2016年02月02日

残穢(ざんえ)―住んではいけない部屋―

中村義洋
竹内結子、橋本 愛、佐々木蔵之介、坂口健太郎
「部屋で奇妙な音がする」。小説家である“わたし”に届いた女性読者からの手紙。好奇心から彼女と共に その“音”のするマンション について調べていくと、かつてその地に住んでいた人たちが自殺や殺人などに関わっていたことが判明。
果たして それらの事件をつなぐものの正体とは!?

いわゆる“Jホラー”と呼ばれるジャンル。独特な日本テイストの怖さのアプローチという作品。
またそれらに準ずるようなカタチで、主に女子中高生をターゲットとしたような、ブレイク前のアイドルが主演するホラー作品ってのもあります。
なんにせよ、一連のホラー作品って根強いニーズはあるもので。

この「残穢」もウワサで聞くにはずいぶんと怖いものであろうかと。
しかも竹内結子と橋本愛が出演。監督は次々と良作を発表している中村義洋となれば さすがに気になります。

ところが…あえて言うなら、観客が望むような作風ではなかったですね。
とても怖いホラーストーリーではなく、ホラーの謎に迫るドキュメンタリー風ミステリーというべきか。

この嫌な雰囲気は何が原因なのかというのを探っていくオハナシ。いきなり「ワッ!」的なビックリさせる驚かしもありません。

だ・か・ら、怖くはありません。
もっと言うなら、そもそも面白くもありません。

ドキュメンタリーであるなら、ふつうに心霊スポットを取材に行って 予期せぬラップ音が入ってたり、思いがけないアクシデントが〜っての方がドキドキできるし。
恐怖の理由を探っていくにしても、これ、作りもんやから。実際に不可思議な現象に悩んでいる方のお宅に取材に行って〜というものには敵わないでしょう。

であるなら、創作ものとしての落としどころや 納得のさらに上をいく衝撃がないと、物足りないわね。
かと思えば、最後の最後で普通のホラーの序盤に出てくるようなエピソードをラストに“付け足す”のは、この作品の格下げ以外の何物でも無いように思いました。

さて、かわいいアイドルが恐怖映画に出て「キャー!」というのもよくあるんだけど、この作品に登場するのは 竹内結子さんと橋本愛さん。

二人ともお綺麗な方であるのは承知ですがね。
竹内結子さんは あか抜けない作家という役どころなんですかね。ぼやけたメガネかけて、なんだかパッとしないキャラで。
ん〜どうせなら断然美人な小説家にするか、やり手であり好奇心の塊みたいな作家とか。いずれにせよ惹かれる部分が無いんだよね。

そして橋本愛さんなんかはちょっとミステリアスな美人さんで行けると思うんだけど、これまた普通な女子大生のキャラなんよね。
とにかく序盤のようにロングヘアならいいのに、髪をしばっちゃうと これまた引きが弱くなってしまう。

この2人を生かせてないのはもったいない。

こっちは美人さんが好きなんだから。
女優さんがキレイに撮れていることも良い作品の条件ですから。
その点でも 物足りないと言わざるを得ない。

単なる驚かしではなく、怖さを追及するような展開には期待できたんだけど、う〜ん惜しいなぁ。

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残穢というよりも残念
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2016年01月26日

ザ・ウォーク

ロバート・ゼメキス
ジョゼフ・ゴードン=レヴィット、ベン・キングズレー、シャルロット・ルボン
パリの大道芸人フィリップは、世界最高層のワールド・トレード・センタービル建設のニュースを知る。いつかこのツインタワーの屋上にワイヤーを架けて歩く...
そんな狂った夢に囚われた彼だったが、念入りに下準備を重ね、ついに決行の日と定めた1974年8月6日が訪れる。

かの9・11テロで破壊され、今となっては現存しないWTCことワールド・トレード・センタービル。
そのツインタワーの屋上にワイヤーを張り、綱渡りを敢行した男の物語。

地上110階。その高さは411メートルと言われております。
ちなみに東京スカイツリーのふたつの展望台が350メートルと450メートルですから。
その高さというのが如何ほどのモノなのか。だいたい察しがつくんじゃないでしょうか。

モデルとなっているのはフランス人の大道芸人フィリップ・プティ。
ただし、今作で演じているのはアメリカ人のジョゼフ・ゴードン=レヴィット。
フランス語、あるいはフランス訛りの英語も学び、プティ本人から綱渡りの指導も受けて撮影に挑んだとか。

彼の柔らかな表情が作品全体の雰囲気も高めてる感じありますね。日本で言うなら堺雅人さん的な雰囲気あるね。

構成としてはジョセフ演じるプティがニューヨークの自由の女神像の上でいきさつを語るわけですが。
そもそも自由の女神ってフランスからアメリカに送られたものなんよね。まさに。

先日 このオハナシのドキュメンタリー版である「マン・オン・ワイヤー」を見て“予習”をしておりまして。
それと照らし合わせてみると、わりと細かなエピソードまで 上手く再現してあるようですね。

そう“再現”という言葉を使いましたが、これはまさに再現ドラマというジャンルかもしれません。
「マン・オン・ワイヤー」では当事者の言葉が使われてはおりますが、インタビューが中心となっておりますので“肝心な”映像表現としては弱くなってしまいます。

そこで その証言を元に、実際にはどんなことが行われたのか。丁寧に再現してみせたのがこの映画。
近年の技術があれば それなりの映像は作ることはできますわね。でもこの作品中では変に過剰な表現は用いず、あくまで“静”をベースにクライマックスの映像構成を行っております。緊張感がヒシヒシと伝わってまいります。
当然ながら見応えはバッチリ。こちらもドキドキ、手に汗握る感覚。
そして高所恐怖症の者にとっては直視しかねるという…(苦笑)

やがてプティが綱渡りを終えた後、そのワイヤーが緩む場面を見て 我々の緊張感も解けるような作り。
後日プティがWTCの屋上に上る許可証をいただいたと。その期限が“永遠”となっているとの描写があります。

その反面、永遠だったはずのWTCが今となっては…
そんなことを考えさせてくれる演出も 映画として見事だと思います。
現実としてはとても悲しい話だけどね。

シンプルなストーリー展開。見応えのある映像。
そして夢への挑戦(厳密には犯罪だけど それでも多くの方々が拍手を送ってくれたわけだし)なんてテーマも ほんのりと伝えてくれるこの作品。

数少ない3D鑑賞向きな映画でしょうね。
とか言いつつ、わたくしは2Dで見たんだけど(^-^;)

余談中の余談ですが、綱渡りの師匠筋となる方のお名前が「オーマンコスキー」というものでして。
ある意味「ボボブラジル」を超えましたね。

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綱渡り感覚でWCという経験はあります
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2016年01月11日

ストレイト・アウタ・コンプトン

F・ゲイリー・グレイ
オシェア・ジャクソン・Jr、コーリー・ホーキンス、ジェイソン・ミッチェル
1986年、カリフォルニア州コンプトン。全米屈指の危険な街に暮らす5人の若者が、ヒップホップグループN.W.A.を結成する。
日常に感じる不満や怒りをビートとリリックに乗せ、彼らは瞬く間に絶大な人気と支持を集める。
しかし、名声を得て社会現象にまで発展した彼らに、様々な苦難が降り掛かる。

ヒップホップグループ「N.W.A.」の軌跡を追った作品。
一見“ドキュメント?”と思ってた方もおられるようですが、劇映画であります。

N.W.A.が活躍したのは1986年から90年代の初頭。
彼らの出身地であるカリフォルニア州コンプトンは 非常に危険な街とされ、多くの犯罪はおろか警察による黒人への虐待などがまかり通っていたという。

そんなコンプトンの実情を音楽に乗せぶつけることで多くの人々が共感。
そころがそれは地元・コンプトンだけでなく、全米にまで広り、彼らは若くしてアーティストとしての成功を納めます。

しかし若さゆえなんでしょうか、契約にまつわる条項やギャランティの配分などに不明瞭な点が明るみに。
当初は勢いで突っ走ってきたものの、やがてそれがメンバー間・スタッフ間への不信になり、幹となっていたメンバー2人が脱退。
そしてグループとしての体を成さなくなってしまう…と。

彼らのスタイルは「ギャングスタ・ラップ」と評されていましたが、あえて言うなら ありのままの日常を歌ったものでもあるということなんですね。
それに則ってというべきか、分裂した後も作品の中で互いをディスり合うなんて場面はアレはアレで面白かったですが。

時は流れ、そういった確執を越え、メンバーは再結成への道を探りだすわけなんですが…

わたくしヒップホップを知ってるわけではないのですが、言わずもがな、作品中に使用される音楽はメチャメチャかっこいいです。
音楽を扱った映画で 説得力のある音楽が使用されるのは、単純に説得力UP致します。

ストーリーはほぼほぼ間違いはないそうなんですが、(当然ですが)カットされてるエピソードや映画向けに脚色されている部分もチラホラあるそうで。

それはそれとして。
この作品、全米で音楽映画という枠を超えて イチ映画として大ヒット。日本での満足度も高く、こちらでもヒットとなっております。
実際に見に行ってみると 必ずしもヒップホップ・ラップに長けてるとは思えない一般の観客も多数。

それはすなわち、伝説のグループの〜ではなく、映画として見応えのある〜という仕上がりになっているからこそでしょう。
警察の目が光る中で「Fuck the Police」をプレイするシーンは こっちも“観客”としてテンション上がりまくりでした (^O^)

物語の後半、ロス暴動にまつわる描写がありまして。
グループの動向と同時に そういった時代性を感じられることについても、よりリアリティが増した部分でありました。

オリジナルメンバーに似た役者がキャスティングされている点も話題ですが、中でもアイス・キューブの役を自身の息子でもあるオシェア・ジャクソン・Jrが演じているのも面白いですね。

とにかく、N.W.A.を知らなくても、映画として しっかり見入ってしまうこの作品。
じつに見応えありましたよ。

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プロレスファン的にNWAとは…
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2015年12月18日

007 スペクター

サム・メンデス
ダニエル・クレイグ、クリストフ・ヴァルツ、レイフ・ファインズ、レア・セドゥ
少年時代を過ごした“スカイフォール”で焼け残った写真を受け取ったボンドは、その写真の謎を解明するため単身メキシコとローマを訪れる。
やがて悪の組織スペクターの存在を確信し、ついに追い求めてきた敵と自分自身との恐るべき関係を知ることになる。

約3年ぶりとなる、007シリーズの24作目。
ダニエル・クレイグのボンドとしては4作目となります。

そもそも今年はスパイ映画の当たり年(?)でして。
「ミッションインポッシブル」のような人気シリーズに「キングスマン」「コードネーム U.N.C.L.E.」といった新興勢力。
また正月映画として「ブリッジ・オブ・スパイ」というのも控えております。

そんな中に合って、歴史と伝統のシリーズである「007」。
「ゼロゼロセブン?」いや「ダブルオーセブン」というのがよろしいかな。
でもチケット買う際には ついつい「ゼロゼロセブン」って言っちゃうんよね(苦笑)

それはさておき。
正直言って 面白味や真新しさでは「キングスマン」や「コードネーム〜」には敵いませんわ。でもその分、トラディショナルな雰囲気と(シリーズ)固定ファンを持っているのが強みでしょう。
特に今作は、007の生い立ちから 過去のキーワード。随所に挿入された過去作へのオマージュなどが散りばめられているので、ファンにとっては「ニヤリ」とする要素も多いかと思います。
ただし…

旧シリーズ(そもそも50年の歴史があるんだけど)を見てきていない、わたくしのような新参者にとっては、ストレートに味わえないという部分もありますわね。
当然 アクションシーンも迫力はあるし、深みのあるストーリーで目が離せない展開でもあるけれど。

でも その展開に応じてメキシコ、ローマ、オーストリアなど世界を巡る攻防。それはそれで豪華ですが、少々話が飛んでしまう感もあったり、結果2時間半という上映時間の長さにもつながっているのかも。
その分の見せ場も確かに多いけど、本質としては わりと私的なこじんまりしてると言えなくもなくて。

こう言っちゃうとなんだけど、ラストまで見ても爽快感とかカタルシスとかを観客としてストレートに味わえない…みたいなね。

中盤から登場する今作のボンドガールであるレア・セドゥがちょっとイイ女に見えまして。
でもボンドとチュッチュはすれど、何が見えるという訳でもなく。そこはもったいなかったな。
このレア・セドゥは「アデル、ブルーは熱い色」で青い髪の少女を演じてたと知って、ちょっと驚き。
ん〜やっぱ気になる女優さんやわ。

というわけで、駄作とまでは言わないけれど、ジェームズ・ボンドのことをもっと知って、せめてダニエル版のシリーズを予習しておくと より楽しめるってことかな。

前述の通りスパイ映画の“新興勢力”も台頭してくる中で、これからの“007シリーズ”の立ち位置は果たしてどうなるのか!?

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タコが出てきてもオクトパシーではないね
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2015年12月10日

杉原千畝 スギハラチウネ

チェリン・グラック
唐沢寿明、小雪、ボリス・シッツ、
アグニエシュカ・グロホウスカ
日本の外交官でありインテリジェンス・オフィサー(諜報外交官)でもある杉原千畝は、語学力と情報網を武器に、ソ連との北満鉄道譲渡交渉を成立させた。
後に念願の在モスクワ日本大使館への赴任が決まるもソ連から入国を拒否され、リトアニア・カウナスにある日本領事館での勤務を命じられる。
やがて第二次世界大戦が勃発。ナチスに迫害された大量のユダヤ難民が、ヴィザを求めて日本領事館へ押し寄せる…

かつて映画化もされた「シンドラーのリスト」で、迫害を受けていた多くのユダヤ人が救われたエピソードというのは知られるトコロとなりました。
そして日本人のなかにも それど同様に、ユダヤ人を救った人物がいたと。それが この杉原千畝さん。

ただし、当時の状況としては日本政府の意向に反した行動でもあったため、氏の存在自体が無かったことにされていました。
しかし時は流れ、正当な評価として(言わば)名誉回復に至ったのは、没後14年目にして生誕100年となる2000年(平成12年)のことであったと。
つまりは、それまで氏のことは正当に語られることはなかったわけなんですね。

その後、その功績について端的に見聞きすることはありましたが、今回こうして、映画というカタチで知ることができました。

監督はチェリン・グラックというアメリカ人の監督。
ですが この方、和歌山県出身で 長いこと日本で暮らしておったそうで。
映画への関わりも、日本とアメリカの合作のものなどに多く携わっておられます。
なのでこの手の作品も得意と言っても過言ではないのかな。

さて、その名前であり、多くのユダヤ人を救ったことは知っていても、その詳細はわかってはいないし、そもそもわたくし歴史とかがたいへん苦手でして。
ぶっちゃけ この作品も、多くの国が関わり、様々な国の多くの登場人物が出てきて。しかも会話は(唐沢さんももちろん)字幕でということになりますので、それらを追いながら理解するのは少々たいへんでしたね。

ほぼほぼ“あきらめ”かかっておったんですが…
なんでしょう、構成なのか展開の上手さなのか、こんなわたくしにでも流れはちゃんとわかりました。着いていくことができました。

そのうえでの客観的な印象なんだけど。
史実に忠実なんでしょうが、取り立てて派手なことは起こりません。映画として あざとい見せ場がある作りでもありません。
良くいえば真摯であり、悪く言えば エンターテイメントとしては物足りないかな。

それに連動しましてですが、彼の最大の功績である“命のヴィザ”を発行して人々を救った行いというのがクライマックスというわけではありません。ましてや山場〜といった演出もしておりません。
あくまでターニングポイントとして描かれている印象。

その代わり、その後の彼であり、その後の日本なども含めた大局としての映画になっているので、派手さはなくとも ひとつの史実として味わうことはできますね。

そもそもが広く語られることの少なかったテーマでもあるので、その奥にある真実をうかがい知るという意味では良い作品でした。
繰り返しにはなるけれど、多少の物足りなさはあるけれど、ムダに大げさにしてウソくさくなるよりは…これでよかったのかな。
第二次大戦前後の歴史に興味のある方には特におススメですね。

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スギハラっちゅうねぇ
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2015年11月23日

新幹線大爆破

佐藤純彌
高倉 健、山本 圭、織田あきら、宇津井健、千葉真一
1500人の乗客を人質にとった新幹線の爆弾脅迫事件が発生。爆弾は走行中の新幹線の速度が、時速80キロ以下になると爆発するという。犯人の要求は現金500万ドル。
捜査本部と犯人との掛け引きが展開されながらも、新幹線は速度を維持したまま、終点の博多へ向かい走り続けていく。

“午前十時の映画祭”での上映。
作品としては今から40年前、1975年(昭和50年)の作品です。

1500人の乗客を乗せた東京発、博多行の新幹線に爆弾が仕掛けられたと。
物語の中では「あぁそうですか。んじゃ、いったん停車して調べましょう」というくだりがあるように、当時は度々そのような いたずら・嫌がらせの類は多かったんでしょうかね。

ところが、その爆弾は“スピード”を80km以下に落とすとスイッチが入り、ふたたび80km以下になると爆発するというシロモノ。つまり停車はできないと。

なので停車予定の駅にも止まることなく、博多まで向かいます。
ギリギリの速度で時間を稼ぎつつ、約9時間のタイムリミットの中、犯人との交渉 そして爆発物の処理に向けて、警察や新幹線運転指令室が奔走するという。

上映時間は2時間半。なかなかの大作でありますし、その分の見せ場もたっぷりあります。
ただ撮影当時「新幹線を爆破なんて縁起でもない」と国鉄からの撮影協力を得ることができず、それ相当のセットを組み、外観は模型を使ったという苦労もあったとか。
でも その時代を鑑みても決して安っぽい作りにはなっておりません。

それどころか同等の爆弾を使って蒸気機関車が爆破されるシーンがあるんだけど、これがちょっとビックリ。ホントに機関車が火を噴いちゃってるんでね。
それ以外にもバイクとパトカーのアクションシーンも“よくぞ!”と思わせるぐらい迫力のある絵になっております。

テーマはシンプルながら、次から次に危機が迫ってくる展開にドキドキ。
大事な図面が焼失してしまうというアクシデントに思わず唖然。
停車しない、状況も説明されない乗客たちがパニックとなるシーンもよくできております。

惜しむらくは、犯人サイドの動機の部分が新幹線とは連結…いや、直結していない点は弱いかな。
ドラマとして感情移入がしにくくなってしまうわね。

主演の高倉健さん。爆弾犯ではあるんだけど、カッコいいのは否定できませんな。
そして常に毅然としたスタンスで、指示交渉を行う宇津井健さんも堪りません。

他にも千葉真一さん、小林稔二さん、竜雷太さん、渡辺文雄さんなんかも印象的。名前の無いチョイ役ですが志穂美悦子さんに多岐川裕美さんの姿も。
さらに、特別出演として丹波哲郎さんの存在感がハンパなかったです。

とにかく40年前でありながらも 決して雑な作りはしておりませんで。今鑑賞しても十分な見応えはあります。
ただし多少のツッコミどころは目をつぶるにしても、やや後半は盛り上がりに欠けると言えるかもしれません。ドカーン!!となるわけじゃないですし。
でも健さんのラストシーンはメチャカッコ良かったけどね。

2時間半という尺でも 飽きることなくグイグイ引き込まれましたから。
見て良かったと言える、隠れた名作。

20年後にはリメイク版で「リニア大爆破」ができるんじゃないですか?
知らんけど。
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2015年11月18日

シネマの天使

時川英之
藤原令子、本郷奏多、ミッキー・カーチス、石田えり
広島県福山市で122年に渡り親しまれてきた映画館・大黒座。まもなく閉館を迎えんとしていたある日、劇場で働く明日香は 館内で奇妙な老人と出会う。しかしその老人は謎の言葉を残し、忽然と消えてしまった…
映画製作への思いを馳せるバーテンダーのアキラ。閉館を決めた支配人。多くの思い出を抱えた常連客たち。そして ついに閉館の日がやってくる。

舞台となっているのは現存した映画館 シネフク大黒座。1892年に芝居小屋としてオープンし、その後映画館に。幾度かの危機を乗り越えながら、2014年の8月に惜しまれつつ閉館。

取り壊し間際の大黒座で撮影され、実際の閉館セレモニーや劇場を壊していく映像も収められております。
なかでも館内に重機が入っていくシーンは、何とも言えない非現実感が。

とにかく関係者や観客たちの大黒座への思いを、せめて映像に残さんと。同時に映画館で映画を見ることの尊さを訴える。そういうトコロから始まった企画なんでしょう。
広島県福山市のご当地ムービー、ローカルムービーとしての側面もありますかね。

名のある役者さんも多く登場しますが、ローカルな方々と思しきキャストも多い…のかな。知らんけど(苦笑)
ぶっちゃけ この手のローカルな作品って、地元の有名人とかを出演させるのはよくありますわ。でも そういう人たちって確実にセリフが棒読みだったり、動きがわざとらしかったりするもので。
そういうの見せられると「ローカルやのぅ」と微笑ましくも、覚めてしまうところがあるんよね。

ですが、ですが、この映画。ネイティブ(!?)と思われる出演者も みな及第点の演技されてまして。これによって、作品のクオリティがグッと高くなったですよ。
地元のための思い出作り映画から、ちゃんとした作品といえるものになっておりましたね。

そしてもう一点、映画というものに対する思いも よく伝わってきました。
映画館には天使が住みついているという設定。ファンタジックではあるけれど、うん、映画ファンとしては「そうあってほしい」感もわかるんですよ。

さらには その役をミッキー・カーチスさんが演じるという。“天使”という概念を程よく捻るキャスティングが絶妙。
そんなミッキーさんの語り口やボディランゲージも相まって、この映画の深みが増したといっても過言ではないでしょう。

まぁまぁ、映画を作りたいとか言ってる若者については「グチグチ言ってねぇで まずはペンを持て!」と言いたくなりました。
夜の館内を懐中電灯もって歩く場面は「なんで蛍光灯点けないの?」とツッコミたくもなりました。
でも それぐらいは“映画の演出”として目をつぶりましょう。

ストーリーもめちゃくちゃ凝っているわけでもありません。決してドラスティックなどんでん返しもありません。
それでも、映画というもの、映画館というものへの慈しみが全体に流れているみたいで心地よかったです。

エンドロールのところで近年に閉館した“映画館”の写真が写されてたんだけど。このエリアでは かつての名古屋ピカデリーが紹介されてましたね。
ほんのり胸がアツくなりましたわ。

予想以上に見て良かったと。映画ファンとしての思いです。
あと、主演の藤原令子ちゃん。良かったです。男性目線で(^-^;)

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えぇっ、仙人ってそんな感じなん!?
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2015年11月03日

サイボーグ009VSデビルマン

川越 淳
(声)福山 潤、浅沼晋太郎、M・A・O、早見沙織
悪の組織『ブラック・ゴースト』により改造されたゼロゼロナンバーサイボーグたち。あるとき、001=イワンが悪魔の出現を察知する。一方、悪魔と融合したデビルマンこと不動明はデーモン族による魔の手と闘いを続けている。
そんなデビルマンと009=島村ジョーが遭遇。思わぬ闘いが勃発してしまう。

全然こんな企画があるなんて存じ上げませんで。何気に手に取ったチラシで知って驚いた次第。
思えば子供の頃に「マジンガーZ VS デビルマン」なんてのを見てときめいてた世代としては、こういうの気になっちゃいます。

やっぱり作者が同じだと、こうやって同じ作品にキャラクターを…って、まてよ。
009は石ノ森章太郎で、デビルマンは永井豪じゃなかったっけか!?
それでもこういうのってできちゃうんだ。。。

でもあらためて思い起こせば「ルパン対コナン」とか、最近では「天才バカヴォン〜蘇るフランダースの犬〜」なんてのもあったですね。
ちなみに永井豪先生は石ノ森先生の「009」のアシスタントをやっていたなんて縁もあるんだとか。
そんな2つのキャラクターによる作品。

9人のサイボーグと悪の組織“ブラックゴースト”との戦い。そしてデビルマンとデーモン族との戦い。大きな2つの線が交差しつつ、ベビーフェース同士だけでなく ヒール同士もコラボする設定。
さらに別のサイボーグたちも絡んでくるんですが、それらも興味深いキャラだったりするし、決してストーリーが雑になることはなかったですね。
もちろん序盤には009とデビルマンが直接 拳を交えるという見せ場もありますよ。

しかし「サイボーグ009」ってのも じつに久しぶりに見たもので。
誰が004で 誰が008で…誰がどんな特徴があったっけ?というのも思い出しながら。そして「あぁそうだった そうだった」とか言いながらで。
また各々のスキルを掛け合わせるチームワークの見せ方。加速装置をオンにする際の映像描写もカッコ良かったですわ。

ただテレビアニメで育った者としては、原作寄りのデビルマン、あるいは飛鳥了については少々距離があるのも事実。
また「アベンジャーズ」よろしく ここに至るまで、それぞれの作品もあるようで。それらもチェックしておいた方が、より楽しめるのかも。

そして そもそもが30分のOVAという企画の作品らしく、OP〜本編〜ED、2本目のOP〜本編〜ED、3本目の…という構成がチョビット気になりましたね。
劇場で上映するバージョンとして、間のOPとEDはカットしておいてよかったんじゃないかな。

トータルで見て“大傑作”とは言いませんし、かといって“ガッカリ”とも思いません。
あくまで これはこれとして夢を感じられる1本であり…3本立てであり。でしたよ。

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ジョーは“まむらー”
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2015年10月13日

先生と迷い猫

深川栄洋
イッセー尾形、染谷将太、北乃きい、岸本加世子
妻に先立たれ、ひとり淡々とした日々を送る元校長の森衣。彼の家には、生前 妻が可愛がっていた野良猫のミイが毎日のように来ていたのだが、猫嫌いの森衣はそれを快く思ってはいなかった。
しかし突然その姿が見えなくなり、心配に思った森衣は町内を歩き回り、ミイを探し始めるのだった。

ネコ好きでもありイッセー尾形さんのファンでもあるわたくし。当然ながらこの映画を見ないわけにはいかない…という程の意気込みで(?)鑑賞してきました。

ぶっちゃけたことを言うならば、結構眠たくなりましたね。
でも決してつまらないというわけではなく。しいて言うなら ゆったりとした物語のペースであり、作品全体に流れる ゆるさに裏打ちされた眠気なんだと思います(苦笑)

一応これはこれで映画ですから。脚本もあり演出もあるんでしょうが、動物の登場する作品にはそれなりの苦労があると思います。
そもそも監督の“言った通りに”動いてくれる保証はないわけで。

にもかかわらず、ネコちゃんもワンちゃんもいい芝居してるんですよね。
しかも動物だけのワンショットではなく、人とからむ場面でいい動きをしてるもんだから、これにはより感心いたしました。

そしてその動物たちに負けず劣らず自由に動いて見えたのがイッセーさん。
“校長先生”のキャラクター設定はあるのでしょうが、何やら今までのイッセーさんの一人芝居の登場したキャラクターのテイストもチラチラ入ってたみたいで。
他の役者さんではこの味は出せないんじゃないかな。

もっと言うなら 後ろ姿、立ち居振る舞い、またその佇まいにほんのり感じる面白オーラは、なんとなくチャップリンのそれに近いのかな〜とも。

この映画には原案となった作品がありまして。
近所に住みついているノラ猫を見かけなくなり、その行方を探すうちに、それまで関わりの無かった近隣の方との交流が生まれるというノンフィクション。

見かけなくなったネコを探す展開は同様でしょうが、そこに夫婦の物語を絡めたのは映画版のオリジナルなのかな。
ラストは物語としてハッキリとしたことは描いていない感じで。映画というよりも舞台の演出っぽく見えました。

そこが煮え切らないという声もあるようですが、前述の通り それほどガツンという出来事もないので。
もうこの町の住人の一人ぐらいの感覚で、ゆるく同化して ちょっぴりしんみり的な雰囲気味わうぐらいでいいのかもですね。

どうせだったら「ミイが来ると嫁さんを思い出してしまう」という感情は、ラストにグッと絞り出す感じで良かったんじゃないかなと。
なんであれを大前提として提示しちゃったんだろうか。

そんなこんなで、さすがに大満足とは言わないけれど、これはこれ…じゃないですかね。この雰囲気、キライじゃないですよ。

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あの少年も、言わばノラだよね
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2015年09月22日

進撃の巨人 ATTACK ON TITAN エンド オブ ザ ワールド

樋口真嗣
三浦春馬、長谷川博己、水原希子、本郷奏多
壮絶な戦いの中、巨人に飲み込まれてしまったエレンだったが 自らが巨人となって復活。ほかの巨人たちを駆逐する。やがて元の姿に戻ったエレンは、巨人の仲間であるとの疑いから囚われの身になってしまう。そこへ新たな巨人が姿を現して…

前篇の衝撃から1ヶ月強、後篇の公開であります。
良くも悪くも話題作ですから。早めにチェックしておくべきですな。この手の作品は。

というわけで見に行って来たわけですが。困った、困った。
困ったことに、何かを記せるほどのロクな印象が残っていない。ぶっちゃけると、そういうこと。

わたくしの前篇の感想をあらためて見返して見ると、ストーリー展開は少々稚拙だけど、樋口監督らしい特撮映像はわたくし好みであったと。
巨人が人を喰らう描写も、良い意味でグロさや恐怖を感じられたと。そんなトコロ。

ですが この後篇は…
何と言うか“起・承・転”の前篇に対し、コチラは“結”のみに主眼が置かれている印象。
本来なら壮大なスケールを誇っていいような この世界観に対し「これこれこうだ」とセリフで説明。しかも胡散臭い芝居をしながらだ。
全然こちらに入っても来ない、訴えかけてこないし、映画としての求心力も弱い。

その後は 罪な青臭さで裏切りに遭ってドタバタすると。そんで内輪もめ的に喧々諤々してると巨人が出てウガーってなって。
ほんでドカーンとなったら…ハイ、おしまいって。なんやねんこれ!?

もう一度言うが、もっとスケールの大きな話ではないのかと。ホントの諸悪はいずこに?という話まで言及しながらこの有り様。
この映画の着地点というのは巨人がどう、人類がどう、世界の終わりがどう…ではなく、壁の穴を修復するだけの話だったのかい?と。

そして そこに至るまでも説得力の無い設定を軽々しい演技で語るのみなので、とてもじゃないが共感とかできませんわ。

もうひとつスケール感につながるかもだけど、前篇であんなに描かれていた巨人の怖さや不気味さ。(怪獣映画にありそうな)多くの人々がパニックで逃げ惑う映像。こういうのが全く無くって。
かくも恐ろしい存在である巨人。そこに勝ち目のなさそうな戦いに挑む戦士。前篇はまだそれらの特撮で魅せる部分に伝わるものもありました。
しかし今回は(気持ちの悪い)巨人はほとんど出てこず。結果 数少ない登場人物たちが、穴の開いた壁の前で延々文句言い合うだけだと。
参っちゃいました。

聞いた話ではこの「進撃の巨人」は何がしかの力によって、前篇・後篇の公開に分けられたんだとか。撮影直前まではそうではなかったとのこと。
つまり2部制にした方が、それだけ売り上げは見込めるわけで。それもあってか 各90分という短めの尺の2部制となったんですかね。

結論としては映画会社が果たした方針に対し、監督も脚本家も はたまた役者陣も、(作品で)その壁をブチ破れなかったんでしょうか。
あるいはエレンのように「そうじゃない」といって、そこには向かっていかなかったのかな。

といったところではありますが、あえて良かった点を挙げるとするならば、やはり石原さとみのテンションの張り具合(よくぞ生きててくれた)。
そして桜庭ななみちゃんが可愛かったことですね。

最後に。
プロローグのシーン。幼少のエレンが注射をされる場面で「お兄さんで実証済み」みたいな話があるんだけど。
シキシマが兄だったりとか?

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こんな(ひどい)のはじめて〜!!
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2015年08月26日

最後の1本 〜ペニス博物館の珍コレクション〜

ジョナ・ベッカー、ザック・マース
シグルズル・”シッギ”・ヒャールタルソン、パゥットル・アラソン、トム・ミッチェル
世界で唯一の“ペニス博物館”。様々な動物のペニスが展示されているのだが、そこに足りていないのがヒトのペニスの標本。
そこで館長のシッギが呼びかけたところ、2人の男性が名乗りを上げる。はたして、ペニス人類代表は誰になるのか。

このペニス博物館の館長であるシッギさん。ひょんなことから様々な動物のペニスを収集し始めます。
当初は自宅に保管していたんだけど、どうにも邪魔だと思われたのか(?)奥さんから「博物館を作って展示すべし」との助言を受け、現在に至ると。

やがて病気がちになり、健康に不安が生じ始めたシッギさん。本当の意味で この博物館の完成には人間のペニスを展示してこそ。
自分が元気なうちに“最後の一本”を入手しておきたいとのことで、広く提供者を募ります。

状況次第ではタイやモロッコあたりで コロコロ転がってたりとかするんじゃないの?とも思うけど、そう簡単な話でもないのかな。
そこへ「提供しましょう」と二人の男性が名乗りを上げます。一人は地元アイスランドの著名人でもあるパゥットル氏。そしてもう一本…いやもう一人は 自分のナニに“エルモ”と名付けたアメリカ人のトム氏。

が 最後の一本を入手するには、様々な条件や本人の意向などが絡み合い、一朝一夕にはいきません。
死後の提供、あるいは生前の贈与(?)。法的な長さ(12.7cm)基準。はてはエルモのゴリ押しなんて問題も。

「最悪の場合、自らが提供をするのがベターなのか」と。月日を重ねる中、シッギさんはそこまで追い込まれていきます。
はたして、ペニス人類代表の一本は いったい誰になるのか!?

ドキュメンタリーとしては、じつにノーマルな作品であるとは思います。
ただテーマがテーマだなというのもありますし、哀愁漂うパゥットル氏の姿、トム氏のエルモ愛、そしてそれに振り回されるシッギさん。三者三様のスタンスも見どころではあります。
でも ところどころにトホホなエピソードもチョイチョイ。

石膏での型取りが毛が絡まって失敗したり。象徴的に星条旗のタトゥーを入れるなんて発想にも驚き、また実際彫ってるシーンにも驚き。ましてや“がわ”の方かと思いきや“アタマ”の方だったので驚き…いや なんかムズムズしちゃうだな(苦笑)

そんなバカバカしいような、痛々しいような。ときに誇らしいようなエピソードを含んだドキュメンタリーではあります。
そのうえで 疑問点もいくつかありまして。

展示されているモノの中には 骨状のモノもあれば しっかりと身のついたモノをホルマリン漬けにしたものもありました。
あるいは よく茹であがったモノを切り裂き、中の骨状のモノを撮り出す場面も。
でも専門医の話では(人のモノには)骨はありませんと語る場面もあって。
その辺りの違いについては もっと知りたかったですね。

それから…このような展示物は、民俗学や生命誕生の神秘にも迫る…そんなモノのようにも思うんですよ。
ですが ここにあるのはオス側のものばかりで。メス側のそういったものがあって、それらが一対となってこそ、何かが見えてくるんじゃないかと。
ろくでなし子さんみたいな人が動けば、そういう展示の博物館もできるのかもしれませんね。

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珍しいコレクション
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2015年08月12日

人生スイッチ

ダミアン・ジフロン
リカルド・ダリン、ダリオ・グランディネッティ、エリカ・リバス
ひょんなきっかけから窮地に立たされる人々。結果 人生につまずいたり、とんでもない不運に見舞われてしまったり…
そんなブラックなユーモアを交えた6つのオムニバス作品。

製作としては アルゼンチンとスペインの合作。
原題は「WILD TALES」。直訳すると“ワイルドな補欠陪審員”ということですか!?

ざっくりとした印象としては「世にも奇妙な物語」とか「笑ゥせえるすまん」とか、不条理なように見えて 実際にありえるかも〜なんて思わせてくれるストーリー。

飛行機内で乗客全員のある共通点が発覚する「おかえし」。
小さなレストランで親の仇の男と遭遇してしまうウェイトレス「おもてなし」。
一本道でボロ車を追い越し軽快に走っていた男。しかしパンクが発生し修理しているところで件のボロ車が追いついてくる「エンスト」。
車の駐車違反がきっかけで家族も仕事も失ってしまった男「ヒーローになるために」。
息子が起こしてしまった交通事故。息子かわいさのあまり、父親の取った行動とは「愚息」。
夢にまで見た結婚パーティの会場で、あろうことか新郎の浮気が発覚してしまう「HAPPY WEDDING」。

それぞれ尺は様々。とくに初めの2本は わりと短めなので、導入部としてももってこい。
それ以外も小気味よく物語が進むので、ノッていきやすいです。

な〜んて時間的な面だけではなく、一本ごとのテイストの違いがあることで全く退屈せずに引き込まれましたし。全作ともクオリティの高さは実感できると思います。
が「驚愕&爆笑」とチラシにこそ謳ってあるものの、手放しで爆笑というモードには、わたくしは入りにくかったかな。

だって大半の作品で人が死んだりするからね。人の心の滑稽さやおかしみこそ感じこそすれ、笑うトコまでいってはホントに悪趣味だと思っちゃうな。
まぁそれは宣伝文句に対する文句であって、作品の好みでいうなら わたくし的には好きなテイストでしたわ。

冒頭の「おかえし」。まるでコントのような「ぼくも」「わたしも」的なトコロから、一気に卑屈な設定変換。つかみとして見事でした。
ただ最後の老夫婦とヤツの関係は?…ってのは気になったけど。
まぁまぁつかまれましたよ。

「エンスト」の世界観だって実際、大いにあり得るシチュエーションだから。じつに怖い怖い。

また「ヒーローになるために」は、おそらく そちらのお国でも問題になっているであろうテーマなのかな。
そんな相手に立ち向かい、見事に刺し違えて見せた男。SNSを中心に議論が広がったなんてラストが、なんとも現代的なリアルヒーロー像に仕上げてますね。

さて以下は思いっきり余談なのですが。
今現在プロレス界で 地味に流行り始めている「トランキーロ」という言葉。スペイン語で「焦るなよ」の意味なんだけど。
「おもてなし」と「HAPPY WEDDING」のなかで、リアル「トランキーロ」が聞けて、ちょっと嬉しかったのです。
プロレスファンとして(笑)

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スマホ対応手袋の花嫁
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2015年08月11日

進撃の巨人 ATTACK ON TITAN

樋口真嗣
三浦春馬、長谷川博己、水原希子、本郷奏多
百年以上前、突如現れた巨人たちに大半の人類は喰われ文明は崩壊。生き残った者たちは巨大な壁を築き、その内側で暮らし始めた。
そこでの生活に苛立ちを覚え、壁の外の世界に憧れるエレン。そんな彼の眼前で突如壁が破壊され、想定外の巨人たちが侵入。人々は次々に食べられていく。

人気コミックの実写化というのは、多少の賛と多大な否が渦巻くのは当然のこと。
またこれだけ有名になると、今度は思い入れの深いor浅いでも見方や受け止め方が微妙に変化するもの。

わたくし、当然ながら「進撃の巨人」というタイトルは知ってますし、作品の概要も知っております。が(幸か不幸か!?)原作は読んでいませんし、アニメ版も見ておりません。

そのうえでの“進撃体験”となったわけなんですが。
結論からいうと、素直に楽しめました。わたくし的にはアリでしたね。実写版「進撃の巨人」は。

当初から「特撮作品」としてのアプローチもあったこの作品。冒頭で あの「東宝」というマークが出てきただけで、ゴジラシリーズなどで育ってきた わたくしの受け入れ態勢が整った感はあったけどね。
始まって間もなく登場する 超大型の筋肉標本のような巨人の迫力はありましたが、それに続いて登場した複数の巨人たちには、違った意味で驚きました。

何より ここに現れるのは巨人なんですよね。変に作られた怪獣よりも、規格外の大きさを誇る人間という。そのシンプルな存在感から受ける 必要以上の怖さ。
また それらを演じた役者さんたちのアクの強さったらないですよ。あんな集団がおったらただでさえ怖いのに、さらに巨人なんだから。

松本人志の「大日本人」にも大きな人が出てたけど、そこまでアレではない設定。
往年の「ウルトラQ」にも巨人というのが登場したはずなんだけど。それにも近いか?いや薄気味悪さでいえばそれ以上かも。

そして その個性を活かす“特撮”という技術も見入ってしまいました。
作られたリアリティを表現するなら最先端のCGやVFXも有効でしょうが、大きな不気味な人間を際立たせるなら、日本の誇る特撮の技というのが打って付けだったんじゃないかな。
このあたりは だいぶ好みの問題はあるけれど。

巨人に関していうと、それらが人を捕食する描写についても賛否が大きく語られていますね。エグ過ぎるとか グロいとか。
わたくし個人的には 人が引きちぎられても、そこそこの血しぶきが飛んでもそんなにショッキングではないのだが。
確かにこのあたり、スプラッターとかが苦手な人にはダメなんだろうね。

この人が人を喰らうシーンが嫌悪感を抱かれる一因には、どちらにも感覚が近づけられるのがある気がします。
ようは食べられる側の感覚だけでなく、食べる側の感触もわかるという部分なんだけど。
ジュラシックなんちゃら的な、恐竜が人をかじるのとは 微妙に感じ方が違うはずなんだよね。なんとなくだけど。
そんなこんなで巨人の登場するくだりはイイ感じで楽しめたわけなんですが。

欲を言えば、物語全体の展開がいくらか急テンポだったり、稚拙な印象というのは拭えないかな。悪く言うと安っぽいとなっちゃうんだけど。
登場人物の行動パターンがどこか安易という感じでね。もうちょっと重厚なスタンスが欲しかったです。

それと関連付く要素ではあるんだけど、そんな軽率な動きを見せるキャラたちにはさすがに感情移入がしにくくなってしまったか。

キャスティングとして 桜庭ななみちゃんがカワイイのは合格として「なんで食いしん坊キャラなん?」とか「なんで武田梨奈がお色気キャラなん?」とか解せない部分も。
そんな中にあって、石原さとみが これまで見たことないようなテンションで演じておられまして。またそれが良い方に出てたですね。

そんなこんなでツッコミだすと…いや、語りだすと他にも言いたいことチョイチョイあるけれど。
とりあえず“わたくし的な特撮ファン”としての目線では満足いたしました。あとは後篇を待つべきかな。

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瀧さん、巨人役ではなかったんだ。
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2015年06月09日

ジェームス・ブラウン〜最高の魂(ソウル)を持つ男〜

テイト・テイラー
チャドウィック・ボーズマン、ネルサン・エリス、ダン・エイクロイド
貧しい家庭に生まれたジェームス・ブラウンは、両親から捨てられ、後に窃盗の罪により刑務所に入れられてしまう。しかしそこに慰問でやって来たゴスペルシンガーのバードと出会い、大きくその運命が変わっていく。
バンドを組み、レコード会社に認められ、デビューを果たし、JBの名は次第に世間に広まっていく。

「ミスター・ダイナマイト」「ファンキー・プレジデント」「キング・オブ・ソウル」様々な異名で称される“JB”ことジェームス・ブラウンを描いた作品。
それらしい邦題のタイトルがついておりますが、映画の原題は「Get On Up」というもの。日本語でいうと「ゲロンパッ!」ですね(笑)

実際のJBは 2006年12月25日に73歳でその生涯を終えておるのですが、この映画は2時間19分しかございませんで。
その人生のターニングポイントをピックアップしております。

ミュージシャンの半生を描いた作品、近年ではザ・フォー・シーズンズを題材にした「ジャージー・ボーイズ」が記憶に新しいところ。
あちらは さすがにイーストウッド監督の手腕と言うべきか、映画というエンターテイメントとして、じつに優れておりました。

それと比較するのが良いのかどうかはアレですが、正直言ってコチラは弱いという印象はあるかな。
見せ方の違いもあるのかな。ストーリーに原因もあるのかな。

貧しい家庭に生まれ、出会い、別れ、邂逅、紆余曲折を経ながら その地位を確立していくわけなんですが。
スーツ泥棒、レコード会社の意向とはいえ あっさりとバンドと別れてしまう。音楽性がゆえにバンドと衝突してしまう。妻に暴力をふるう。

挙句にドラッグキメてライフルぶっ放して、警察とカーチェイスですわ。
こんなエピソードを羅列して、美談にまとめ上げるのは どうやっても不可能(苦笑)

でも、でも、彼がどんなにろくでなしでも、難しいヤツだったとしても、“才能”であり“作品”が それらをはるかに上回っているんですよね。
だから僕らはJBを求めずにはいられない。JBの前ではひれ伏すしかないんだろうな。

という事に気付きつつ。
映画のラストでは それまでの絶対正義だったJBの弱さ、優しさ、そして愛が歌われていて。ウルウルきてしまいます。
ムチャクチャなヤツだけど、本当は優しいんだ〜と見直してしまうって、ほぼほぼDVの仕組みといっしょだけどね(笑)

さて、リアルなJBがイカしてるのは百も承知だけど、この映画はこの映画で ライブシーンがメチャクチャカッコいい。
伝説のパリのステージの“再現フィルム”はマジで泣けてきました。
いやぁ泣けるほどカッコいいなんてことがあるんだねぇ。

とにかくあの「Sex Machine」は必見。いや、見るだけじゃなくって踊りだしたくなること間違いなしです。

そして、それほどまでにJBを演じたチャドウィック・ボーズマンも素晴らしい。
ソング&ダンスのクオリティはもちろん、しゃべりも本物そっくりで。

JBの生き様は決して人として褒められたもんじゃないでしょうし、映画としての見せ方も及ばないところはあります。
それでも「いいもん見たわ」と思わせてくれたのは、チャドウィック・ボーズマンの演技とライブシーンが大きいですわね。

ジェームス・ブラウンが死んでも、その魂(ソウル)はファンの間にずっと残っております。
そしてこの映画からも ジェームス・ブラウンの魂(ソウル)が、確かに感じられました。

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すべてがDrums!!
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2015年06月08日

新宿スワン

園 子温
綾野 剛、山田孝之、沢尻エリカ、
人生のどん底をゆく白鳥龍彦は、新宿・歌舞伎町で出会った真虎の誘いでスカウトの世界に足を踏み入れる。
「俺のスカウトした女の子は、必ず幸せだと言わせます!」との思いを胸に、スカウトマンとして のし上がっていく龍彦だったが、ライバル会社との生き残りを賭けた争いに巻き込まれていく。

原作は人気のコミック。ゴチャゴチャっとした(?)繁華街・新宿を舞台に、風俗店やキャバクラなどに女の子を斡旋するスカウトの世界を描いた物語。
決してそんなに興味のある世界でもないし、特に惹かれる要素は正直薄いんだけど。そこは園子温監督の作品ということで見てまいりました。

そういう言い方をしてしまうなら前作の「TOKYO TRIBE」も“引き”という意味では微妙な印象ではあったんだけど。
ところが「TOKYO〜」も この作品も、いざ見始めると、どんどん引き込まれて見入ってしまいましたわ。

そもそも わたくし自身が軟弱なヤツなもので。いわゆる“ムダにアツくて男クサい”のって、少なからず嫌悪感を覚えちゃうのよね(苦笑)
でも結果的に思うのは、気付かないうちに登場人物に感情移入させたり、映画の世界観に引き込んでいく術に長けているんでしょうね。園子温監督の手法は。

いきなりケンカのシーンで始まるわけなんですが、そこで血まみれになって暴れるモジャモジャ金髪の若者を、一目で救い上げる真虎。
クールで優しいんだけど、たぶんヤバいんだろうな…という部分まで感じさせる伊勢谷友介が堪らなくカッコいい。
設定こそスカウトの世界ですが“理想の上司”とか書かれてて、うなずいちゃいましたね。

そして主人公・龍彦役の綾野剛も素晴らしい。
申し訳ないが彼の印象って、物静かな二枚目が多くて。言い方悪いけど、つまらない役回りが多かったんですよね。
それが今回は、こんなに感情の表現できたの?こんな笑顔するの?こんなに軽いの?こんなに目が開くの?(笑)
これまでにない、役者としての懐の広さが見られて。そしてそれがハマってたので、正直驚きましたわ。

それ以外にもギラギラした山田孝之。意外にも守りたくなってしまう沢尻エリカ。あまりにもイメージ通りな山田優などなど。
アクの強い役者がわんさか揃いながらも、全てのピースがキッチリと納まっていて。こういうのってなかなかできないことですから。

ストーリーも全く小難しいことなく。それでいて チョイチョイ映画らしい やり過ぎチックな表現がインサートされている感じかな。
ただ園子温監督にしてはSEXシーンも下品な表現もなく。そういうテイストを期待してるファンにとっては幾分か物足りないかもだけど。
だからといって園監督は それしか撮れない人というわけでもないのでね。

それでいうなら これまでにない綾野剛を引き出したのは園監督の手腕ではないかと思うし、新宿歌舞伎町という猥雑な舞台をキッチリと納めて見せたのも ある意味でらしさではないかな。
とはいうものの。全編が新宿で撮影ってわけではなく。結構 浜松でもロケが行われてたんだとか。
もはや浜松はリトル新宿といっても過言ではない!?

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テーマがボーイスカウトだったら…
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2015年05月16日

さよなら歌舞伎町

廣木隆一
染谷将太、前田敦子、松重 豊、南 果歩
ミュージシャンを目指す沙耶と同棲中の徹。周囲には一流ホテルのホテルマンだと偽りつつ、店長を勤める歌舞伎町のラブホテルへ出勤。さまざまな男女の人生が交錯するホテルでの一日が始まる。

『ヴァイブレータ』『やわらかい生活』に続き、廣木隆一監督と脚本家・荒井晴彦が3度目のタッグとの売り文句。
この上記の2作品、わたくしの好きのものでもありますので期待して見てきました。

本当は一流ホテルのホテルマンに憧れながらそれが叶わず。今は新宿歌舞伎町のラブホの店長という主人公。
そして そのラブホで交差する5組の男女を中心とした群像劇。

ひとつの大きな物語ではなく、様々なエピソードが入り組んでは幅が広がる。それがこの手の作品のメリットでもありますわな。
でもなぁ…

2時間強の上映時間でチマチマしたエピソード入れても、チマチマの集合体にしかなりませんので。
となると それぞれが思いきった話にする必要がでてくるのかな。
その結果、ご都合主義の束になっちゃったみたい。

主人公のホテルに現れるAV嬢となった妹。そして彼女。
実家での不遇話に改心してしまうスカウトマン。
時効まであと一日という中年男女。
時効間際の犯人を検挙せんとする刑事のカップル。
そもそもあの若さで店長って?オーナーさん、経営者は別でおるんやろ?

こういう設定の中にいろいろ詰め込むのは当然だけど、人を描いたり、ハートに訴えかけるような作風に ここまでを入れ込もうとすると 素直に見られないかな。
これがコメディと謳ってあれば もうちょっと受け止められたかもだけど。

唯一、互いに事情を秘めつつ付き合う韓国人カップルのエピソードだけはグッときましたが。
長回しのお風呂のシーンで、じっくりとした見せ場がありましたからね。
この2人の話だけ独立させて、練り直して一本作った方が〜みたいな。

ただ これも良い話ではあるんだけど、なにぶん日本では無名な役者さんですので。映画として群像劇の中の軸にはなりにくい。
それを言うなら若きホテルの店長と その彼女の物語が縦スジとして存在してほしいところですが、アイドル女優が相手役では限界があるわな。

映画としてダメダメとまでは言いませんが、正直 乗り切れない感は否めなかったです。
あと エンドロール後のワンシーンも、本来は犯罪者なんですから。安易に「ヤッター!!」ってのも、ちょっと抵抗あったなぁ。

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殺されちゃう立ちんぼ…悲しすぎる
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2015年05月15日

ザ・トライブ

ミロスラヴ・スラボシュピツキー
グレゴリー・フェセンコ、ヤナ・ノヴィコァヴァ、ロザ・バビィ
セルゲイは聾唖者専門の寄宿学校に入学する。そこでは犯罪や売春などを行う“族(トライブ)”が暗躍していた。セルゲイはそこに手を貸すうち、組織での地位を確立していく。
しかしリーダーの愛人であるアナに執着し、ルールを破ることで組織からリンチにあってしまう。

「この映画の言語は手話である。字幕も吹き替えも存在しない。」という説明で始まるこの作品。
舞台はウクライナ。生徒も教師も全てが聾唖者という寄宿学校。

ガヤで人の声が聞こえる部分はありますが、主たる登場人物は みな手話なり何なりでコミュニケーションを取っています。

日本と外国で言語が違うように、国によって手話もさまざまと聞いたことがあります。
僕ら健常者が この映画を見ても“台詞”を読み取ることはできないのですが、日本で手話のわかる方がこの作品を見て…どうなんでしょうなぁ。
それでなくてもこの映画での手話、ものスゴ動きが早かったり、感情的にひっぱたいたりとかそんな動きも入ってるので、どこまで分かり合えてるものなのか?
いろいろ気にはなりましたが。

ここに映し出される状況、行動、展開から 何が起きているのかを理解しなくてはなりません。
画面に集中していれば おおよそは理解できますが、もちろん100%というわけにはいかないので。
事前にあらすじを読んでおいてもいいのかもしれませんね。

どうしても手話オンリーという部分に引っ張られてしまいがちなんだけど。
普通にセリフがあったらどうなんだろうかと。ウクライナのセリフはあるけれど字幕はナシだったらどうなんだろうとか、余計なことイメージしちゃいましたが。
さすがにそれだと集中できないかな。

さて セリフの無い中でストーリー展開や感情を伝えるという点では、わたくしはチャップリンの作品を思い出してしまったのですが。
あれはパントマイムであり、コメディであり〜という見方をされちゃうのかな。

でも実際には起こりそうにない出来事を 面白おかしく表現するのがコメディ映画だとするならば。この映画も犯罪に暴力にSEXと、それとなく大胆な表現で構成されているとは思います。
幾分か歪んだ考えですが、聾唖者の方が犯罪や暴力で訴えかけるというイメージが皆無なもので。そのギャップも手伝ってか、作品のインパクトは大きいですよね。

とにかく終盤は 畳みかけるように痛い映像があるので、苦手な方は要注意。
あとは中絶のシーンがまた たまらなかったなぁ。思わず子宮がうずいちゃいました。
あ、ワシ男やった。

映画の性質上、様々な状況・情報を伝え切るためなのか、ワンシーン、ワンカットが思いのほか長め。
結果2時間12分と上映時間もやや長め。

それだけの尺の分を、文字、会話、イントネーションに頼らずに理解する必要も出てきちゃうので、コンディションの良いときに鑑賞することをお勧めします。

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インチキ手話のおっさん、元気にしてるかしらん?
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2015年05月14日

ジェサベル

ケヴィン・グルタート
サラ・スヌーク、マーク・ウェバー、デイヴィッド・アンドリュース
事故により、愛する夫と身ごもっていた子供を亡くなってしまったジェサベル。自身も車いす生活となり、父が住む旧家に戻ることに。
そこで見つけたビデオテープには、幼い頃に亡くした母の姿が収められていた。が それ以降、ジェサベルは不可解な現象に襲われ始める。

『パラノーマル・アクティビティ』シリーズなどの製作に携ってきたプロデューサーに『ソウ』シリーズなどの監督とのこと。
おどろおどろしい雰囲気や「ウギャー!!」という演出もあり、ホラーという前提で紹介はされております。が ストーリーを追う分には、サスペンスチックなドキドキ感も楽しめる作品でしたね。

冒頭の大事故により、夫とお腹の中の胎児を失った主人公。自身は一命こそ取り留めたものの、車イス生活を余儀なくされるという設定。これにより 主人公の動きを制限するという作りは上手いもんですね(苦笑)

以下、ネタバレチックになりますが、生まれたときにすぐ亡くなったとされる自身の墓を発見。そして頭蓋骨の発見から「双子か?」と思わせつつ、速攻で否定されるのはチョビット気持ちよかった。そんなに安易じゃないわな〜ってね。

その真相となるラストの展開は、ホウホウそうきましたかと見ておりました。
あの家に、あの場所に残っていた呪いは そんな理由があったんやな〜と。
よくよく思い出してみれば、主人公の夫と子供が犠牲になるという導入部は まさにそういうことだったんですな。

最後に主人公が車イスに縛られたまま、湖に落下。もうだめだ〜というところで もうひとりの“わたし”が助けに来るという意外な展開。
かと思えばさにあらず。どうやら彼女の肉体を奪い取ったということですか。

だとすると、ただ養子的に連れてこられただけなのに こんなことに巻き込まれてしまった彼女が不憫でならんのだが。。。

そんな成仏できなかった怨念に肉体を奪われてしまうジェサベル。日本でいうトコロの“ぽっちゃり女子系”で。
決して美人ではないけれど、無駄に胸元の露出が大きかったことも相まって、見ていてなんか気になる彼女でしたね。

ラストのワンカットで、あの母の形見のブレスレット(時計だっけ?)着けてたのかな。見逃しちゃったんだけど 今さらながら気になってますわ(^-^;)
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2015年04月28日

セッション

デイミアン・チャゼル
マイルズ・テラー、J・K・シモンズ、ポール・ライザー、メリッサ・ブノワ
名門音楽学校に入学したニーマンはフレッチャーのバンドにスカウトされる。しかし彼のレッスンは罵声を浴びせ、時に暴力をも辞さないものだった。
そんなフレッチャーに食らい付かんと自らを追い込むニーマン。しかしある事故をきっかけにニーマンは最悪の状況へ突き落されてしまう。

今年のアカデミー賞にてJ・K・シモンズの助演男優賞を含む3部門で受賞。サンダンス映画祭でもグランプリ&観客賞を受賞と、様々な評価を得た作品。
しかし日本では、ジャズミュージシャンの菊地成孔氏がボロクソに批判したことが大きな話題になっちゃいまして。

そんな外野の声(?)も影響してか、劇場はなかなかの盛況ぶり。
わたくしも それなりの期待をしつつ、見てきました。

菊地氏をはじめとしたジャズミュージシャン、関係者からは「ジャズとはこんなものじゃない」という感じの批判・否定意見で総スカンを食らってるような風潮もあるようですな。
わたくし いちプロレスファンとして(プロレスラーじゃないよ)思うのは、ダーレン・アロノフスキーの「レスラー」を見て プロレスの何たるかを語られても複雑だなと。
あれはあれでイイ映画ですし、あのようなバックステージもあるでしょうが、それが100%真実と思われてもなぁ〜という思いはあります。
だからといって断罪するのもまた違うんじゃないかと。

わたくしは音楽のこと、ジャズのことはそんなわかりませんが、業界人の立場からすると複雑なのは心中察しますと。
それはそれとして、この「セッション」は見応えのある映画に仕上がっていることは事実です。

同時期に公開になってる「バードマン」なんかは基本が会話劇なもので、ストーリーなり字幕を追うので必死なんだけど。
こちらは音楽がテーマの作品でもあるので、その映像でのわかりやすさも大きいし。また捻った会話もそれほどなく、ストーリー展開もストレート。

軸となる登場人物も、ジャズドラマーを目指すニーマンと時に狂気をまとった教師フレッチャーの二人だけ。
それも含めて わかりやすい映画だったと思います。

舞台は音楽学校。鬼教師フレッチャーのバンドに招かれるも、徹底的なスパルタレッスンを受けるニーマン。
しかもプレイだけでなく、個人を罵倒するかのような罵詈雑言も含めてこき下ろされます。

そんな中でもフレッチャーを信じて、己を信じて。なんなら恋人も捨ててまで突き進むニーマン。
しかしそんな彼がアクシデントに見舞われて…と。

何を考えているのか見えないフレッチャーのキャラクター。
暗い密室のレッスンルーム。また時に血しぶきまで飛んだりして。
雰囲気だけならホラーかスリラーに見えなくもないという(苦笑)

作品全般を通じて、終始緊張感が張り詰めておりまして。
これはなかなか感じられない映画体験かも。

そしてラストにかまされる演奏のバトルは確かに圧巻。
テンポだけがジャズの全てではないのはわかりますが、クライマックスシーンであんなプレイを見せられたら引きつけられますよ。
また 知らない曲で演奏できない〜バンドとのグルーヴ〜そして…という持っていき方、盛り上げていき方も上手い具合になってますし。

映画としてダメダメだったらしょうがないけど、しっかりと体温の上がるような作品になってますから。
本職のジャズミュージシャンが酷評をしたとしても、映画ファンから一定の支持は揺るがないんじゃないですかね。

原題は「WHIPLASH」。作中で演奏される曲名でもあり、ペシペシとしなる鞭の先端の意味であります。
一方の邦題は「セッション」。いわゆる即興演奏の“ジャム・セッション”のことでしょう。
ちょっと意にそぐわない感もあるけれど、日本ではそっちのがわかりやすのかもね。

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初デートがあんなピザ屋とは
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2015年04月20日

ソロモンの偽証 後篇・裁判

成島 出
藤野涼子、板垣瑞生、石井杏奈、尾野真千子
転落死した同級生の死の謎を巡り、隠された真実を明らかにするため学校内裁判を提案した藤野涼子。被告人とされる大出俊次、浅井松子の死後 沈黙を続ける三宅樹理も出廷することで、学校内裁判が開廷。
果たして学校内裁判の果てに彼女たちが辿り着く真相とは…

前篇のあと、2週間を挟んで後篇を見てまいりました。
その前篇があまりにも前篇すぎて(苦笑) 前篇&後篇の両方を見ないことには成立しません。
どちらかだけしか見ない、見てない人にとっては、中途半端になってしまう作りであります。

前篇の際にも書きましたが、どうやら試写で後篇を見た人の感想が芳しくなく。それなりの覚悟が必要かと思いつつでしたが…後篇を見た率直な感想は、それほど悪くはないなと。
逆に“大感動”とか“心震えました”というまでは行かないんだけど。

前作での事件のあらましを経たうえで、中学校の体育館で行われる裁判の場面へ。
数多の登場人物による それぞれの立場での“真相”が語られていきます。

ただ大人たちについては ほぼほぼ前フリみたい。女刑事、前校長、担任ら大半のオトナが前半で退場。
松重豊演じるバックアップしてくれる先生。事件を追っていたテレビ記者に至っては出番ナシ。この辺りは思いのほかタンパク。

そして後半。本当の意味での確信について語られる生徒たちのパート。このクライマックスである部分を、大半がオーデションで選ばれた演技経験の乏しい子たちが占めるという。それはそれでスゴイことだなと。

タイトルにも記されている通り“偽証”というのもあるにはありますが、それはそれとして。

この事件の“真相”については…中2病?違うなぁ。ノイローゼ?でもないか。ただ病んでる?
でも何ゆえ 亡くなった彼があのような思考の子になってしまったのか。多少なりともそれに触れないことには「なんだコイツは?」になってしまうよね。
原作にはそれについてはもちろん、もっと様々な件についての背景にも描写があるそうですが。

映画には法廷モノってのはありますよ。そこはドラマが生まれるというよりも、基本は ただ真相が語られる場で。
その分、我々が思ってもみなかったトリックや逆転で、観客は「やられた〜」「その手があったか〜」というのを ある意味期待してみるんだけれども。
それに比べると、今作は思い切りが弱いのか、一般人には共感を得にくい設定だったかな。
感情についてはわからんでもないけれど、共感して涙するまでには至らなかったですね。

前篇でも書きましたが、藤野涼子役の藤野涼子さんの表情、真っ直ぐなまなざしはとても印象に残ってますね。
もし今後も女優としてやっていくのだとすれば、このクラス委員のイメージが付き過ぎないことを祈るのみ。
それでなくても この役名を芸名にしちゃってますしね。

あとはドランクドラゴンの塚地さんも、良い意味で味あるなぁと思いましたです。「この子ら頑張ってるんだから!」というあの台詞だけでちょっと胸アツ。
そして母親役の永作博美さん。前篇同様にウザいなぁ〜という感覚の端っこに、役作りの上手さも伝わってきました。

当然ですが前篇・後篇を通じて映画は重苦しい空気のまま。
ひと通りの真相が明かされても、決してハッピーエンドという雰囲気にはなりません。

それは半ば覚悟してたことだけど。
だからといってストレートに「見て良かった」とも思えないし「考えさせられる」とまでもいかない。落としどころがピリッとしない感じは残るかな。

このいくばくかのもやもや感は宮部みゆき流なのか、原作との差異であるのか。
それを明らかにするために原作を…文庫本で6冊、ハードカバーでも3冊ですか!?

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黒木華は“犯人”じゃなくて“担任”でした
posted by 味噌のカツオ at 00:13| Comment(0) | TrackBack(0) | サ行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする