうに心霊スポットを取材に行って 予期せぬラップ音が入ってたり、思いがけないアクシデントが〜っての方がドキドキできるし。
恐怖の理由を探っていくにしても、これ、作りもんやから。実際に不可思議な現象に悩んでいる方のお宅に取材に行って〜というものには敵わないでしょう。

であるなら、創作ものとしての落としどころや 納得のさらに上をいく衝撃がないと、物足りないわね。
かと思えば、最後の最後で普通のホラーの序盤に出てくるようなエピソードをラストに“付け足す”のは、この作品の格下げ以外の何物でも無いように思いました。

さて、かわいいアイドルが恐怖映画に出て「キャー!」というのもよくあるんだけど、この作品に登場するのは 竹内結子さんと橋本愛さん。

二人ともお綺麗な方であるのは承知ですがね。
竹内結子さんは あか抜けない作家という役どころなんですかね。ぼやけたメガネかけて、なんだかパッとしないキャラで。
ん〜どうせなら断然美人な小説家にするか、やり手であり好奇心の塊みたいな作家とか。いずれにせよ惹かれる部分が無いんだよね。

そして橋本愛さんなんかはちょっとミステリアスな美人さんで行けると思うんだけど、これまた普通な女子大生のキャラなんよね。
とにかく序盤のようにロングヘアならいいのに、髪をしばっちゃうと これまた引きが弱くなってしまう。

この2人を生かせてないのはもったいない。

こっちは美人さんが好きなんだから。
女優さんがキレイに撮れていることも良い作品の条件ですから。
その点でも 物足りないと言わざるを得ない。

単なる驚かしではなく、怖さを追及するような展開には期待できたんだけど、う〜ん惜しいなぁ。

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残穢というよりも残念
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2016年01月26日

ザ・ウォーク

ロバート・ゼメキス
ジョゼフ・ゴードン=レヴィット、ベン・キングズレー、シャルロット・ルボン
パリの大道芸人フィリップは、世界最高層のワールド・トレード・センタービル建設のニュースを知る。いつかこのツインタワーの屋上にワイヤーを架けて歩く...
そんな狂った夢に囚われた彼だったが、念入りに下準備を重ね、ついに決行の日と定めた1974年8月6日が訪れる。

かの9・11テロで破壊され、今となっては現存しないWTCことワールド・トレード・センタービル。
そのツインタワーの屋上にワイヤーを張り、綱渡りを敢行した男の物語。

地上110階。その高さは411メートルと言われております。
ちなみに東京スカイツリーのふたつの展望台が350メートルと450メートルですから。
その高さというのが如何ほどのモノなのか。だいたい察しがつくんじゃないでしょうか。

モデルとなっているのはフランス人の大道芸人フィリップ・プティ。
ただし、今作で演じているのはアメリカ人のジョゼフ・ゴードン=レヴィット。
フランス語、あるいはフランス訛りの英語も学び、プティ本人から綱渡りの指導も受けて撮影に挑んだとか。

彼の柔らかな表情が作品全体の雰囲気も高めてる感じありますね。日本で言うなら堺雅人さん的な雰囲気あるね。

構成としてはジョセフ演じるプティがニューヨークの自由の女神像の上でいきさつを語るわけですが。
そもそも自由の女神ってフランスからアメリカに送られたものなんよね。まさに。

先日 このオハナシのドキュメンタリー版である「マン・オン・ワイヤー」を見て“予習”をしておりまして。
それと照らし合わせてみると、わりと細かなエピソードまで 上手く再現してあるようですね。

そう“再現”という言葉を使いましたが、これはまさに再現ドラマというジャンルかもしれません。
「マン・オン・ワイヤー」では当事者の言葉が使われてはおりますが、インタビューが中心となっておりますので“肝心な”映像表現としては弱くなってしまいます。

そこで その証言を元に、実際にはどんなことが行われたのか。丁寧に再現してみせたのがこの映画。
近年の技術があれば それなりの映像は作ることはできますわね。でもこの作品中では変に過剰な表現は用いず、あくまで“静”をベースにクライマックスの映像構成を行っております。緊張感がヒシヒシと伝わってまいります。
当然ながら見応えはバッチリ。こちらもドキドキ、手に汗握る感覚。
そして高所恐怖症の者にとっては直視しかねるという…(苦笑)

やがてプティが綱渡りを終えた後、そのワイヤーが緩む場面を見て 我々の緊張感も解けるような作り。
後日プティがWTCの屋上に上る許可証をいただいたと。その期限が“永遠”となっているとの描写があります。

その反面、永遠だったはずのWTCが今となっては…
そんなことを考えさせてくれる演出も 映画として見事だと思います。
現実としてはとても悲しい話だけどね。

シンプルなストーリー展開。見応えのある映像。
そして夢への挑戦(厳密には犯罪だけど それでも多くの方々が拍手を送ってくれたわけだし)なんてテーマも ほんのりと伝えてくれるこの作品。

数少ない3D鑑賞向きな映画でしょうね。
とか言いつつ、わたくしは2Dで見たんだけど(^-^;)

余談中の余談ですが、綱渡りの師匠筋となる方のお名前が「オーマンコスキー」というものでして。
ある意味「ボボブラジル」を超えましたね。

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綱渡り感覚でWCという経験はあります
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2016年01月11日

ストレイト・アウタ・コンプトン

F・ゲイリー・グレイ
オシェア・ジャクソン・Jr、コーリー・ホーキンス、ジェイソン・ミッチェル
1986年、カリフォルニア州コンプトン。全米屈指の危険な街に暮らす5人の若者が、ヒップホップグループN.W.A.を結成する。
日常に感じる不満や怒りをビートとリリックに乗せ、彼らは瞬く間に絶大な人気と支持を集める。
しかし、名声を得て社会現象にまで発展した彼らに、様々な苦難が降り掛かる。

ヒップホップグループ「N.W.A.」の軌跡を追った作品。
一見“ドキュメント?”と思ってた方もおられるようですが、劇映画であります。

N.W.A.が活躍したのは1986年から90年代の初頭。
彼らの出身地であるカリフォルニア州コンプトンは 非常に危険な街とされ、多くの犯罪はおろか警察による黒人への虐待などがまかり通っていたという。

そんなコンプトンの実情を音楽に乗せぶつけることで多くの人々が共感。
そころがそれは地元・コンプトンだけでなく、全米にまで広り、彼らは若くしてアーティストとしての成功を納めます。

しかし若さゆえなんでしょうか、契約にまつわる条項やギャランティの配分などに不明瞭な点が明るみに。
当初は勢いで突っ走ってきたものの、やがてそれがメンバー間・スタッフ間への不信になり、幹となっていたメンバー2人が脱退。
そしてグループとしての体を成さなくなってしまう…と。

彼らのスタイルは「ギャングスタ・ラップ」と評されていましたが、あえて言うなら ありのままの日常を歌ったものでもあるということなんですね。
それに則ってというべきか、分裂した後も作品の中で互いをディスり合うなんて場面はアレはアレで面白かったですが。

時は流れ、そういった確執を越え、メンバーは再結成への道を探りだすわけなんですが…

わたくしヒップホップを知ってるわけではないのですが、言わずもがな、作品中に使用される音楽はメチャメチャかっこいいです。
音楽を扱った映画で 説得力のある音楽が使用されるのは、単純に説得力UP致します。

ストーリーはほぼほぼ間違いはないそうなんですが、(当然ですが)カットされてるエピソードや映画向けに脚色されている部分もチラホラあるそうで。

それはそれとして。
この作品、全米で音楽映画という枠を超えて イチ映画として大ヒット。日本での満足度も高く、こちらでもヒットとなっております。
実際に見に行ってみると 必ずしもヒップホップ・ラップに長けてるとは思えない一般の観客も多数。

それはすなわち、伝説のグループの〜ではなく、映画として見応えのある〜という仕上がりになっているからこそでしょう。
警察の目が光る中で「Fuck the Police」をプレイするシーンは こっちも“観客”としてテンション上がりまくりでした (^O^)

物語の後半、ロス暴動にまつわる描写がありまして。
グループの動向と同時に そういった時代性を感じられることについても、よりリアリティが増した部分でありました。

オリジナルメンバーに似た役者がキャスティングされている点も話題ですが、中でもアイス・キューブの役を自身の息子でもあるオシェア・ジャクソン・Jrが演じているのも面白いですね。

とにかく、N.W.A.を知らなくても、映画として しっかり見入ってしまうこの作品。
じつに見応えありましたよ。

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プロレスファン的にNWAとは…
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