2014年06月13日

女子―ズ

福田雄一
桐谷美玲、藤井美菜、高畑充希、有村架純、山本美月
名字に色が入っているという理由で集められた5人の女子。チャールズ司令官の指令により、世界征服を狙う怪人たちと戦うことを命ぜられた…それが戦隊ヒーロー“女子―ズ”。
しかし女子は何かと忙しく、なかなか5人が揃わない。そんな彼女たちが地球を守れるのか!?

「勇者ヨシヒコ」や「HK/変態仮面」を世に送り出した福田雄一監督作品。
とにかく今が旬のかわいい女子を5人そろえたというだけでも素晴らしい。カワイイ女子が見られれば、もはや内容なんかどうでもいい。
とまでは言い切れないが、ぶっちゃけ この5人も事務所もよくこんな企画に出演OKしたな(苦笑)

でもやっぱりそもそもは企画の勝利でもありますか。いわゆる“戦隊ヒーロー”というカテゴリーは誰でも知ってるわけで。
それを女子5人にしてしまうのもそうだし、一般的な女子というのも共感を得やすいかな。まぁストーリー細部をみると、とてもじゃないけど共感を得るまでにはないかもだけど!?
それでも この作品のスタンスであれば「あるある」「わかるわかる」と思えちゃうよね。

もう一つ、(ネイビーはさておき)それぞれのカラーによるキャラクター設定も、程よく表現されていたのも良かった点ですね。クールなブルーとかガッツリしたイエローとか。

そんな中 わたくし的なツボは、後半にレッドが仲間を呼び集めに行くあたり。
イエローとの歩道橋のやりとりのシュールさ。ブルーの20世紀少年。グリーンのツッコミ辛い芝居へのこだわり。ネイビーの恋愛事情…
あの辺りはクスクス笑えました。。。

そうだ、クスクス笑いだ。
決して爆笑まではいかないんだけど、クスクス笑えるというのが この映画の愛すべき“ゆるさ”であります。
確かにそれはそれでいいけれど。

惜しむらくは、ここにあるのは男子目線による女子事情という感じから抜け切れていないような〜というトコかな。
ホントに女子が女子の裏側や本音を描くとしたら、もうちょっと えげつない要素も入ってくるのかもしれなですわね。

戦隊ヒーローもののパロディでありコメディ路線ということを思えば、その部分も もう少し踏み込むのもアリかなと思ったり。でもそれを突き詰めちゃうと力を合わせて戦うのが難しくなっちゃうと思ったりで。
結局 福田監督の作風であるならば、これぐらいの加減でちょうどいいのかな。
わたくしとしては、カワイイ女子効果で ほぼほぼ満足だったんだけどね。

余談ですが、わたくしが見に行った回は女性のお客さんが異常に多かったんだけど。
このキャストに この設定。女子のお客様のニーズあるのかな?
あるいはたまたまレディスデーだったからのことなのか!?

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うんこ〜うんこ〜
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2014年05月28日

青天の霹靂

劇団ひとり
大泉 洋、柴咲コウ、劇団ひとり、風間杜夫
39歳。売れないマジシャンの晴夫の元に、ホームレス生活だった父親が亡くなったとの連絡が入る。遺骨を抱え、父に人生と自らの未来を重ね涙する晴夫。
そこへ突如一閃の落雷が直撃し、その衝撃で40年前へとタイムスリップしてしまう。そんな中 マジシャンとして浅草ホールを訪ねた晴夫は、若き日の両親と出会う。

“人気芸人”として紹介されてますが、ぶっちゃけ劇団ひとりって、あまり好きじゃないというか。そもそも芸人なん?あまりオモロイと思った記憶が無いのですが。。。
ただ芸人的視点はさておき、何かしらの“才”を感じさせるというのは否定しません。

既に「陰日向に咲く」が映画化されておりますが、この「青天の霹靂」も原作は劇団ひとり。
そして今回は自身が初の監督、そして(共同ではあるが)脚本も担当されております。あぁもちろん出演もしてますね。

冒頭の導入部は まさに自身の経験らしいですね。
自分よりも後輩のヤツが、クソ面白くもないくせにテレビに出てはチヤホヤされて。かと言って面と向かっても、全く嫉妬なんかしてません〜と強がってしまう。
こういう人気商売をしてたら そういう思いも意地もあるだろうなと。それを芸人ではなく手品師に置き換えたということですな。

自分はこれからどうなるのか、自分は何のために生まれてきたのか。
そんな状況でとことん打ちひしがれた主人公が、やがてタイムスリップという非現実の世界に入っていきます。
本当だったら混乱を喫しても不思議ではないけれど、元の世界に帰ったところで自分には何もないと割り切り、その世界で生きていこうとするのに妙な説得力ありましたね。

そして決して信頼できなかった父親。自分を捨てた母親と出会い、自分の出自と向き合うこととなります。

上映時間は96分。決して長くはありません。そこで組み立てられる起承転結は実にコンパクトにまとめられていて、とても見やすいです。
欲張ろうと思えば もっとゴテゴテに盛ったオハナシにもできたかもしれません。でもそれをやると、たぶんクサくなりすぎるでしょうね。
感動の押し売りが鼻につく映画もあるなかで、この あざとくなり過ぎない点がとても好印象。

でありながら、一番根っこにあるものはサラリとしつつも、設定とかセリフとかはしっかりしてるので確実に響いてきます。
もちろん そこに至るまでのネタだったりエピソードで笑いも取ってますから、そのうえでの“泣き”はより引き立つわけで。
さすがにわたくしもグッときちゃいましたよ。

ですが最後の最後に“オチ”のような展開も用意されておりまして。
普通に泣ける映画を期待する向きには「あれはいらん」となるのでしょうが、わたくしとしては“芸人・劇団ひとり”なりの照れ隠しなのかなと、好意的に見ております。
ああいう着地点を用意しておかないと、ただのイイ話でしかない…みたいなこっ恥ずかしさが残るっちゅうか(苦笑)

さて ここで特筆すべきはやはり大泉洋さんでしょう。
芝居上手いのは当然ですが、実際に長回しで本格的なマジック&カードさばきを披露してましたもんね。あれは相当練習してないとできないっしょ。ただただ脱帽。
そして支配人役の風間杜夫さんがいい存在感を放っておりました。

とにかく このあっさりテイストを物足りないと思う人もおるかもしれませんが、これぐらいだからこそフランクに観客の心にスッと染み込んでくるんだと思います。
“芸人・劇団ひとり”はそれほどでもないけれど、“映画監督・劇団ひとり”には次回作とか期待しちゃいますよ(笑)

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「手は1個でも口は3個」それが手品
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2014年05月16日

そこのみにて光輝く

呉 美保
綾野 剛、池脇千鶴、菅田将暉、高橋和也
ある出来事をきっかけに仕事を辞め、何もせずに生活していた達夫は、パチンコ屋で拓児という青年と出会う。拓児の住むバラックには、寝たきりの父親、その世話をする母親、そして姉の千夏がいた。
やがて達夫と千夏は互いに惹かれあうのだが、達夫は千夏の衝撃的な事実を知り…

41歳で自ら命を絶った作家・佐藤泰志が遺した唯一の長編小説を呉美保監督が映画化。
あまりそそられるストーリーでもなさそうだし、映画館で予告を見た覚えもなくってスルーしていたんだけど、非常に評価が高いようなので見に行ってきました。

率直な感想としては、見て良かったというよりも、映画好きには引っかかっちゃう物語ですよ。

「綾野剛がなんぼのもんじゃい!」という思いは少なからずありました。でも「白ゆき姫殺人事件」が思いのほか良かったので、もしや〜との期待も。
でも今作では「白ゆき姫〜」どころか、これまでにないような色気ありましたね。いい役者です。

そして共演となる菅田将暉。今まで見た覚えはないので、彼もピンとこなかったんだけど。でも パチンコ屋でのファーストシーンからなんか…なんかでしたね。
彼の演じた拓児はホントやかましくていい加減で、できればお近づきにはなりたくないんだけど、ずっと一緒にいると目が離せなくなる魅力があるんだよね。

そして池脇千鶴ですよ。これから褒め言葉を書きます!!
決して街ですれ違っても振り返ってしまうような、見まごうほどの美人ではない。30歳を過ぎたその体は幾分かぽっちゃり予備軍で。いや、後ろ姿からすると女優としてはちょっとキツイかなってぐらい。それ相当の肉付きになっておられます。
ただ、ただ、あの若干うらぶれた雰囲気に、あの体型。んー38歳以上の男性であれば、8割ぐらいの人が「いい」と言っちゃうんじゃないかな。
「何?8,000円?買ったー!!」ってね(笑)

高橋和也もね、いかにもローカルな有力者っていやらしさを漂わせて良かったです。
後見人ってのをチラつかせるあの野郎。「ミレニアム」のリスベットみたいにひどい目に合わせてやりたいと。イラついたわ。

とにかく終わってみれば、キャストの芝居でありキャラクター・存在感が素晴らしかったです。

“終わってみれば”というのは、実は ほぼほぼ中盤まで見ていてピンとくるものがなかったんだよね。展開がスローであり、(本質が)わかりにくい状況もあって。
でも、何でしょう。世界の、いや日本においても対局とは無縁であろう函館の小さな街の片隅で。とても不幸であり貧困である状況の中から、それはそれはリアリティが感じられて。

もちろん貧乏だから、不幸だからかわいそうなんて単純なことじゃないですよ。
どんな状況であれ生きるということとか。そこにも光が差し込んでくる余地があるんだと。

この映画のラストシーンですべてが解決してるわけでもないし。かと言って希望が見えるとも思えません。
だからしいて言うなら、タイトルにもある“光”なのかな。

光なんていとも簡単に遮られることもあるし、輝き続けようとするならそれなりのエネルギーも必要で。
でもハッキリとしたゴールではない、この危うさこそが映画の余韻となっていくんですかね。
つまりは“映画好きには引っかかっちゃう物語”であると。

いろんな登場人物の物語に決着がついていないんだけど、たぶんみんな ものすごく幸せになるとは思えなくて。
それ以上でもそれ以下でもなく。

でもそう感じさせるリアリティが堪らない作品。
見ておくべき日本映画であります。
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2014年04月03日

白ゆき姫殺人事件

中村義洋
井上真央、綾野 剛、菜々緒、蓮佛美沙子
人里離れた山中で美人OL・三木典子が殺害された。同僚らの証言から、被害者と同期入社で行方がわからなくなっている城野美姫に疑惑の目が向けられる。
テレビディレクターの赤星は、周辺取材をしつつ状況をツイッターに投稿。テレビ報道とネット上の両面から 噂が一人歩きしていく。

監督は「アヒルと鴨のコインロッカー」や「ゴールデンスランバー」の中村義洋。そして原作は湊かなえ。

湊かなえと言ったら、伊坂幸太郎、東野圭吾と並んで、映画化されている作品も非常に多い作家さんです。しかもハズレがない(笑)
上記の三者は どなたも人間模様がとても入り組んだ物語を作りまして。それでいて ラストにはしっかりドラマをおさめつつ、感情にも訴えかけるストーリーを書かれますよね。

この映画もそんな印象はあるのですが、これまでありそうでなかったものが“キー”になってきます。それがツイッターとテレビのワイドショー。
どちらも情報発信に長けたものではありますが、使い方次第では非常にやっかいになり得ます。

「人の噂も七十五日」と言いまして、世間の噂は長く続かず しばらくすれば忘れられる…と考えられています。
確かに長さでは大差はないかもだけど、瞬間的な広がりの勢いはひと昔前とは比べ物になりませんわね。
SNSやメディアの恐ろしさがよくわかります。

この映画で表現されているもう一つの恐ろしさ。それが人。そぅ人です。
ひとつの事例に対して、様々な登場人物の証言というのが出てきます。

かつて その人の立っていた場所によって、物事の見え方が変わってくるという映画がありましたが、こちらはもっとシュールで現実的。
つまりは各個人が持っている先入観によって、証言の内容が微妙に変わっていくんですね。
同じ人の行動や言葉を、どんなスタンスで受け入れて理解するか。これでイメージが変わってきてしまいます。

さらに、端からウソをいうヤツ、都合の悪いことは言わないヤツ。いろんなのがおりますから、思い込みやら間違った解釈で さらに真実がゆがめられて報道されていくことに。

エンターテイメントとして見る分にはオモロイけど、実際の世の中もこんな感じで進んでいってるわけですから。
それを解って映画を見ている人も、現実には同様の振る舞いをしてしまうはずなので。気を付けなければいけません(苦笑)

映画の序盤の電話しながらツイッター投稿をする場面。
会話とツイッター上の本音とが同時進行されていって、見るのに神経使いますが、それ以降は大丈夫だったですね。

有名な原作者・監督に負けず劣らず、キャストらもみな上手で。少々複雑なストーリーも違和感なく楽しめました。
中でも、表情を押えて“地味な先輩”を演じた井上真央ちゃん。キレイ過ぎないけど どこか気になる存在を演じられるのは見事なもんですよ。

最後の最後になって、あの二人が顔を合わせる場面があるというのも皮肉な話で。それにも 思わずニヤリとしちゃいました。
決してシュールに偏らず、笑えてしまう描写もあって、しっかりと楽しめた映画です。

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あとは雅也のことだけが気がかりで…
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2014年03月12日

それでも夜は明ける

スティーブ・マックイーン
キウェテル・イジョフォー、マイケル・ファスベンダー、ベネディクト・カンバーバッチ
1841年。ニューヨークで家族と共に暮らしていたバイオリン奏者のソロモンは、突如誘拐され 奴隷として南部のニューオーリンズへ売り飛ばされる。
白人たちの非道な仕打ちを受けながら、いつか家族と再会することを信じて耐え忍ぶソロモン。やがて12年の歳月が流れ、奴隷制度撤廃を唱えるカナダ人労働者バスと出会う。

今年のアカデミー賞に於いて 作品賞、助演女優賞(ルピタ・ニョンゴ)、脚色賞 の3部門で受賞した作品。
原題は「12YEARS A SLAVE」というもので、直訳すると「奴隷の12年間」という感じかな。作品のイメージを駆り立てるという意味では「それでも夜は明ける」は実に日本人向けなタイトルです。

舞台となっているのが1841年ということなので、173年前の実話がベースの作品。えぇっ、そんな大昔!?ってことにちょっとビックリ。

自由黒人としてアメリカ国内で普通の生活をしていた男が、突如拉致されて12年に渡って奴隷にされてしまうという悲劇。
134分の上映時間中の大半が不条理な内容というべきか。心を痛めるような展開もあれば、本当に目を覆いたくなるような拷問の場面なんかも。
一応 最後まで希望を捨てなかった男が ほぼ奇跡的に助けられ、元の家族と再会を果たすわけなんですが…
どうもラストシーンまで見てもストレ−トな感動とか涙という印象でもなく。素直に“良かった”と思えるでもなく。

主人公の男はラストでそういうことになりましたが、あの農場で別れた他の奴隷たちはどうなてしまうのかと(もちろんどうにもならないんだろうが)。
後に奴隷制度への反対運動を行ったとありましたが、映画のラストシーンはあくまで再会までなので。

それに現代の日本人からすると、自由黒人とか黒人奴隷という制度自体をどう受け止めて良いのか解りかねる設定でもありまして。

大きな農場などでは基本的な“労働力”としての黒人奴隷が必要だったんでしょう。
ただ主(あるじ)となる人間次第で、普通に労働者として扱われたり、酷い迫害を受けたりのようで。紙一重なところもあったのかな。
その点は現代のブラック企業問題とかに置き換えられるのかもしれないね。

この映画にある“12年間の奴隷生活”ってスゴく厳しいことなんだけど、どうもその重みが伝わりきってこないんですよ。拷問や迫害のそれはあっても年月の長さを感じない。
んで これも日本人的感覚でしょうが、季節が…ないんだよね。

灼熱の真夏での労働とか、厳冬の空の下での作業とか。日本であれば そういった“絵”として時が流れてるを感じるんだけど。
主人公のビジュアルも そんなに歳くったとか、過酷な労働で肉体が衰弱していったみたいな変化も乏しくて。
その点、普通に見ちゃったのも惜しいかな。

起承転結がハッキリしてて、問題提起も内包した実話ベースの作品。近年のアカデミー賞らしい映画ではあります。
ですが、もしかしたら 最高の賛辞を贈りたくなる作品は別にあるんじゃないか…と、ついつい余計な思いを巡らせたくなっちゃうかな(苦笑)

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ブラピおいしい
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2014年02月13日

スノーピアサー

ポン・ジュノ
クリス・エヴァンス、ソン・ガンホ、ティルダ・スウィントン、エド・ハリス
温暖化を防ぐために使われた化学薬品の影響で、地球は氷河期へと突入。わずかな人類の生き残りは、一年で地球一周を走る列車“スノーピアサー”に乗り込んだ者だけであった。
が 前方の富裕層から後方の貧困層に住み分けられた車内。カーティスは平等な社会を目指し、仲間と共に革命を目論む。

韓国でちょっと異質な(?)作品を送り出し続けたポン・ジュノ監督。
制作は“韓国・アメリカ・フランス”となってまして、主な登場人物がアメリカ人でフランスのコミックが原作という異色作。

しかしまぁ韓国人の監督で(オスカー俳優を含む)これだけのキャストをよく集めたなと。日本人でそれぐらいできる人っておるのかな?
良い悪いはともかく、そういう挑戦のできる野心家はいないような気がする。

あらすじを読んで予告編の映像を見ていたら、大方の予測はつきます。
この列車は地球を意味するのだろうと。それがなぜ、どのようないきさつで、どこへ向かっているのか…みたいのを期待して見てきました。

まぁ率直な感想は、イマイチわからなかったなと。イマイチ響いてこなかったなと。
いろんな設定、伏線、謎が張り巡らされているんだけど、しいて言うなら それらがひとつひとつクリアされていったところで、驚きとかカタルシスとかを得られない感じ。
「はぁ〜そうなんだ」みたいな印象より上をいかなかったと。

メッセージ性もエンターテイメント性ともに同様で、琴線に触れるような衝撃がないと、見て良かったと思えないですよね。

ある意味 自分の映画を見る感性が乏しいだけかもしれませんが、他者のレビューなどを拝見しても「あぁそういう解釈か」とまで分析してる人はおりませんで。

一本の直線である列車が、丸い地球を表しているのだろうという前提で わたくしなりに見てたら、あの お寿司を出す水族館の車両は日本のことなのかなと。
一方的に偏った教育で、いざとなれば銃でダダダ!の車両はアチラの北のお国のメタファーなのかと思えたんだけど。
あとは究極的に地球を動かすのは今の子供たちなんじゃなかろうかとか。

もしかしたら それ以外の車両や登場人物にも、何かしらを投影させていたりしたのしれませんが、イマイチわからなかったなと。イマイチ響いてこなかったなと。そういうトコであります。
あるいは解ったとしても「おもしろい」までは辿り着かなかったのかな。

迫力のある列車の映像なんかはとても見応えあったし、車両ごとの個性的な描写の数々もキライじゃありません。
でもトータルで考えたら、ちょっと乗れなかったな。
この列車には…いや、この映画には。

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主食は羊羹なのですか?
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2014年01月30日

ジャッジ

永井 聡
妻夫木聡、北川景子、鈴木京香、豊川悦司
落ちこぼれ広告マンの太田喜一郎はクセモノ上司の大滝一郎に押し付けられ、テレビCMの世界一を決める国際広告祭の審査員を務めることに。
ところが広告祭で自社制作のちくわのCMが賞を取らなければ会社をクビにされることに。喜一郎は同性ということで妻役となった同僚の大田ひかりと共に奮闘する。

CMプランナーとしてソフトバンクの「ホワイト家族」などを手がける澤本嘉光が脚本を務め、CMディレクター出身の永井聡が初の長編映画の監督を担当。

かつてはミュージックビデオを手掛ける方が映画を作ったというのもありました。
映像を撮るという部分では同じですが、CMや音楽のビデオと映画とでは尺も過程もかなり違うんじゃないかな。ある意味 異業種監督と言ってもよさそうな。

でもそういう方って既存の映画監督とは似て非なる感性を発揮して、映画ファンの斜め上を行くような。そんな面白味があるんですよね。

というところでこの作品。正直このチラシは何でしょうと。
大方のイメージでは見てはアカンやつに思えちゃう安っぽさ。

ところがどっこい、見た方の満足度は高いと来ておりまして。
得てしてこういう作品は拾い物が多いんですよ。そのひらめきを信じて鑑賞してきました。

結果、こいつは大アタリ(笑)
面白かったです!!

のっけから登場する腰を振るキツネ。このナンセンスの世界に「ニャーニャー」をかぶせる展開。いったい何がしたいのか。
海外の国際広告祭で通用するテクニックはペン回しと最高の料理を食べに行く姿勢。はて?
大滝一郎(オオタキ・イチロウ)の身代わりでサンタモニカへ行く羽目になった太田喜一郎(オオタ・キイチロウ)。
そんなオオタクンも海外では日本文化の象徴“オタク”と呼ばれちゃう。

本筋のストーリー展開に、ありえないエピソードが乗っかることで笑いを誘い。そうして貼って行った伏線を後に回収していくと。
要は、ありえない伏線をありえないやり方で回収しちゃう。ありえないことで2重に笑いを取る。

その奥にクリエーターとは、人の正しさとは、そんな要素もサラリと入れ込んでくる。見事なもんですよ。

しかしまぁ今の時代、ネットの情報やSNNを通して不可思議なことが世界規模で話題になったり、小さなことが注目されることはあるんだよね。
そう考えれば、きつねうどんを食べて「ニャーニャー」がブームになることも、強ち絵空事とも言い切れないのかな(笑)

近年の妻夫木くんは情けない役だったり三の線だったりが似合いますね。どんどん のび太化していってる証拠かな!?

さて、作り手のバックボーンが15秒や30秒で完結するCMの世界なので、それもあってか この映画ではコンパクトな笑いがいくつも散りばめられている感じ。
クドカンさんや三谷幸喜さんなど、おかしく笑える映画も多々ありますが、これはまた違った面白味がありました。
結構おすすめの作品ですよ!!

でも このチラシで損してるよね(苦笑)

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松本さんも昔は16歳だった(笑)
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2014年01月10日

セッションズ

ベン・リューイン
ジョン・ホークス、ヘレン・ハント、ウィリアム・H・メイシー
幼少時に患ったポリオが原因で、30年以上も首から下が動かない状態にあるマーク。それでも詩人としてジャーナリストとして、ポジティブな人生を送っていた。
そんな彼が心身ともに女性を愛したいと願い、セックス・セラピストのセッションを受けることを決意する。

冒頭に モデルとなったマーク・オブライエンの実際の映像も登場します。いわゆる実話がベースとなっている作品。
作中に登場するポエムも、実際のマークが作ったものだそうです。

病気が原因で首から下が動かない。そして重度の呼吸障害もあり、巨大な呼吸器の中で一日の大半を過ごさなくてはならない。
体はそんな状況でも、常に前向きで会話をすれば気の利いたジョークもどんどん飛び出す。そんな主人公。

体は動かなくても 心は普通の男性と同じ。いや 体がそんなだからこそ、恋多き男でもあるのかな。だからといって恋心を抱いても、なかなか肉体的快楽を得るまでには至らない。
そこでイザというときに困らないよう、マークはセックス・セラピストのセッションを受けることにします。

そんな風にストーリーは展開していきますが、このセックス・セラピストとは何ぞや?ということですよ。
これがどうやら、性行為の経験の無い相手にセックスとはどういうものかをレクチャーする職業みたいなんですね。もちろん実践も交えながらで。
あくまでレクチャーが目的であって、風俗嬢とはまた違うものなんですね。

アメリカ映画では 心が疲れてしまった人たちと会話をしたり、関係がが行き詰ってる夫婦に対してアドバイスをしたり。様々なセラピーを行う場面を見かけます。
それらと同様に、こんな性行為に対するセラピーというのもあるんですね。驚きました。

何が驚くって、そのセラピーを担当する女性が主婦だということ。
それこそセックスレス?と思わせる夫に、言うこと聞かない世代の息子を抱えた主婦ですよ。そんな女性が依頼を受けて、セラピーとして性行為を行うわけですわ。
ぶっちゃけ主人公の性以上に、セラピストさんの性が気になっちゃったりして。
はぁ〜いろんな職業ってのがあるもんだ。

かなりの割合でそちらの驚きもありまして、ストーリーがなおざりになりかけましたが。。。

なんだか本スジの方は特に面白いとか驚いた感は乏しいかな。
言ってしまえば、童貞男が頭でっかちになりすぎて(頭とは脳みその方のことよ)、行為がなかなかうまくいかないってのはあり得る話なので。
体に障害はあるけれど、恋をしたい。好きな人を抱きしめたい。挿入したい…は一緒ですわね。

しいて言うなら、見せ方が雑にも思えたかな。
うまく言えないけど、もうちょっと心の動きとかわかりやすくしてあってもいいのかな。「えっ、そうなの?」みたいな印象がチョイチョイあったように思うし。
それからマークの体が動かない分、もっと心を描き出してほしかったかな。露骨に もっとえげつなくね。
あれじゃまだまだですよ。

このような障害者の性の問題に触れる映画は今までなかったですかね。
その点は斬新だけど、あたしゃやっぱりセラピストさんの夫婦関係が気になっちゃうなぁ(苦笑)

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もしもおばあちゃんのセラピストだったら…
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2014年01月07日

受難

吉田良子
岩佐真悠子、淵上泰史、伊藤久美子、古館寛治
修道院で育った汚れなき乙女・フランチェス子。なぜ男女は付き合い、セックスをするのかという疑問にぶつかり、悶々とする毎日を送っている。
そんな彼女の陰部に突然、人面瘡ができてしまう。事あるごとに「おまえはダメな女だ!」と口汚くののしる人面瘡だったが、彼女は人面瘡に“古賀さん”と名付け、共同生活を送り始める。

直木賞候補となった姫野カオルコの小説を映画化。
修道院で育ち、男性からは言い寄られることもなく、純粋無垢のままの主人公・フランチェス子のオ××コに、人面瘡ができてしまう。
そんな設定の作品。

フランチェス子が自分のお股を覗き込んだり鏡に映したりすると、その人面瘡とやらがおるんですが。。。
ヒゲ面で鼻筋のところに割れ目があったりして。そのビジュアルたるやシュールさとエグさのバランスがなんとも(苦笑)

そもそもフランチェス子は「わたしとSEXしてください」と男子に訴えても相手にされないという存在。
全く使用価値のないオ××コに、その人面瘡ができちゃって。そいつが「おまえはダメな女だ!」としきりに彼女を罵倒するわけですよ。
ホントならうるさく思ったり、おちんこだ…いや、落ち込んだりしそうなんだけど、ちょっと変わりもののフランチェス子は そいつに名前を付けて、言わば同棲生活みたいになっちゃうんだな。

まぁそういうことなんだけど。。。

フランチェス子さんは男性から全く相手にされないという設定。しかし そういう役柄にしては岩佐真悠子はカワイイと思うんだよね。
彼女自体、女性としてニーズあると思うんだけど。それをモテない女子というキャラに据えることに説得力がない。

逆にフランチェス子が憧れる男性役こそ「えっ、どこがいいの?」という感じで。設定と登場人物に微妙なギャップがあって感情移入がしにくかったですわ。

一方の人面瘡“古賀さん”も、ストーリー上すごく重要な存在なのに、キャラとして弱い。
演じた古館寛治も嫌いじゃないけど、この役、この声としてはなんか薄いなぁ。
終始ベラベラしゃべって言葉数は多いんだけど、悲しいかな何も響いてこない。

古賀さんが狂言回しみたいな役割にもなってくる以上、一方的にののしるだけでなくて、もっと展開をリードしちゃっても良かったし。そうでなくても何かを気付かせる要素とか、喜怒哀楽を揺さぶる言葉が欲しかったなぁ。
マツコさんやミッツさんの言葉みたいに「お〜なるほど〜」とか、説得力ある部分ももっと欲しかったな。

それ以外にもね、フランチェス子には男性の機能をダメにさせるナゾの能力があるんだけど、この設定も物語の中でポイントとするには弱い。とってつけたようなモノじゃないですか?

多くの“おひとりさま女子”とか恋愛に臆病な若者たちに訴えかけるものが作れそうな設定だけど、ちょっと惜しい仕上がりの思えたね。
どうでしょ、女性が見たら共感する要素あったんですかね?

それはそれとして、唯一よかったのは岩佐真悠子のヌードのシーンですね。
これも見せ方として言いたいことはあるけれど、見られたのは良かったです(苦笑)

余談ですが、枯れ木が揺れてたり寂しげな海辺とか明らかに冬の映像なのに、バックで蝉の声が響いてるのはどうなんでしょ。
そうまでして夏の設定にしなきゃアカンのか?

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おまん、古賀さん?
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2014年01月06日

少女は自転車にのって

ハイファ・アル=マンスール
ワアド・ムハンマド、リーム・アブドゥラ
サウジアラビアに暮らす10歳の少女ワジダは、男友達と自転車競走をするため自転車を買うことを決意。しかし母親から許しはもらえず、自分でお金を貯めて買おうにも、自転車代の800リヤルには程遠い。
そんな折、学校でコーラン暗唱大会が開催され、優勝者には1000リヤルの賞金が出ると知ったワジダは、迷うことなく大会に立候補する。

舞台となっているのは中東のサウジアラビア。監督はサウジアラビア初の女性映画監督。
そこに“映っている”のは、人、男性、女性。車、自転車、テレビゲーム。商売、仕事…人が生活するうえで当たり前の物事ばかり。

ただし、そもそもこの国には法律により映画館の設置が禁じられているとのこと。
また女性が車の運転をしたり自転車に乗ったりするのは御法度であり、女性が外出する際には肌や髪の毛を見せてはならないと。
さらには暮らしの中にはコーランの教えが密接に存在していたり、家族の枠組みも一夫多妻制があったり。。。

監督は現在のサウジアラビアの姿であり、問題点を10歳の少女の存在を通して提示しておりまして。
“映っている”ものこそ変わらずとも、社会のルールとして“描かれている”ものは大きく異なっているという。そのあたりを認識したうえで見ないことには、ホントの意味でこの作品を受け止めることは難しいのかもしれませんね。

でも どうなんでしょう。実際に女性が生きていく中で、そういった決まりや縛りってどのくらい厳しいのかな。
(女性の)校長先生も生徒である少女たちには厳しく指導をしていたけど、「実は自宅に男を連れ込んでいたのでは」なんて描写もあったりして。
どうやら それらに反したからと言って、縛り上げたり吊し上げたり〜とまでではないみたいだし。それに10歳の少女が主人公の物語で そこまでヒドい絵を入れることもないだろうけど。

そうなんだね、あくまで主人公は10歳の少女。見る側として必要以上にヒリヒリと構えることもないのか(苦笑)
確かに問題提起という要素も大きなテーマであるけど、それも理解しつつも肩ひじ張ることなく。一人の少女とその母親。一人の少女とその友人の少年。一人の少女とその社会。
そんなスタンスで見るのがいいのかもしれないですね。

ちなみに後日談として聞いた話では、この作品が世に出て以降、サウジでも女性の自転車ぐらいは〜というように変わってきているそうです。
そうやって長い年月を経ていく中で、様々な作品などでメッセージを発信していくことで、社会も少しづつ変えていけるのかもしれないですね。

さてさて この映画のラストシーン。少女が心から欲しかった自転車をプレゼントされ、軽快に街の中を走る映像にこちらも笑顔で見終えることができます。
ただし、いくつもの車が走り抜ける大通りの向う側までは…という。
今現在のサウジアラビアとは、まだ そういうところなのでしょう。

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ハンドルの先のヒラヒラが懐かしかったね
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2013年12月20日

ゼロ・グラビティ

アルフォンソ・キュアロン
サンドラ・ブロック、ジョージ・クルーニー
地表から600km離れた宇宙で船外でミッション遂行中のマットとライアン。そこへ破壊された人工衛星の破片が襲い掛かり、二人は無重力空間に放り出されてしまう。
スペースシャトルも大破し、酸素も残りわずかという状況の下、果たして二人は無事に生還できるのか?

日本公開前からウワサがウワサを呼び、大きな注目を集めていたこの作品。
実際に見た人の評価も高いようで。

舞台は宇宙空間。登場人物はわずか2人。ストーリーはシンプル。上映時間はコンパクトな90分。
ただし、わたくし自身が 若干眠気をはらんだまま見に行ってしまったもので。結果 随分と集中力を欠いた鑑賞となりました。

上映形式として3D・吹き替え版と、2D・字幕版があって、わたくしが見たのは後者の方。
ジョージ・クルーニー演じるマットは たいへんおしゃべりなキャラクターで、前半は結構な会話劇でして。正直なかなかそれに着いていけないところもありました。
さらに、映像的にも おそらく3Dが活きるものだと思われます。
そんなわけで なおさら眠気が増していった次第。

そのうえでの感想です。

映画の冒頭から危機が襲い掛かり、その後は一難去ってまた一難。なんだか大小を問わず出来事がひっきりなし。
なんというか登場人物が2人(ほぼ1人)なので、それで展開を作ってるようにも見えちゃって。なんだか忙しく感じちゃったね。

ちょっとネタバレになりますが、最終的に地球へと戻ったライアン。
ポッドから海中へ。そして宇宙服を脱ぎ やっとのことで地球の大地を踏みしめます。
ただ、地球に帰還した宇宙飛行士って、重力の違いもあって すんなりと自力では歩けないようなイメージあるんだけど。
しかも海中であれだけ動くのって普通でも大変じゃなかろうか…とツッコミたくなったんだけど(苦笑)

とまぁなんやかや言っておりますが、映像に関しては理屈抜きでスゴいです。
キュアロン監督が以前に撮った「トゥモロー・ワールド」もたいがいスゴかったけど、これはまた信じられないような映像体験でありました。

この無重力状態の映像を人工的に撮影するってどうしたらできるんでしょうか!?
あんなもん、いっそのこと全員で宇宙に行って、実際の無重力空間で撮影した方が手っ取り早いと思うんだけどなぁ(苦笑)

というわけで、わたくし自身のコンディション的に内容面ではイマイチ乗り切れなかったのですが、とにかく映像は素晴らしかった。
もっと言うなら、3DでありIMAXなんかで見たらさらなる感動を覚えるんじゃないでしょうか。
わたくしは2D版だったけど、ぜひそちらをおススメいたします。

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露にやられた米が中にすがる…
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2013年11月06日

蠢動 しゅんどう

三上康雄
平 岳大、若林 豪、目黒祐樹、さとう珠緒、脇崎智史
享保の大飢饉より三年、山陰の因幡藩は落ち着きを取り戻したかのようにみえた。
しかし 幕府から派遣された剣術指南役の松宮が不審な動きをしているという知らせが届き、城代家老の荒木は 用人の舟瀬に松宮の動向を探ることを命じる。

ウワサに寄れば、監督が私財を投げ打って資金を捻出。そのうえで30年前に製作した作品をセルフリメイクしたというから驚き。

ひとつは この物語であり、時代劇というものへの思い入れというのもありましょう。そしてもう一点、自分が見たいと思える時代劇がないという。
そういったスタンスとのことで、とにかく監督の情熱というか情念がこもった映画なのであります。

ちなみにわたくし自身は「時代劇だから云々…」ということもなく、面白ければよいというそれだけ。
で、この作品はなかなか良いデキという評判を得て見に行った次第。

前半から中盤、大半が会話劇でありまして。必用以上にドラマチックな展開や大きな動きはありません。舞台背景ならではの地味な感じ。
しかもその当時の会話であり言い回しが登場するので、内容が手に取るように伝わるかと問われたら 正直しんどいところ。
できれば通訳か字幕が欲しくなるような(苦笑)

そんな中、原田、香川、荒木など、登場人物の名前がシンプルだったのが救い。おかげで人物を追いつつ、ストーリーも追うことができた点はあります。

そして訪れるクライマックス。
雪山での殺陣のシーンがそれなんですが、いやはや〜これがなかなかカッコよかったんですよ。
誰も足を踏み入れていない深雪の上に駆け込みながら、刀を振り回す様。シビれましたですねぇ。

言ってしまえば ありがちなチャンバラですよ。1人対多人数でありながら、一斉に飛び掛ってはいかないですし。
そういうリアリティも乏しいし、血しぶきが飛び散る事も無いのでエンターテイメントとしても弱いのかもしれない。

でも歩くのすら疲れてしまいそうな雪の中で、バタバタと闘うその姿。ひと目で寒さが伝わってくるような過酷な雪山の中での息使い。
そういったパーツを含んだ映像には、これでもかーと情熱が詰まっておりました。

さらにこの作品、全編通じてBGM、音楽というのが全く使用されておりません。そこで唯一流れるのが太鼓の音色。これがまた雰囲気を高める役割り、果たしておりました。

あとは時代劇を多く経験してきたベテラン役者の皆さんの存在感。効いてましたね。
若い人たちは所々で雑なトコ?荒っぽいトコ?も見られましたが(苦笑)

結果的には思いのほか満足のいく仕上がりで。なかなかオススメとまでは言いにくいのだけれど、愛すべき作品であることは間違いありません。
少なくともわたくし的には「いいもの見た」と感じられるものでありました。

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蠢動という字は、三人日虫虫重力と書きます
posted by 味噌のカツオ at 22:46| Comment(0) | TrackBack(0) | サ行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月15日

そして父になる

是枝裕和
福山雅治、尾野真千子、真木よう子、リリー・フランキー
ひとり息子が自分の思うような子に育っていないと不安を感じる良多。そんな良多と妻・みどりの元に病院からの連絡があり、息子が出生直後に他人の子どもと取り違えられていたことが判明する。
血のつながりか、これまで過ごしてきた時間かという葛藤の中で、それぞれの家族の心は揺らぐ…

6年間大切に育ててきた息子が病院内で取り違えられていた他人の子どもだった…というケース、実際にあるようですね。
その当事者となったら いったいどんな心境になるのか、またどんな行動を起こすのか。想像もつかんわ。
なにせ わたくし、独身・子ども無し・一人暮らしなもので。

そんなことはさておき、是枝監督はこういったテーマに着目するのが上手いなという印象。と同時に、子どもたちを撮るのも上手ですよね。
近ごろでは いわゆる“子役”のレベルも確かにアップしています。でも是枝監督の場合、子どもに演技をさせるというよりも、ホントにナチュラルにフィルムに納めていかれます。
しかも一人じゃなくて複数の子どもたちをね。

ノウハウというか手法があるんでしょうが、それにしても演技とドキュメンタリーの境い目あたりをいってるのが絶妙です。

上手いと言うなら 子どもたちの両親を演じた4人も見事。
個人的にはざっくりとしたママの真木よう子はかなりのリアリティ。「あ〜こんなママいるいる」ですよ。

そんなハッキリとした わかりやすいキャラクターは良いのだけれど、それが あまりにもステレオタイプな印象も。
福山雅治が演じたのは自分が考えたレールに子どもを乗せ、とことん思ったような教育を強いるパパ。さらには他者(大人)とのやりとりに於いても、自分の信じたやり方を押し付けようとするエリートサラリーマン。
一方のリリーさんは、子どもたちをのびのびと遊ばせ、また彼らと同じ目線で生活することを知っている3児の父親。

おそらく多くの方が前者のサラリーマンよりも、後者の電気屋さんのが付き合いやすいし 子どもだってなつくだろうなと思いますわね。その設定が結構ベタ過ぎな気がして。
欲をいえば、そこに何がしかの意外性があった方が もっと人間味が味わえたんじゃないかな。そこまで求めちゃってはやっぱ欲張りですかね?

でも そんなクールでドライなパパが「自分のやり方は間違っていたのか?」と、少しづつ変化を見せていくのがこの映画の肝だからねぇ。
ベタだけど それが全てなんかな。

ともかく当然ながら後半はそういった流れになっていくわけですが、正直わたくしにはストレートに響いてはこなかったなぁ。
なんかウソくさい〜などと言っては元も子もないんだけれど、こういうタイプの大人って そう簡単には変われないからね。
もちろんきっかけなんかはあったとしても、あんなカタい大人が変わっていくのは時間をかけていってじゃないと。本当の意味で変わることできないですよ。
厳し過ぎる見かたかな?(苦笑)

さて、じつはわたくしがこの映画で最もショックだったのは法廷のシーン。取り違えの真相が語られる場面。
生まれたばかりの赤ちゃんを取り違える 病院側のミスがあったのかと思いきや…「えぇーっ!!」ですよ。

たとえ時効とはいえ、これはこれで大問題じゃん。
いや〜時効になっているから何も無しでなくって、そのケースだけで一本映画できそうなんだけど。

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苦、そして父になる
posted by 味噌のカツオ at 01:47| Comment(0) | TrackBack(0) | サ行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月02日

地獄でなぜ悪い

園 子温
國村 隼、堤 真一、長谷川博己、二階堂ふみ、星野 源
池上組との抗争を繰り広げる武藤組。組長の武藤は妻の出所祝いに、娘・ミツコの主演映画を企画する。
その企画に巻き込まれた通りすがりの青年・公次。そして公次に引き寄せられた映画マニアの平田らが集い、事態はとんでもない方向に展開してゆく。

過去いくつか園監督の作品も見ていますが、今回はバラエティーに富んだ 豪華なキャスティングが実現しております。
さらには紹介されているストーリーも、コメディとして魅力を感じるものになっており、思いのほか多くの観客が足を運んでいるように思いますね。
ただし一見そうは思えたとしても、あくまで監督は園子温。独特のアプローチで物語は展開していきます。

正直 あまりにムチャクチャでバカバカしいお話であり、出演者の演技もかなりなものなので、キャストやストーリーだけに惹かれて来た客や、過去に園監督の“洗礼”を受けていない人たちからすると「なんじゃこりゃ!?」と思うかもしれません。
もちろんわたくしは園監督の作品も好きですから、この世界観もすんなり受け入れられました。いや むしろ大好物なぐらいですよ(笑)
タランティ−ノが好きな方、北野武のバイオレンスが平気な方であれば大丈夫でしょうが…

その園監督。近年は 実際にあった事件や事象に着想を得たオリジナルストーリーを作っておりましたが、今作に登場するエピソードの元にあるのは なんと監督自身の経験だそうで。
とんでもない映画のゲリラ撮影隊も、ヤクザの娘に巻き添えを食っちゃう青年も自身がモデルなんだとか。

正直 あまりにムチャクチャでバカバカしいお話なんだけど、監督の実体験というリアリティに裏打ちされた部分もあるそうで。
それぞれ別のエピソードを、絡め絡めてひとつの物語に合わせてあるので カオス度合いは確かに高いけど、同時にものスゴいパワーとかストレスを解き放っているような印象もあります。

街の不良のケンカをフィルムに納めるという初期衝動を手にした高校生が、数年後にヤクザの殺し合いを撮影する機会に恵まれるというスペクタクル。
別のアプローチではあるがCMアイドルの少女に魅了された男たちの邂逅。そして身代わりとなった愛する妻に向けた男の仁義。

いろんなのがゴチャゴチャに絡み合うなかで、夢とか希望とか愛だとかもミックスされて到達する至福の時。
いや〜もぅ泣けたね〜。ここまで突き詰めちゃうと泣くしかなかった。美しかった〜(笑)

もちろん真っ当な感覚でちゃんとした映画を見たい人からすれば「なんじゃこりゃ」にしか見えないかもしれない。タイトル通りにとれば地獄絵図かもしれない。
でも無駄な人間はひとりもいない。全ての人間が意思をもって“映画作り”に邁進するという光景はとても美しかったですよ。
時には公的権力の妨害が迫るかもしれない。それでも、たとえ打たれてたとしても貫いて、人生で最高の一本を作り上げる。
これはものづくりをする人にとっては最高のエクスタシーなんじゃなかろうか。
そんなことを伝えてくれる映画なのかなと思いました。

堤真一と長谷川博己のエキセントリックな演技も見ものですが、やはり國村隼さんの存在感は素晴らしかったですね。
さて、正直言って通りすがりに巻き込まれる公次は いなくても成立するようにも思ったのですが、それよりも情けなオーラをまとった星野源という役者は魅力あるんだよなぁ。
現在は病気で休業中らしいのですが、ふたたび…みたび、カムバックを待っております。
posted by 味噌のカツオ at 20:35| Comment(0) | TrackBack(0) | サ行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月31日

三姉妹 〜 雲南の子

ワン・ビン
標高3,200メートル。雲南地方の村に暮らす3姉妹。母親は家を去り父親も出稼ぎで不在なため、近くに住む伯母さん家族やおじいさんの手伝いをする代わりに食事を分けてもらう生活。
ワン・ビン監督が そんな彼女たちの日常を追ったドキュメンタリー。

これは一見すると とても退屈な映画…と言えるのかもしれません。

ナレーションは無し。会話の字幕こそあれど、状況を説明するような説明も最小限。
ただただ延々とそこに流される映像を眺める観客。

さらに言うなら、生活する最小限のものが存在するだけで、娯楽とか余暇とか そいういった概念のものは皆無。
一見すると とても退屈な映画…と言えるのかもしれません。

ところが、そう見えて実は…ということもありません(笑)
ホントに小さな小さな村の、小さな小さな少女の日常を追っただ、それだけの映像なのです。

ファーストシーンから見ていて「こんなところで暮らしているの?」「そんな靴履いてるの?」「服変えないの?」「それが寝床なの?」などなど。
自分が思ってた以上に‘以下’の暮らしをしていることに驚きました。

でも時が流れていくうちに、何か「これが当たり前」的な感覚も出てきまして。
初めは「こんな場所でホームステイなんて、無理だよぉ」とか言ってたのが、次第に慣れてきちゃうようなね。
やがて彼女たちの日常に すぅーっと馴染んでるような気になったりして。唯一、小屋の中から無数の ヤギだかヒツジだかがゾロゾロ出てきたときにはちょっと驚いたけど(笑)

あらためて思うのは人が目にする‘映像’にはフィクションもあればドキュメントもあります。
本来であればドキュメンタリーってありのままを伝えるもの…と思うんだけど、結局 ナレーションや編集次第でボクたちの意識を引っ張っていってたりするんだなと。されていたんだなと。

それらと比べてこの作品は、やはり意思を汲み取りにくいのですわ。
あまりにも ありのまま過ぎちゃって。例えば こんな暮らしをする人々に手を差し伸べない政府が憎いとかそういうのもなく。
これが楽しそうとか、ワクワクするとか。あえて言うなら、意思を汲み取りにくいってかな。

それでも、唯一 みんなで食事をする場面には あたたかみを感じたかな。
でもそれだって、人がいることのあたたかみなのか、一人でほおばるジャガイモとの比較なのか、光に映る湯気や息の加減なのかはわからないんだけど。

結局これは とても退屈な映画…と言えるのかもしれません。
でも偏りすぎた意思だとか悪意だとか。そういうのを見せられることを考えたら、とてもピュアで美しい映像でした。

撮影当時、長女・英英(インイン)10歳。次女・珍珍(チェンチェン)6歳。三女・粉粉(フェンフェン)4歳。
この子たちも時間とともに成長していくんだろうけど、はたしてどんな大人になるんだろうか。いや〜どうもこうも、ありのままでいいのかもしれないよね。

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ゴメン、正直 弟たちと思ってた(苦笑)
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2013年07月29日

スタンリーのお弁当箱

アモール・グプテ
パルソー、ディヴィヤ・ダッタ、ラフール・シン
クラスの人気者スタンリーは、家庭の事情によりお弁当を持ってこられず、教室をそっと抜け出し、水道水を飲んで空腹を我慢していた。
しかし彼を見かねたクラスメートたちは、自分のお弁当を少しずつ分けていた。ところがそれを見つけた教師が「弁当を持ってこない生徒は学校に来る資格がない」と叱りつけ教室から追い出してしまう。

わたくし お弁当、大好きです。お弁当の中には小さな世界が、宇宙が広がっていると言っても過言ではないでしょう。
いや、ちょっと言い過ぎた。

でも蓋を開ければそこにどんな ごはんがあって、どんなおかずが、どんな色彩が、そしてどんな味わいが…
やっぱり宇宙ですよ(笑)

日本では古くから ごはんと梅干の日の丸弁当なんてのがあったり、今ではコンビニや持ち帰り弁当のチェーンがあったり。それはそれで種類も豊富。
でもこの映画の中に登場するインドの子供たちのお弁当ってのもね、文化というか特色があって興味深かったですよ。

小学校の低学年ぐらいなのかな。日本であれば小っちゃくてかわいくて。どうかするとキャラ弁とかもありそうだけど。
ここに登場するのは肉体労働者向けのランチジャーみたいのに アルミ製の器がいっぱい入ってて、中にはカレーはもちろん、様々なおかずがいっぱい。
へぇ〜小学生で毎日こんなの食べてるんだと思うと幼少時代をインドで過ごしたかったなとか思ったり(苦笑)

まぁそもそも日本では給食というシステムが確立されてるので、このような食文化、そしてこの映画のようなストーリーは難しいだろうけど。

さて この映画、通常の作品とは違って 子供たちの学校の休みの度にワークショップをする中で撮影していったという異色作。
一般の子役ではなく素人の子供たちがその対象だったということですが、その分のイキイキした表情がよい意味でフィルムに残っていると思いました。

ただ 他の教師の弁当を盗み食いし、子供たちの弁当を搾取することを生甲斐にしている教師という存在が全く理解できなくて。
しかもその教師が「弁当を持ってこない生徒は学校に来る資格は無い!」と言い放ち、主人公の少年は学校に行かなくなるという展開。

なんだかあまりにリアリティを感じられなくてちょっと醒めちゃったわ。
せっかく魅力的な子供たちや おいしそうなお弁当が出てるのに、そこだけ学芸会以下な設定に思えてしまって。
あの教師の存在によって、台無しと言っても過言ではないでしょう。
いや、ちょっと言い過ぎた(笑)

最後にもうひとつ。
じつはその悪い教師がこの作品の監督で、主人公の少年は監督の御子息らしいじゃないですか!それにビックリだ!!
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2013年03月31日

シュガーマン 奇跡に愛された男

マリク・ベンジェルール
ロドリゲス
1970年代、2枚のアルバムをリリースするも、商業的な成功を得ることなくひっそりと消え去っていったロドリゲス。
しかし彼の残した作品は人知れず海を渡り、アパルトヘイト下の南アフリカで革命的な大ヒットとなる。
なぜに南アフリカでロドリゲスの作品が受け入れられたのか?そして彼はどこへ行ってしまったのか?

製作国はスウェーデン・イギリスとされていますが、舞台となっているのは南アフリカ。
2010年3月、「第9地区」に「インビクタス」と南アフリカとアパルトヘイトがテーマとされた映画が立て続けに公開されていました。

とても遠い国の話であるし、過去の歴史の物語でもあるのですが。わたくしの知るレベルであれ 当時のアパルトヘイト・人種差別・経済格差などを鑑みると、より面白く見られる作品でありますね。
抑圧された人々が「シュガーマン」などの曲を口ずさむことで思いを共有し、機運が高まり…すなわち革命の原動力になったんだと。

今の時代、ネットやツイッターを介して人が集まり‘●●革命’みたいな運動も起こるんだけど。
個人的にはですよ、どこかに野次馬根性みたいな 面白そうだから行ってみよう的な‘ライト感’も覚えるんですよね。寄せ集めとも言えるかな。

一方で反アパルトヘイトって日本で見受けられる‘●●革命’よりも根深い問題であっただろうし。
そしてここに登場する 意思を共有する音楽というのは、言わば‘お経’みたいなもんだと思うんですよ。より思想に直結しているような。
単なる流行歌・ヒットソングとは違って、国歌とも違って、人々の中に根付いた作品だったんでしょう。

それだけ影響力の大きな音楽が、異国・アメリカで しかもまったく注目もされることのなかったモノであるということが何よりも滑稽な話で(苦笑)

南アフリカどころかアメリカに於いても誰も知られていないミュージシャン・ロドリゲス。
彼はいったい何者なのか?(死亡説もあるなかで)彼は今も生きているのか?

大半が証言者のインタビューなので、言葉を受け止める集中力が必要だし。正直言って映画として グイグイ引き込まれた風ではなくて。後半も怒涛の展開というより、ゆったりと物事か動いていく感じ。
ただ ゆったりとでありながら、そのうねりはとてつもなく大きなもので。映画を見ながら そのグルーヴに乗っかって押し上げられていく印象が たまらなく心地良かったですね。

これは間違いなく奇跡的なエピソードではあるんだけど、そこにいるのは神でもなければ 偉大な指導者でもなく。ホントに等身大のひとりの男であったというのが素晴らしい。
そんなジワジワと心温まるドキュメンタリー。見てよかったです。

原題は「SEARCHING FOR SUGAR MAN」。直訳で「シュガーマンを探して」となりますが、実は「シュガーマン」というのは曲名でありまして。
実際に探すべき対象は ロドリゲスというミュージシャンなのでげす。

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「サトウさんを探して」
posted by 味噌のカツオ at 12:36| Comment(0) | TrackBack(0) | サ行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月04日

ジャンゴ 繋がれざる者

クエンティン・タランティーノ
ジェイミー・フォックス、クリストフ・ヴァルツ、レオナルド・ディカプリオ
元歯科医で賞金稼ぎを生業にするシュルツは、今回のターゲットを知っているという黒人奴隷・ジャンゴと出会う。その標的は かつてジャンゴから妻を奪い去った憎き相手。
ジャンゴはその復讐心と 生き別れた妻との再会を果たすべく、命がけの旅に出る。

今年のアカデミー賞に作品賞などにノミネート。結果 タランティーノが脚本賞。シュルツ役のクリストフ・ヴァルツが助演男優賞を受賞しました。
そんな評価がどうであれ。。。

タランティーノ好きなわたくしとしては大満足の一本でした。
もはや世間の評価は関係ないのだな。タランティーノ監督が‘らしい’作品を作り上げてくれたことが嬉しい と(笑)
タラ監督はこんなテイストの、こんな表現のものしか撮れないのか〜という輩もおるかもしれませんが、ファンとしたらソレに痺れるし ソレがカッコイイと思ってしまうんだわ。

1960年代に量産された西部劇。が その当時には黒人のガンマンなんて発想は無かったんじゃないじゃないかな。
まぁどんなシチュエーションであれ、タラ監督の手にかかれば それ相等の世界観に仕上がっていくわけでありまして。

徐々にネタバレ含む話になっていきますが。。。
まずは冒頭、ツカミのところでズッドーン!というのがあり、中盤はヒリヒリするような会話劇。この‘役を演じながら’の駆け引き、騙し合いというのが意外とわかりやすくてね。
何だか あの食事の席を共にして、一緒にドキドキしたような思いですよ。

そして突如始まる銃撃戦。そぅ、コレがなくっちゃタランティーノじゃないですよ〜というやり過ぎ感。
この中で重要な登場人物が命を落とすんですが、その際の溜めの無さったら。普通の映画ならもっと もったいぶった演出にするだろうに、ここの展開は一気呵成。その分のインパクトあります。

わたくしが一番 やられたのは その後の場面。
ふたたび奴隷とされ運ばれていくさ中、口八丁で見事立場を変え、銃を受け取った瞬間のズドーン!ですよ。
ホントに油断してたときにきたので、なんかわからんけど一気に涙があふれてきて(笑)
そして彼女の元に駆けつけ「俺だ ベイビー」。これ もぅ最高のヒーローでしたね。超感動!!

そんなベタベタなヒーロー像を作り上げるのも、タランティーノ流の味付けがなされてるから、より印象深いんだろうね。
もちろんラストにはドカーン!と大爆発で。フルコースごちそうさまでした。

アカデミー助演男優賞のクリストフ・ヴァルツは前作の「イングロリアス・バスターズ」でもランダ大佐役で同賞を受賞してまして。タランティーノ作品とは よほど相性がいいんでしょうか。
主演のジェイミー・フォックス、怪しげな奴隷頭のサミュエル・L・ジャクソンも印象深いけれど、思いのほか良かったのがレオナルド・ディカプリオ。

正直 彼の場合どんな作品でも どんな役柄でもレオ様っぽさが付いて回ってね。いつまでも「タイタニック」の好青年でもないと思うんだけど。
が 今回演じたのが初の悪役だそうで。良い意味でいやらしさ、胡散臭さ、傲慢さがマッチしてたんじゃないでしょうか。
この人、基本は悪役顔だと思うのはわたくしだけかいな?

全体を通じて、所々に入ってくるスローの演出が個々の場面を印象的なものにしています。
一方で エグい描写もインサートされてるし、血しぶきもバンバン飛びまくるし。決して万人受けはしないでしょうが、お好きな方には このクールさとクレイジーさがサイコーな作品です。
タラちゃんバンザイです(笑)

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サミュエルのヘアスタイルに注目(笑)
posted by 味噌のカツオ at 23:13| Comment(0) | TrackBack(1) | サ行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月03日

ゼロ・ダーク・サーティ

キャスリン・ビグロー
ジェシカ・チャステイン、ジェイソン・クラーク、ジョエル・エドガートン
アメリカ同時多発テロ事件の首謀者とされるオサマ・ビンラディン。その捜索チームに 人並み外れた情報収集力と分析力を誇るCIAアナリスト・マヤが加わる。
捜査が行き詰まる中、同僚たちが自爆テロの犠牲となって命を落としてしまう。それを機に マヤの中の何かが一線を超えていく。

2001年9月11日に発生したアメリカ同時多発テロ事件から、10年後の2011年5月2日のビンラディン暗殺までを映画化。

歴史の1ページを…とはよくありますが、まさに近年の出来事を、このようなカタチで映画にしたというのは これまでなかったですね。
実際に企画が始まったのは、ビンラディンが殺害される以前だったとか。それがあったことで、脚本も書き換えたという、それぐらいの近代史なんですな。

この国際的なテロ犯罪の首謀者を追い詰めていったのが、若き女性分析官というのも意外でした。
そのストーリーをに挑んだのは、かつて「ハート・ロッカー」でアカデミー監督賞を受賞した女性監督・キャスリン・ビグロー。

いずれも男性優位の世界の中で活躍する女性ですが、だからといって あまりそういうことを意識する要素はなかったかな。
映画としてのエンターテイメント性よりも、そこで起こっていた出来事を、着実に淡々と映像化していった印象。
ただし約2時間40分という上映時間の前半は、ヤマ場もなく若干退屈かも。

が 同僚の女性が自爆テロに巻き込まれたところから、マヤの雰囲気も変わりグッと緊張感も高まりました。

全く手がかりのない中、どのようにして その居場所を特定していったのか。ホントに危険と隣り合わせながらの粘り強い捜査は見応えアリ。
そして突入に至るまでの長い長い日々と 登場人物それぞれの思い。またビンラディン殺害後の行動についても、見るべきものがありました。
ただの殺害だけでなく、資料を押収し、墜落したヘリをその場で爆破。報道だけではなかなか伝わってこない そのような一面がね。

そんな物語を駆け抜けて、ラストシーンにマヤが見せた表情。これを どう受け止めればいいんだろうか、何を考えればいいんだろうか。
それは彼女の表情でしか汲み取ることはできないし、見た人によって感じ方も様々なんだろうね。

おそらく、彼女の使命としてはビンラディンを追い詰めていくことなのは確かで。国×国という面で、その作戦を遂行するのがCIAのマヤの職責だったのでしょう。
が 前述の通り、同僚が殺されたことで 彼女の執念というべきか、ある種の私念もそこに加わっていったように思います。
一度に5,000名の命が奪われた過去より、身近な存在の命の方が 突き動かされるものがあるということですかね。

そのうえで。突如目の前に現れて、家族の命を奪っていった異国の兵士に対して、あの子どもたちは何を思うんだろう。
もしかしたら、新たな‘復讐心’を植え付けたということかもしれないし。
その連鎖を生んだだけのことかもしれないわけで。。。

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深夜0:30を指す軍事用語が「ゼロ・ダーク・サーティ」
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2013年03月01日

世界にひとつのプレイブック

デビッド・O・ラッセル
ブラッドリー・クーパー、ジェニファー・ローレンス、ロバート・デ・ニーロ
妻の浮気が原因で心のバランスを崩し、すべてを失ったパット。実家で両親と暮らしながらリハビリ中だった彼が、近くに住むティファニーと出会う。彼女もまた 事故で夫を亡くし、心に傷を負っていた。
そんなティファニーは希望を取り戻すためダンスコンテストへの出場を決意。半ば強制的にパットをパートナーに指名する。

タイトルに‘プレイブック’という言葉がありますが、日本人にとっては それが何を意味するのか、瞬時にはわかりかねますね。
辞書によれば「脚本集・戯曲集」「アメフトのチームのフォーメーションを図解したノート」とのこと。

実際、ストーリーの中にもアメフトが絡んできますので、後者ニュアンスで考えれば良いのかな。
ゲームに勝つためのノウハウというか、攻略本とか…それだとゲームっぽくなっちゃうか。
でもそういうことらしい。

正直言いますと、なにかハッキリとはわからんかったのですわ。いろんなことが。
心がバランスを崩してエキセントリックな行動を取ってしまう人って、今の時代 決して少なくはないんでしょう。かといって「身近におる」という人が多いとも思えないし。
どこまでが滑稽な行動で、どこからが笑えない状況なのか…

そしてアメフトというスポーツが日本ではメジャーでは無いため、その昂揚感もストレートには受け止めにくい。
ダンスの経験者じゃない主人公・パットが、どれぐらいの努力を重ねたのかは描かれていない。
「より高く」とはニューヨークの〜とか言われても さすがにピンとこない。

時に説明じみてたり、時に丁々発止やりあう会話の妙味も、セリフが多くて(字幕の展開も)早いものだから 大雑把にしか理解できなかったかな。

全般的に ハッキリとはわからないんだけど、ザックリとはわかるものだから、その点でラストシーンだけはグッとくるものがあったりなんかして。
起承転結・積み上げられた感動じゃなくって、ラストの点だけの感動。なんか しっくりこなかったんよね。

感情という部分は世界共通なんでしょうが、そこに至るまでのキーワードが共感を得ることができなくて。
決して悪い作品とは言わないけれど、どこか日本人には合わない作品って気がするかな。ライフスタイルとか、そういうレベルでね。

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続編は「プレイブック PART2」で
posted by 味噌のカツオ at 00:39| Comment(0) | TrackBack(0) | サ行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする