2017年01月31日

ザ・コンサルタント

ギャヴィン・オコナー
ベン・アフレック、アナ・ケンドリック、J・K・シモンズ、ジョン・バーンサル
田舎町のしがない会計士クリスチャン・ウルフに舞い込んだ、大企業からの財務調査依頼。彼は重大な不正に気付くが、なぜか依頼は一方的に打ち切られる。
その後 何者かに命を狙われるウルフ。 実は彼は、世界中の危険人物の裏帳簿を仕切る裏社会の掃除屋でもあった。

原題は「THE ACCOUNTANT」。意味は会計士。そして邦題の「THE CONSULTANT」は顧問や相談役となるんだけど。
確かに日本人としてイメージしやすいのは後者ですわな。
この邦題の付け方、絶妙だね(笑)

あらすじを読んだ時点では、一見 なんの変哲もないイチ会計士が、夜な夜な裏社会の悪を退治していく的な。よくあるストーリーだと思ってました。
ところが見た人の感想をチェックすると、どうやら そんな単純な感じでもなさそう。
気になって見てきましたが、確かにこれは面白かった。

イメージとしては表の顔と裏の顔を使いわける“密かなスーパーマン(バットマン?)”だったんだけど。じつは あらすじ上には書きにくい主人公の設定がありまして。
それは主人公が“高感度自閉症”というもの。

冒頭の映像からすると「障がい者を変に描いてる」と受け取られかねないかな。
でもそうではなくて。

高感度自閉症、知的障害、多動症、アスペルガー、etc…
それぞれ特徴、特性は違っていて。

高感度自閉症は他者とのコミュニケーションが苦手であったり。その反面 何かに秀でた才能を持つ者も多かったり。
この主人公でいうなら 数学についてであったり、芸術のセンスに特化しておられるのかな。

戦闘能力については、完全に仕込まれたもので。それは兄弟して あの父親の血を受け継いでいる証なんだろうけど。

この作品の面白味は とにかく謎が多いこと。そして それらの伏線を確実に回収していくことで得られるカタルシス。
プラス、まさに意外な真相もそれに拍車をかけております。

ただし、その謎要素が複数すぎて(苦笑)
また提示の仕方として時間軸や相関図が やや複雑で。
その辺り 注意深く追っていかないと大変かも。

終盤には銃撃戦もあります。そもそもコミュニケーション力が乏しいせいか、“情”を感じさせずズバっと撃つシーンなんかも。
でも それらの殺人スキルのアクションがメインではなく、人間ドラマとして楽しませる作品。

映画ファンであれば満足度高いんじゃないかな。
監督自身は続編の製作にも意欲的らしいし。
こんな作品であれば、続き見てみたいね。

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モハメド・アリも発達障害だったそうな
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2017年01月29日

ねぼけ

壱岐紀仁
友部康志、村上真希、入船亭扇遊、秋山勇次
噺家の三語郎は、真剣に落語と向き合わず、飲んだくれてばかりのだらしない毎日を送っている。ついには弟分の恋人に手を出し 最悪の事態に。
苛立ちを募らせた三語郎は、彼の成功を願っていた恋人の真海を傷つけてしまい、彼女は姿を消してしまう。

落語をテーマにした映画というのもチョイチョイ存在しますが、意外と見てきていなかったなと。
いわゆる人情噺「替り目」をモチーフに、映像作家・写真家として活動する壱岐紀仁が長編初監督。

主演は監督とは公私ともに交流のあった友部康志。
言い方は悪いが デブでブサイクで、落語は好きだが芸として真剣に向き合うことなく。その苛立ちを酒で誤魔化すという。そんなキャラクター。

落語のネタに出てくるダメな男って、それでもどこか憎めなかったり、しょうがねぇなぁ感があったりしますが、この三語郎というヤツはそれすらも無く。
なんだか ジトーっと、イヤーな感じでストーリーに付き合わされまして。

それまで三語郎の成功を信じ、何があっても彼をサポートしてきた恋人の真海だったが、三語郎が彼女の心の拠り所であった“あるもの”に手をかけたことで、ついに愛想をつかして故郷に戻ってしまいます。

こんな どうしようもない男ではあるが、そこに手を差し伸べるのが師匠の仙栄亭点雲。
しかも芸でもって それをするというのがまた良かったですね。

紆余曲折あり、三語郎と真海はふたたびよりを戻すわけですが…

落語の映画ですので、実際に落語を聞かすクライマックスがあるわけですが。
いくらか そこに至る展開は唐突な気もしましたが。

それはさておき、その落語のシーンは、さすがに泣けましたね。

本来 寄席で見る落語は楽しむこと、笑うことを期待しますが。落語とはそれだけでもないんだね。
いやいや、十分に笑わかせつつ 涙を誘う人情噺という。これも落語の芸のひとつです。

映画の中でそれを見せる場合、芸が弱くては映画としての説得力も無くなる危険性あるんだけども。
もう十分でした。素晴らしかった。

それを役者として演じて見せた友部康志がお見事でした。

ただし映画として ちょっと欲を言うならば、せめて前半部だけでも いくらかの笑い、ユーモアが欲しかったね。
せっかく落語を取り扱う映画なんだから、そういう要素があった方がより楽しめたかと。

はっきりと理解することができなかったんだけど、人の魂は海に帰るという神話があるんですかね。
それと同じく、ワカメの入った味噌汁という海に魂に見立てた卵がありや…なしや…と。

安易な受け止め方だったらごめんなさいね。。。

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女房の鏡
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2017年01月28日

沈黙 -サイレンス-

マーティン・スコセッシ
アンドリュー・ガーフィールド、リーアム・ニーソン、窪塚洋介、浅野忠信、イッセー尾形
17世紀、江戸初期。幕府による激しいキリシタン弾圧により、宣教師フェレイラが捕らえられ棄教したとの知らせを受け、弟子ロドリゴとガルペは、マカオ経由で長崎に潜入。弾圧を逃れた“隠れキリシタン”たちと出会う。
しかし幕府の取締りは厳しさを増し、ロドリゴたちも捕らえられてしまう。。

原作は遠藤周作の小説「沈黙」。そして監督は「ウルフ・オブ・ウォールストリート」「シャッター アイランド」などの巨匠マーティン・スコセッシ。
江戸時代初期の日本に於けるキリスト信仰がテーマ。

チラシには『「人間にとって本当に大切なものとは何か」を描き出す渾身の超大作』とあります。
宗教・信仰ということをそこに置きますと、難しいものではありますね。ぶっちゃけ。

ちゃんと勉強をしてこなかったわたくし。
それらの歴史的背景も、遠藤周作の伝えたい思いもわからないところで 素のまま感じるしかないのですが。

何かを信じることは尊いことではありますが、自身の思いと相反するものを封じ込めるのも違うとは思います。
今のトランプ大統領の行っていることも やはり眉をひそめてしまう部分はありますが。

でもトランプ氏のやってることは政治であって。宗教やそういう類での弾圧とはまた意味合いが違ってきてしまうかな。

結局 人それぞれが“オレ様教”という言い方もアリなわけで。
自分はキリスト教を信じる。日本人は仏教だ。いやイスラムだって。
あるいは キチジローのように神に背くようなことをしつつ、その都度 告悔(こっかい・自分の罪を告げること)を繰り返しては、みそぎをしてOKというのもそれな気がする。

なんとなくだけど、この作品は そのいずれも否定はしていないのかな。
場合によっては 己の中の信仰こそと唱えているようにも。

たとえばキリスト教の宣教師が日本で拷問にあうという、単純に“イイもん”と“ワルもん”を配した方がわかりやすいわけで。
決して それだけをクローズアップした作風でもないので、エンターテイメントとしては物足りないかもしれない。
バランスが良いとも言えるけど、悪く言うと“無難”なおさまりでもあるわけで。

んで最終的にはね、誰にも心根を告げず、自分の中にだけ信じたものがあったという意味で“純愛”という言葉を使ったら安っぽくなるかな?

製作国はアメリカ。日米の合作というカタチではありませんで。
日米 多くの役者さんが登場しておりますが、ひと昔であれば このような場合、日本人キャストが弱かったり 超・大根だったりしたもんですが。

日本人キャストがいずれも良かったですね。
まぁ海外の作品で活躍されてる方も多かったけどね。

浅野忠信さんは十分に怪しさ纏ってたし、イッセー尾形さんも飄々とした威厳を見せつけてくれましたし。
塚本信也さんらの海での拷問シーンは…ガチだよね(苦笑)

そんななかで窪塚洋介さんの存在感は異質で。だからこそ光っていました。

特筆すべきは時代劇としての描写も素晴らしく、衣装や江戸の街並みも 違和感なくアラもなくで。
聞いた話では 多くのシーンが台湾で撮影されたとのこと。
台湾にあのセットこしらえたんかね?

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隠れ仕切担
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2017年01月24日

無垢の祈り

亀井 亨
福田美姫、BBゴロー、下村 愛、サコイ、三木くるみ
学校でいじめを受ける10歳の少女フミ。家庭では義父に虐待され、母は新興宗教にのめり込み…。彼女には心が安らぐ場所はなかった。
自分の住む町で連続殺人事件が起きていることを知ったフミは、ある思いをもって その犯行現場を巡っていく。

あらすじを読めば 苦しい世界観であることは想像がつきます。
そして過激な内容ゆえ、自主製作での映画化という経緯を聞いて、また興味を持ったんだけど。

ただ そういう触れ込みの作品って、ホントに安っぽくて見るに堪えないクオリティの出来栄えがあることもしばしば。
しかし今作は、上記とは違った意味で。真っ直ぐに見るに堪えない映画でしたね。

主人公は10歳の少女(撮影時、本人は9歳だったとか)。

いじめの場面こそないものの。
義父からの虐待。母親の信仰。全てのオトナのクソっぷり。
ラーメンの食べ方。顔に残った痣。
そして 髪の隙間から放たれるまなざし。

全てが突き刺さってきました。

映画ですから。お芝居ですから。
どんな映像だって それはそれなのだが。

現実問題9歳女児に対して極端な“表現”をさせるのは、それはそれで児童ポルノ的な問題も発生するので限度がありましょう。

ただし、直接な行為ではなく。
彼女によく似た人形が登場するのだけど。
それがまた…違う生々しさを纏っていて。

見る側からすると、あれは余計にキツかったかも。

ホントに人形が生命をもっているような表現力で。
んで その人形を操っていた“黒子”さんは監督の奥様だとか。
そうなのか。

そんな少女の姿。
殺人鬼。鉄のガーン ガーンという音。
嫌なもの、不快な音。
彼女が救いを求めたもの。

それらを並べられて 我々はどう受け止めるべきなのか。
言葉を無くしてしまいそうですが。

嫌なものを見てしまったという思い。
すなわち それは映画のデキとしては素晴らしいのだが。

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イタイアイタイ
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2017年01月23日

新宿スワンU

園 子温
綾野 剛、浅野忠信、伊勢谷友介、椎名桔平
新宿バーストの勢力拡大のため横浜へ送り込まれたスカウトマンの白鳥龍彦。しかしそこは横浜ウィザードのタキが支配する、難攻不落の王国だった。
警察やヤクザとも裏取引をするタキの謀略で窮地に追い込まれる龍彦たち。やがて新宿と横浜は全面戦争へと突入していく。

中心のキャストは前作そのままで製作された続編。
新しく追加となってるキャストも意外と豪華な顔ぶれで。

その前作から約1年半で公開というのは 余程1作目の手応えがあったのか。けっこう早いスパンに思えますね。
映画のテイストそのままに、勢いを感じるのも確かですが。

あえて言うなら それだけ早い分、作り込みが弱いのは否めない。

確かに1作目は思いのほか作品のパワーにあふれてて。イケイケ的に面白かった印象は残ってます。
ですが今回は、その良さがずいぶんと薄まってたなぁ。

前作の良さってアツくて 時におバカで 純真な龍彦のキャラであり、それを演じてる綾野剛も良かったんだけど。
今回はキャストが増えて龍彦の真っ直ぐさに焦点が当たりにくかったこと。

そしてメインストーリーとなる“新宿×横浜”というのも、観客として 正直のめり込ませる要素にまで高まっていなかったなぁ。

ツッコミどころとしては 広瀬アリスの踊りのダサさが ほぼほぼ罰ゲームレベルでたまらないとか。
あれが勝負の決めてとかだったら驚くが、それほどの重要度ではないのでひと安心。

そして終盤出番のなかった上地雄輔の存在感も謎やったなぁ。
なんなら この人、横浜高校出身じゃなかったけ?(苦笑)

独特の存在感を放っていた浅野忠信と綾野剛のバトルシーンは なかなかムチャしてて面白かったです。二人ともケガとかしていないか心配になったし。

そんなこんなで気になる点もチョイチョイありましたが、見るべきところがなかったとは言いません。
ただし それらが大きなうねりとなって映画としてのパワーを生みだせていたかと言われると、弱かったね。

強いて言うなら もったいないという思い。
得てして続編はパワーダウンしてしまうものですが、やっぱ惜しいなぁ。

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不思議な踊りのアリス
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2017年01月16日

たかが世界の終わり

グザヴィエ・ドラン
マリオン・コティヤール、レア・セドゥ、ヴァンサン・カッセル、ナタリー・バイ、ギャスパー・ウリエル
人気劇作家のルイは「もうすぐ死ぬ」と家族に伝えるため、12年ぶりに帰郷する。
母、妹、兄、そして初対面となる兄の妻。ぎこちない会話に阻まれ、そのことを打ち明けることができないルイ。やがて兄の激しい言葉を合図に、それぞれが秘めていた思いが噴出する。

第69回カンヌ国際映画祭でグランプリに輝いた作品。

主要キャストはわずか5人。
いずれも名のある役者たちですが、単純に“豪華キャスト”とは言い切りにくい。どこかクセあるなあって印象の方が強いかな。

自身の死期が近づいてきていることを伝えるため、12年ぶりに故郷へ帰る主人公。
出発の飛行機で離陸を待っていると、不意に後席の子ども(?)に目をふさがれ…

そして辿り着いた“家”には 近くて遠い母、兄。通じ合いそうだが過去を持たない妹と義姉。
しかしよく見てみると、本当は誰もが分かり合っていないように感じられて。

そこには5人の親族がいるはずなのに、カメラは常にワンショットで。
そんな所からも コミュニティとしての家族ではなく、とてもパーソナルな個の集合体のように思えました。

この映画はこれだけで一応の起承転結の体を成しておるのですが。
全てを語るのは野暮なことと認識したうえでですが。その“起”以前の物語が見えないので、正直 全てを飲み込むのは難しい。

んで、とてもデリケートなテーマでもあって。そもそも論になっちゃうけど、字幕では伝わりきらないよね。
たとえ映像で表情はわかっても、言葉のイントネーションなど、ネイティブでないと伝わりにくいニュアンスはあるでしょう。
昨今では字幕も文字制限があったりして、台詞そのものが ざっくりとしたものにされてしまうわけだし。

基本 会話劇である以上、そういう意味での伝わりづらさは否めないですかね。

実際のところ、兄と弟の間に何かあったのか。
思い出の中の彼女と何かがあったのか。
でもルイはゲイという話もあったし。

本来なら 最も近しい存在として描かれる家族ではあるけれど、近しい存在のハズだからこそ、時として残酷な関係になってしまうものなのかな。
お互いに本心では わかっていながらもね。

命の終わり、イコール世界の終わり。
でもそれよりも家族と向き合うことの方が…

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まさかの♪マイアヒ―
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2017年01月13日

ふたりの桃源郷

佐々木聰
田中寅夫、田中フサコ、ナレーション・吉岡秀隆
還暦を過ぎ、余生を送る場所として 以前暮らしていた“山”を選んだある夫婦。そしてその家族を25年に渡り追い続けたテレビ番組を再編集した映画版。

先日発表になった「2016年 キネマ旬報ベスト・テン」にて、文化映画部門で1位に輝いたドキュメンタリー。
元々は山口放送が自社制作のドキュメンタリー番組として取材を行っていたもので。その都度 放送されていたもの 25年分を、映画版として再編集した作品。

一番最初に少々失礼な物言いしますが。
冒頭に映し出された おばあちゃんの顔立ち、そしてヘアスタイルが なんとなくJBさんに見えまして。なかなかファンキーだなと。
実際のおばあちゃんの元気な立ち居振る舞いは、やっぱりわたくし的にはファンキーに映ったのですが(苦笑)

閑話休題。
戦後間もなく、「自分たちの食べるものは 自分たちで作ろう」との思いから、ふたりは山を切り開き ほぼ自給自足の生活を行います。
しかし 子供たちの成長を考え、一旦大阪へ。タクシードライバーとして子どもたちを育て上げ、手が離れた頃合いに ふたたび山での生活を始めます。

自分たちの速度で、自分たちの生き方で、山で暮らすふたり。
しかし それぞれ独立した3人の娘たちは「いつまでもこのままではいられない」としばしば思うのですが。
やはり ふたりは「自分たちでできることは自分たちで」と、山へ帰っていきます。

ですが当然ながら ふたりにも“老い”という問題がやってきて。
そして気付けば ふたりを見守る娘たちも“高齢者”という年代になっていきます。

リチャード・リンクレイター監督の「6才のボクが、大人になるまで。」や「ビフォア」シリーズも リアルな年月をかけた人間ドラマなんてものもありますが。
こちらは元はテレビ番組のそれではありますが、ここまで長期に渡って取材をするというのもスゴイですね。

監督のコメントでは、テレビ放送した際にも“ここが”というひとつではなく、様々な場面に 何かを感じる視聴者の声が寄せられたと。観る人の数だけ思いが生まれる作品になったと語っておられました。
それほどまでに 見るべきところ、感じる点が散りばめられています。

山での暮らしへのあこがれ、家族の結びつき、老いとの向き合い方。そして別れまで。
わたくしも 見ていて涙がこぼれそうな場面がいくつかありました。

病気で歩行も困難になったり、認知症で記憶があいまいになっていったり。流動食を口に運んでもらって食したり。
当然のごとく 老化って、見ていて辛いなと・・・

いや待てよ、生きていたら誰でもそうなっていくんだよね。
しかも このふたり、ずーっと自分たちの好きな山で暮らし続けて。今も子どもたちに想ってもらってるわけじゃん。メッチャ幸福やん。
あぁこの涙は幸福な涙なんだな。

タイトルにある“桃源郷”とは。
辞書によれば「世俗を離れた別天地。理想郷。ユートピア」とされています。

確かに この山がふたりの桃源郷であり。
我々観客からすれば ふたりが桃源郷だよねと。
そんなことを思わされました。

ちなみに その桃源郷は、また次のふたりの桃源郷となり。
引き続き取材されているとのこと。
桃源郷は有り続けます。

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廃バスが寝床とは
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2017年01月11日

人生フルーツ

伏原健之
津端修一、津端英子、ナレーション・樹木希林
愛知県春日井市の高蔵寺ニュータウンの一隅にある、雑木林に囲まれた一軒の平屋。そこで自給自足に近い生活を営む建築家の津端修一氏と妻の英子さんの日常を追ったドキュメンタリー。

近年 良質のドキュメンタリー作品を劇場公開させている東海テレビの製作。
じつは わたくし、名古屋在住でありながら、この地元 東海テレビの一連の作品を見てきておりませんで。
結構 映画ファンの間では注目されてるのにね。

登場するのは90歳の修一さんと 87歳の英子さん。
自宅の庭で様々な野菜や果実を育て、それらを収穫し 調理し、自給自足に近い生活を営んでおられるという。

もうひとつ目を奪われるのが その住まい。
修一さんはそもそも建築家であり、師であるアントニン・レーモンドの自邸に倣って建築したのだとか。
わたくしも建築の分野はかじったこともありますので。このようなデザインの家には目を奪われてしまいます。

さて、こうまでして映像に残されるお二人ですから。
その日常の暮らしぶりの中にも、驚きやら 気付きやらがいっぱいで。

何よりも、その元気っぷりったら。お二人とも 姿勢正しくスタスタと歩かれて。修一さんは ちょっとしたお出かけには自転車を利用。
その年齢で自転車を普通に乗りこなすんや!!

健康の秘訣は何なんでしょう。畑仕事で足腰鍛えられてるのか、外のものではなく 自分たちでこしらえたもの、決まったお店で購入したものを自炊して食べてるから?
これっぽっちも添加物とか摂取していないでしょうしね。何よりよく食べることは基本かも。

それから笑顔を絶やさないこと。ふとした心配り。チョットしたことであっても、夫婦間であっても感謝を伝え合うこと。
自分たちでできることは自分たちでやること。料理、食事だけではなく、お孫さんのために“おうち”も作っちゃったってのは驚いた。

あとは真っ直ぐな信念を持ち続けることですか。
わたくしのようなモノには到底及ばない点が、いろいろあるんだろうなぁ。

個人的には台北に渡って、かつてお世話になった友人からいただいた“印鑑”をお返しする場面にグッときてしまいました。

映画の序盤に果物も登場しますが。正直言って「人生フルーツ」というタイトルは、この映画の全体の流れを表しているように思えないんだけど。
強いて言うならば。繰り返し伝えられるナレーション。

「風が吹けば枯れ葉が落ちる。枯れ葉が落ちれば土が肥える。土が肥えれば果実が実る」

やがて果実の実った木の葉が次の肥料となり。ずっと、それが続いていくのでしょう。
もちろん人もそうなのでしょうが。

修一さんは 人生をかけて自分が得てきた信条を、ある場所に委ねて残していきます。
また今後 長い年月をかけて、その思いが実を結ぶ時が来るのでしょうね。

以下余談ですが。
内容はいくらか異なるけども、なんとなく趣として「あなた、その川を渡らないで」が浮かびました。
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2017年01月10日

14の夜

足立 紳
犬飼直紀、濱田マリ、門脇 麦、光石 研
1987年の田舎町。悶々とした日々を送る中学生のタカシはある噂を耳にする。町に一軒だけあるレンタルビデオ屋にAV女優のよくしまる今日子がサイン会にやってくるというのだ。
噂の真偽を確かめるべく、タカシは柔道部の仲間と共にレンタルビデオ屋へと自転車を走らせる。

舞台は1987年ということで。モデルとしては現在 43〜44歳の世代ですかね。
わたくしも ほぼ同世代であるので。わりとシンパシー持って鑑賞に至ったわけですが。

中心となる中学生たちを演じてるのは新人が多いけど、光石研、濱田マリ、門脇麦といった面々が脇を固めてくれいてます。
主人公タカシと姉の門脇麦とが なんとなく雰囲気似てたね(笑)

学校ではとりあえず悶々とし。家では親父のクズっぷりに辟易し。外に出れば鬱陶しいヤンキーに絡まれて。
彼らのエネルギーの向かう先は…おっぱいであったと。

そう言ってしまえば早いのだが。
なんか、しっくりこない。

確かに 多くの中学生が通ってきた道でしょう。こういう青春は。
なので 周囲の状況や行動パターンとしての理解はできます。
ある種の あるあるパターンではある。

ただ、ハッキリ言って、笑えないんだよね。
実際そうなんだけど、その実際に〜を笑いにまで高められていないのかな。

クスクス、ウフフ…の感じはあるけど、「うぉ〜そうそう!」とか「バカだね〜ゲラゲラ〜」というレベルまでには仕上がっていないのね。

もう一点、親父の狼狽ぶりもわりと普通で。「あぁそうだろうな」とは思っても、やっぱりカッコ悪いおっさんを見てるだけで。笑えるまでには至っていない。

別にコメディをやりたいと、笑わせようというわけではなかったとしても。
それほど共感を得るまでの“引き”の強いエピソードでもなかったよね。

おバカでエロくて。でもなんとなくデリケートに未来を憂いている“中二時代”を正しく描けていたとしても、映画としての強さ、パワーはイマイチで。
結局 見終わってコチラのテンションは上がりきらなかったかな。

ビデオ店から出た後「お前なんで鼻血出してんだよ。もしかして揉んだのか?」みたいなやりとり期待したんだけど。
やり方ひとつなような気もするので、ちょっと惜しいって気持ち。

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盗んだ自転車で家帰る?
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2017年01月08日

ひそひそ星

園 子温
神楽坂恵、遠藤賢司、池田優斗、森 康子
幾度となく大きな災害と大きな失敗を繰り返してきた世界。ロボットが8割、人類が2割となった未来の宇宙。
アンドロイドの鈴木洋子は宇宙船に乗って星々を回り、人間の荷物を届ける宅配便の配達員として働いていた。

率直に言うならば、よくわからんがキライじゃないと。

振れ幅の広い作品の数々を撮ってきた園子温監督が、震災後の福島で多くのロケを敢行。地元の被災者の皆さんが出演もされています。

そもそも今作の脚本や絵コンテは1990年ごろに作られていて。
諸々の事情で製作されなかったとのこと。

ちなみに近年では絶えず作品を撮り続けていた園監督。特に2015年は4本もの新作が公開になっていて。
だからなのか、なんなのか、そろそろ“自分の為に”撮ろうかというモードになったのかな。
だから主要キャストも私生活でのパートナーであったりするし。

仮に私的なものであったとしても、初期のようなただのアングラとも受け止められそうな作風ではなく。このような作品に仕上がったのかも。

設定もあって、キャラクターもあって、展開もあって。
でもそれらを構成して一本になっているというわけではなく。(これまでの監督経験や人生に於いて)その都度 感じたことや表現したいことを、一本の中に配置していったような。
だから このシーンはこうであり、あのシーンはあれを表現していたり…

監督自身 それをひとつひとつ種明かするつもりもないだろうし、観客も一本筋の通った作品として理解することはできないでしょう。

なのでわたくしも「これはこうなのか」と「あれはあぁなのか」と。そんな風に鑑賞しました。

数年の誤差は厭(いと)わないとして、人間の元に届けられる宅配便。

あの箱に入ったそれぞれは他愛もない物体かもしれない。でも 届けられる側にとってはとても尊いもので。
各々に秘められた大切のバロメーターは誰にも計れないものなんだろうね。

でも あの空とか海とか草木は誰にとっても平等なもので。
だから色が付いて見えたのかもしれない。

終盤、影絵のように映し出された人々の暮らし。なんとなく暖かみをもった昭和に感じられて。
でもそれはここには無いんだよね。もう全部 障子の向う側のものなんだよね。

かつて人が住んでいたであろう街並みの中を、自転車で走り抜けていきます。
街があったってことは、今ではもう人も暮らしもぬくもりも失せてしまった世界なんだね。

あの廃墟を劇映画のセットとして作ろうとしたら、とんでもないコストかかるだろうな。
でも、あれ現実だよね。リアルに多くのものを奪われた街なんだよね。
それを思うだけで、不思議な悔しさが込み上げてきます。

なんでアンドロイドがクシャミするんだろう?
誰かが鈴木祥子のことを思い出して、ウワサ話でもしてるのかな?
だとすれば、数年間も宇宙を彷徨ってるようにみえる彼女も、間違いなく誰かとつながっていて。決して孤独じゃないんだろうね。
アンドロイドですらね。

長い年月をかけて、人々の元に宅配便が届けられるって話だけども。
そもそも このストーリーだって、着想から25年が経って完成したわけであって。
もともとがタイムカプセルなんだね。

というのがわたくしの感じたこと。
園監督の思いとは全然違うかもだけど。
作品というのは世に出た以上、受け止めた側のものでもあるからね。

やっぱり、よくわからんがキライじゃない一本であります。
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